05:The Road to Nowhere

 悲鳴を上げて、警察署から飛び出した僕は、パニックを起こしながらも、なんとか事故を起こさずに、小林邸に帰りつくことができた。

 陽気な映画を、あの世から床ドンされそうな音量で流して、止まらない震えと恐怖を鎮めることに努めた。

 ……生きている人間に続き、今度は死体があった。

 どちらも目にすることのない、清潔で怖さのない、優しい世界の終わりを、ひとり占めして満喫していた、はずだった……。

「……そうじゃ、なかったのかよ」

 人間は、消えたわけではなかったのか。ならば、他の者たちも、どこかでまだ姿を留めているのか。

「だったらもう無理。生きてるのなんてごめんだわ」

 人間社会がまた復活でもする前に、さっさと死んでしまおう。先延ばしはもうやめだ。収まっていた衝動が頭をもたげる。

 二階の寝室に閉じこもり、練炭に火をつけようとする。けれども、どうしてか上手くいかない。

「あれ? ……あー」

 入手していたのは、着火剤がないタイプの練炭だったのだ。これでは火は点かない。使った経験がないので、練炭ならなんでも大丈夫だと思っていた。

 ふうと息をつく。外はもう暗い。今から着火剤を探しに行くのも面倒くさく、明日にしようと思う。

「…………」

 ふてくされて寝床につき、眠気を待っているうちに、自然な疑問が湧いてくる。

「……他の死体は、どこだろ?」

 これまではどこにも、死体などなかった。なぜ、警察署にだけあったのか。

「あの女のひとも、これまでどこにいて、どこに行ったんだろ……」

 他にも生き残りがいたならば、これまでの二か月間、互いに気がつかなかったことはないように思える。ここは夜にただ一軒、闇の中で煌々と灯りを放ち、大音量で音楽を鳴らしたりしているのだ。

「まてよ……」

 ずっと、気になっていたことがある。人間が消えてから、どの家も建物も、出入り口は開け放たれており、自由に出入りすることができていたのだ。

「でも、さっきのあそこは」

 留置場は、そうではなかった。檻には鍵がかかっていた。

「それが、残っていた原因か?」

 だとすると、人間たちは、ぱっと消えたわけではなく、ドアを開けて、集団でどこかへと去っていったのではないか。

 外から閉じ込められ、それができなかった者たちは、あのように姿を留めている……。

「ふむ」

 理屈は通っている。

 推理を楽しむように、湧き上がっていた想像を、はたと止める。

「だから、どうだってんだよ」

 冷蔵庫からペットボトルの水を出して飲む。もう、どうでもいいことだ。そんなのも含めて、明日にはみんな、この身体ごと消してしまえばいい。そうだろう?

「うーん……でも……なあ」

 なんだかまた、気になってきた。

 こんなに好奇心の強い性格では、僕はなかった。さっさと消えたいこの世のことなど、どうでもいいとしか思えなかった。

 一体どうしたことかと戸惑いながらも、せっかくいつでも死ねるならば、思い残すことのない気持ちとタイミングでと、またひとつ自分に言い聞かせてみる。

「……ちょっと、確かめてみるか」


 車を運転しやすい軽自動車から、大きなワンボックスに替えた。

 後部の荷室にマットを敷き、敷布団と毛布をかけ、車内で休息できるようにした。水も食糧も十分に詰め込み、多数のクマ除けスプレーと、犬に噛まれても大丈夫そうな分厚い作りの作業着に、ヘッドライト付きのヘルメットも用意した。

 これで、車を移動するシェルターとして使え、野外で行動しても、野犬程度であればまあ大丈夫だろう。

「やばい、なんかワクワクする」

 なんでか、テンションが上がってきた。移動できる秘密基地で、防備武装して探索するという行為は、子供の夢みたいなのが詰まっているのだろう。

「アメリカのゾンビ映画みたいに、銃を積み込んで、窓に網を張ったり、トゲを生やしたりしたら、もっと楽しいんだろうな」

 この車と装備をもって、ざっと関東一円程度をドライブ、いや、捜索してみるつもりだった。

「どこかで、生き残りが集まっているか、まとまって死んでいるとか、そんな気がするんだよな。漫画でもそうだったし、映画でも、大体そうだし」

 とりあえず日帰りで隣県あたりを回り、その後何泊かの予定で、埼玉から群馬、栃木、茨城と、県庁所在地を中心にドライブを、いや捜索をする予定を立てた。

「それにしても、電気が止まって、携帯の電波がなくなっても、カーナビは使えるんだなあ……」

 ワンボックスに付いていたカーナビが、問題なく動作したことに、当初驚いた。スマホのそれは地図が読み込めなくなり、使えなくなっていので、車もそうだと思っていたのだが。

「衛星までひとり占めだなんて、贅沢だわ。んじゃ、行くか」

 まずは日帰りで横浜、そして次の日は千葉と、街中でひとが集まっていそうな、商業施設やショッピングモール、ホームセンターなどを捜してみた。

 やはりあちこちで、野犬に襲われかけたが、熊除けスプレーの効果は、果たして絶大で、威嚇で軽くシュッとするだけで、群れも悲鳴を上げて散らばり、近づいて来なくなった。

 両手でスプレーを構えて、無人の街を無双してゆく自分が、なにか映画の特殊戦闘員にでもなったみたいで気分が良く、フルフェイスの中で気持ち悪い笑みを浮かべっぱなしだった。自分はこんなにバカだったのかと面映ゆくなった。

 南関東の捜索で、多くのことがわかり、いよいよ泊まりでの遠出になった。

 初夏の晴天の下、関越自動車道を北上してゆく。他に車のいない高速道路は快適そのものだった。

「遠目に見ると、綺麗な終末だよな」

 実際はそう見えていただけで、あの中には、死体がゴロゴロしているのだ。

 他の警察署はどうなのかと、あちこちの留置場を調べてみたところ、同じように死体は、やはりあった。

 他にも地図で探して、刑務所や拘置所にも入ってみたが、案の定結果は同じで、牢屋の向こう側は常に、屍の山になっていた。

 それだけではなかった。稀にだが、開放された普通の民家などでも、死体は見つかったのだ。

 どういうことかと、一時混乱したが、病院での死体が非常に多かったことから、なんとなく答えは出た。

 おそらく、寝たりきり老人や、重病人など、動きたくても動けない者が、そのまま病死や餓死したのだろう。面倒を見るひとや、看護する者が姿を消した結果か。

「姿を消した皆さんは、一体、どこへ行ったのかなあ。象の墓場みたいに、死体の山でも作ってないかな」

 京観、という言葉を思い出す。過去中国で行われていた習わしだ。

 戦争で殺害した敵兵の死体を、山と積んで野に晒す奇習であり、山を成す死体の数は数千人から、時には数万数十万という数になったという。実際に過去、京観が行われたという場所から、多くの人骨がまとめて発掘されたりしている。

 荒野に積まれた、地平を埋め尽くす、屍の山を想像する。本当にそんなのがあったら、眺めてなどいられず、逃げ出しそうだけれど。

「どこまで行っても、そんなの何もないし、生きてる人間も、誰もいないなあ。うーん……」

 埼玉群馬栃木と、高速道路で北関東を移動しながら、たまに大きめの町で下りて、ぐるっと探索することを繰り返す。遠かった山々が近くに見え、緑が多くなってきたけれど、景色は都内とそう変わらず、野犬ではない野生動物がちらほら見えるくらいで、特に何もなく、誰もおらず、僅かな期待は空回りするばかりだった。

「……ちょっと、飽きてきた」

 日が暮れたので、高速のサービスエリアで車を止め、そこで夜を明かすことにする。

 車内でカセットコンロでお湯を沸かし、レトルトカレーとレンチンご飯を温め、おかずに数種類の缶詰をあえて夕飯にする。

「うん、部屋で食べるより、なんか美味い」

 腹を満たし、車内に敷いたマットレスの上で、大の字に寝転がり、サンルーフの向こうに見える夏の星座を眺めながら、タオルケットにくるまる。

「いいわあ……。移動する秘密基地だね」

 車内で寝たり、料理や食事をしたりするのは、子供のようにワクワクする。

 車は便利で楽しく、生存には必須ですらあるけれど、ずっと使えるわけではない。それを動かすガソリンには使用期限があり、半年も経ては劣化が始まってしまうのだ。

 カーショップで見つけたその情報を基に、ガソリンの備蓄と保存を始めていた。ガソリンスタンドからポリタンクで汲んできては、劣化防止剤というものを添加し、小林邸の斜向かいにあるマンションの地下駐車場に、何十という数を並べて置いていた。

 あれだけあれば、一~二年は量も品質も保つだろうが、そんなに先まで生きているつもりは、もうなかった。

「なにも無いし、肉だって、もうないもんなあ」

 あるのはどこかへ行き損ねた屍ばかり。にわかに湧いた好奇心も、そろそろ期限切れだった。

「捜索ごっこも終わりかな。……今、練炭積んでるし、車なら密閉は完璧だし、……もうここで、やっちゃおうかな」

 そうしかけたけれど、せめて予定通り、茨城まで回って、都内まで帰る、当初の予定だけは済ませてからにしようと思った。

「でももう、このパターンは、これで最後だぞ。それ以上先延ばしにはしません。このドライブ、いや、調査から戻ったら、さっさと済ませような」

 固くそう心に決め、もはや変心しないことを、胸に誓う。

 でも翌日、生きている人間に会った。

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