07:Electro World
「すごいな……。これ、何箱あるの?」
「百とか、もっとあったかな。白米だけじゃなくて、赤飯とかまぜご飯なんかもある」
小林邸の向かいの、倉庫に使っている家で、山と積まれた保存食品のダンボールを見て、トシキは感嘆の声を上げる。
「晶ひとりなら、何年も食べられたじゃない」
「僕もそう思ったけど、このレンチンご飯、一年ちょっとで、食べられなくなるんだわ」
「賞味期限とか、消費期限?」
「そう」
「僕らはあれ、平気で何年も切れてたやつ食べさせられてたよ。意外と平気」
たまに、トシキの口から出てくる、過去の家庭環境を伺わせる内容に、僕はどう反応していいものかと戸惑う。
「そこの部屋はレトルト食品。そのへんの高級カレー、ものすごく美味しかったぞ。今夜食べてみるか?」
「豚の角煮に、牛丼に、煮込みとか、牛タンなんかもある……。レトルト食品って、こんなに色々なのがあったんだ」
「ここが缶詰の部屋。最初は選んでたんだけど、今はもう手あたり次第、全部持ってきてる」
「あ、ツナ缶がこんなにある。僕もアヤカも、これ大好き。マヨネーズあるよね? なかったら買い溜めしておこうよ」
「買うって、どこから買うんだよ」
あははと、心を許した子供の笑顔を浮かべるトシキ。なんだか、いもしなかった、弟のように思えてくる。
「よし、そしたら、食料探しに行ってみるか」
「うん」
使っている地図を広げ、ふたりであたりをつける。
「バツをつけてるところが、もう探すのが終わったとこ」
「ふんふん」
「なので今日は、このへんに行こうかと……」
それじゃあ行ってくるよと、ゲームにかじりついているアヤカに伝える。こちらも向かずに、はあいと答えるアヤカ。トシキを助手席に乗せ、車を出す。
「アヤカも連れてきてもよかったけどな。留守番させて、大丈夫かな」
「元から、外に出たがらない奴だから、いいよ。あ、この曲、好き」
目的地に着くまでのドライブ中、適当に流している音楽CDに、トシキが反応して歌い出す。いい声をしている。
「アヤカって、自閉症、だっけ?」
「うん。あとなんか、他にも色々と診断出されてた。なんとか障害って。ええと……」
トシキが思い出した病名を言い、知らないよね、と聞いてくる。
「いや、知ってる」
ふたりが小林邸に住むようになってから、一週間。
当初はこれまでの緊張が抜けず、落ち着けない様子だったけれど、次第に僕とも打ち解け、笑顔も見せ、軽口も叩くようになった。
雰囲気が劇的に変わったのは、三人で対戦すごろくゲームをやった時からだった。
夜までどころか、朝まで大盛り上がりし、トシキなどは本気で怒ったり大笑いをし、それまで僕に対して、ひと言も発しなかったアヤカも、あーとか、ずるいーとか、睨みつけたりせせら笑ったりしてきた。
食事も毎日、温かなものを山ほど出していたら、無くならないのかと心配されたので、暇つぶしに集めていた食料の話をしたところ、探すのを自分もやりたいとトシキは言ってきた。
「アニメを観てる時とか、アヤカめっちゃ笑ってるよな。全然、自閉症なんかには見えないわ」
「家でいる時はね。学校では、誰とも話さなかったって」
そういう子は、クラスにひとりくらい大体いて、ほとんどが自殺していた気がする。
本当に辛いならば、無理に学校に来なくてもいいと、朝礼などで校長が呼びかけるようになったのは、いつからだったろうか。
「晶はさ、セックスしたことある?」
いきなり聞かれ、ハンドルが言葉に取られて事故りそうになり、ふたりで冷や汗をかいた後、どういう質問だと照れながら怒る。
「アヤカはもっと小さい頃から、ずっといたずらでされてる。可愛いからね。なんでか同性からが多いの。どういう立場の相手だったか聞きたい?」
「やめい。そんなもん話すな。聞きたくもないわ」
「僕も、されてたよ。しばらく一緒にいた男からも。僕も相手は男からばっかり。大人だけじゃなく、同級生にもされてたな。いじめの延長で」
今度は反応に迷ったついでに、ブレーキの反応が遅れ、路肩にぶつけそうになった。
「トシキは、いじめられてたのか」
「僕を見て、そうされないと思う?」
過去に学校での慣習で行われていたという、背の順に並ばされたら、大体最前列になるだろう体の小ささと、女子と見まごうばかりの優しい顔。弱者を求める残酷な子供たちにとって、ここまでの獲物はなかなかいないだろう。
「別にさ、それが嫌だとか辛いだとかは、もう無くなってた。だって、そういうキャラを振り分けられてたんだから、仕方がないよ。やってくる方も、そういうプログラム通りに動いているだけで」
「……プログラム?」
妙な単語を出すトシキ。
「キャラの、多様性? は必要なんだろうけど、なんで僕みたいなのを作るんだろうね。やっぱりあれかな? 養分キャラとかやられメカは、まともなキャラの経験値プレゼンテーターとして、どうしても必要なのかもね」
ゲーム好きのトシキらしく、自分のこと、世の中のことを、ゲームのキャラクターに比喩している。無理のある例えが、妙に腑に落ちる。
「普通のことも、まともにできないキャラを作るならばさ、せめて苦しまないように、感情を無くしてくればいいのにね。アヤカはさ、それを実践してるの。心を壊されるよりも、心を無くしちゃった方がいいもん」
ひどく重い話を、この前やったクソゲームの感想を語るように、淡々と続けるトシキ。僕はどう返事をしたものかと迷う。なにも出てこない。
「そんな僕でも、人生で二回、壊れたんだ。キレた、ってやつかな?」
ほうと声を出し、堪忍袋の緒が切れて、漫画みたいにいじめっ子にやり返したのか? と茶化して聞くと、トシキは笑いながら手を振り、自分のことでじゃないよと言う。
「放課後の校舎裏の、監視カメラの死角、いじめの名所で、上級生たちに、アヤカがやられてたの。スマホで撮影されながら、脱がされて、触られて、それから……」
蒸し暑い夏空の下で、ひとつ冷や汗が流れたのは、車内エアコンを効かせ過ぎているせいだろう。
「心が死んでいたはずのアヤカが、泣いて、叫んで、やめてって言ってた。そこから僕、ちょっと記憶が飛んでるんだけど、なんでか持ってたカッターで、ひとりを刺して、二人に切りつけてたみたい。その現場も上級生も僕も、ホラー映画みたいに血だらけだったのは、ぼんやり覚えてる」
送風を受けて、よく冷えているペットボトルを口につけ、ひとつ息をついてから反応する。
「よかったじゃん。でも、その、……事件とかには、ならなかったのか?」
「警察とか児相とか、ずっとたらい回しにされて、裁判前にようやくアヤカのそばに戻れたのが、ひとがいなくなる数日前」
トシキも飲み物に手を伸ばし、リラックスしている風を装って、残りを飲み干す。けれども、その手は震え、声はかすれかけていた。
「その後ふたりで必死で、他のひとを探していたら、目つきの悪い男が近づいてきて、一緒に来いって言われて、……それから、色々始まって、終わらせたのが、一ヵ月くらい経った頃かな。……晶、引いた?」
引いた? と聞かれ、よくわからないので、正直な感想を述べてみる。
「うーん……。カッターだと、痛そうだから、やっぱり拳銃でやってもらいたいな。頸動脈をスパっと切ってくれれば、あっと言う間だろうから、お願いしたいけど」
なんだその反応はと、期待外れの呆れたような表情を見せるトシキ。調子に乗って喋りすぎたという様子で、小さくため息をついてから聞いてくる。
「……ねえ、僕、許されないよね」
「何を?」
「だから、……そいつを、……ひとを、殺したこと」
どう反応するのが正しいのだろうか。命の尊さがどうの、などとたしなめるべきなのか。申し訳ないけどアホらしい。申し訳ないけれど。
地獄のような戦場から、奇跡のように生き延びてきた兵士に、人を殺してきて罪悪感はないのか? などと聞くようなものだ。
「許さないって、誰が? 警察ももういないし、裁判所もカラじゃん。誰からも許されようも、もうないだろ」
目を瞬かせ、そうだけどとつぶやき、そういうもんじゃ、と眉根に皺寄せるトシキに、僕はさらに言う。
「それともあれか? 神様が、とかか? 神が許さないんだったら、もうちょいまともな世界を作ってからにしろよと、お空に向かって言ってやれよ」
「……なにそれ?」
「だから、プログラムなんだろ?」
言葉の中に、妙に熱がこもってゆく。常々思っていたことを、トシキが形にしてくれた気がする。
「僕らと、この世界を作った、プログラマーがいるんだろ? そいつが神だろ? ゲームだったらこの世界、超がつくクソゲーじゃん。迷惑こうむってるキャラクター代表として、クレーム出してやろうぜ。そりゃ、何十億とかの人間が生きてた今までだったら、いちいち聞いてくれやしなかっただろうけど、こんなに減ってるんだぞ? ちょっとくらい届いても良さそうじゃね?」
ぽかんとした表情になり、なるほどと頷くトシキ。
「大体さ、こんなに誰も彼もが、くだらない死にたいって言ってるような世界、ゲームだったらとっくに生産中止だぞ。サービス終了してるぞ。無理に続けてたって、やる奴いなくないだろ」
「……ほんとだ。いないじゃん」
ふたりで笑いながら、本当に空に向かい、チートさせろとか、セーブさせろとか、切なる訴えを届けてみる。今さら遅いのだが。
「そろそろ目的のあたりに着くな。野犬だけじゃなく、イノシシみたいなのもいたから、気をつけてな」
「大丈夫、僕、これもあるから」
トシキが拳銃を出し、見せびらかしてくる。
「やっぱりいいなあそれ。いっぺん警察署で探してみたんだけどな」
「僕も警察署でだよ。保管庫の鍵を見つけられたの。クマ除けスプレーが効かない動物用。威嚇だけで逃げてくれるから、当てたことはないけどね」
「……そういう使い方もあるか」
「うん? 他に、使い道なんかないじゃん」
「いや、自分で死ぬのにいいかなーと……」
トシキの表情が、微妙に険しくなる。
「晶さ、今でもすぐに、死にたいの?」
「うん」
「なんで?」
「……なんでって、そういうもんだから。そういうもんだろ?」
どうして死にたいのか、なんて、考えたこともない。わずらわしい社会が消えたおかげで、今なんとなく生きているだけで。
「まあ、そういうもんだよね。僕もそうだよ。ずっと死にたいよ。でも、死ねない」
「アヤカがいるから?」
こくりと頷くトシキに、僕も同じだよ、と言いたいのを控えておく。
「あと、さっきの質問。セックスの経験ある?」
「はーい、着いたぞー。あそこー。クソでかい商業施設みーつけた」
「鹿肉……アザラシの肉……クジラに……熊肉?」
「変な缶詰、やたらとあるなここ。種類すげえ」
郊外の巨大なホームセンターは、閉鎖が完璧だったのか、珍しく野犬はおろか、ネズミに入られた形跡もなかった。館内は奇麗なままで、収穫に期待が持てる。
「おいおい、こんなとこで、ツナ缶ばっかり持ってくなよ。カニ缶とかキャビアとか、高いのから積んでけよ」
「だって、好きなんだもん」
「野菜の缶詰あったら優先な。ちゃんと野菜摂らないと、体によくないぞ」
「はいはい。……コンビーフに、スパム、……ねえ、そろそろこういう加工肉、飽きたよ。この前みたいな、ちゃんとしたの、また食べたいな」
「僕も食べたいよ。狩りでもするか、家畜でも育てるか?」
広い店内でカートを転がし、目ぼしい食料を収集してゆく。成長期のふたりには、保存食や加工肉ばかりではなく、もう少し良いものを食べさせてやりたかった。
「今日からしばらくは、珍しい肉のオンパレードかな。あれ? あそこ……」
「どうしたの?」
闇の奥で、何かが光っている。動物の目は光るが、それではなかった。緑色のランプだ。
ふたりで近づいてみると、バックヤードの奥で、小さな物置くらいの機械が、低い動作音を鳴らせている。電気が通じているのだ。
「……晶、これ、冷蔵庫とか、冷凍庫じゃないの?」
「そうだよな。プレハブの冷凍室だ。中は、冷えてるんじゃないかな」
「なんで、ここだけ?」
「たぶん、屋上にソーラーパネルあったから、小林邸と同じように、自家発電と蓄電池が機能してて、電気が止まったら自動的に、自給に切り替わるんだろう。そこまでして守りたかったものが、中にはあるのかも」
「な、何があるのかな」
顔を見合わせ、扉を開ける。
「寒っ」
「なんだこれ、とんでもなく寒いぞ」
普通の冷凍室などよりも、はるかに低い温度で冷やされている室内には、天井に届かんばかりの食材が積まれていた。
「こっ、神戸牛って書いてある、これ」
「松坂牛に、米沢牛……、これって、シャトーブリアンって書いてあるよね?」
「おいっ、今夜は、アザラシ食ってる場合じゃないぞ」
平時であれば、合計何百万か、それ以上もしたであろう、最高級の冷凍肉を、ワンボックスいっぱいに詰め込み、ヨタヨタしながら小林邸に帰りつき、バタバタと冷蔵庫に駆けこむ。
「入らないっ」
「詰め込めない分は、今日みんな食べるぞ」
「どうしたの?」
ゲームを止めたアヤカが覗き込んできて、わあすごいと驚く。
「バーベキューするぞ。屋上でやろう。庭はダメだ。犬が寄ってくる」
七輪と練炭と着火剤は、なぜか豊富にある。そして小林邸には、貯水タンクとソーラーパネルが設置された、広い屋上がある。道具を運び込み、ホームセンターで見つけてきた鉄板を、ブロックを積んで設置する。
「こんなんでいい?」
「焼けりゃいい」
練炭の炎で熱せられた鉄板に、油を引いて肉を焼いてゆくと、屋上は官能的なまでの匂いに包まれる。
「……やべえ」
「……泣きそう」
「私、怖くなってきた」
肉は冷凍しても、食べられるのは一か月程度で、それ以上経つと味が落ちるばかりではなく、傷んで危険と本に書いてあったけれど、持ってきた肉はどれも、四カ月近くが過ぎているにも関わらず、風味は全く落ちていなかった。
包装を調べてみると、賞味期限が一年以上先との記載があった。業務用の超低温での瞬間冷凍や、高級肉ならではの密封の違いだろうか。
「ひとがいなくなった時のこと思い出すわ。僕はこれ食べて、少し生きようと思った」
「わかる。死ねって言われても、食べてからにさせてくれって思う」
「私、そんなにお肉好きじゃなかったけど、こんなのなら」
東京の空を赤く染め、夕陽がゆっくりと沈んでゆく。東の空に星がまたたき始め、澄んだ空を桃色のグラデーションが彩ってゆく。
「……わあ、見て」
人間が消えてから、空は信じられないほど奇麗になっていた。夜の帳が下りると、灯りが消えて光害のない夜空は、絵のような数の星に満たされる。
「すげえ……」
「きれい」
座り込んだり寝転がったりした僕らは、天然のプラネタリウムに、しばらく目と心を奪われる。
「なんでこんなに、幸せなんだろう」
トシキがつぶやき、アヤカが答える。
「明日がないから、だよ」
僕は首を捻る。
「それって、不幸の代名詞じゃなかったかな」
「ううん、明日はないけど、今はずっとあるの」
詩的な表現なのか、難しい話なのか、よくわからない僕は、曖昧に頷く。
「すごく楽しい」
星明りが降ってくるような、淡い光の中で、空を見上げるアヤカの顔は、トシキと同じで、人形のように美しかった。僕はしばらく、うっとりと見とれる。
片づけをしている最中、トシキが耳打ちをしてきた。アヤカがあんなことを言うの、僕は初めて聞いたよと。
僕もそうだよと言いかけ、なんとなく恥ずかしいので、やめておいた。
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