5-2 毒
いやいやいやいやいやいや? 何言ってんの? 痴女かあんた!」
ジェフは別に女子に興味がないわけではない。普段はスポーツに対する欲求が上回っているだけで、年相応の興味はある。しかし、思いもよらぬお誘いを受けて戸惑わないほど経験があるわけでもない――というか、まったくない。
「いいじゃない。だって、あなたみたいに優しい人、私達にとっても初めてだもの」
「ああ、そうそうクローディア! それクローディアの体だから! そういう冗談言ったって知ったら、あいつが体を取り戻した時に、滅茶苦茶怒るんじゃないかな? いーや怒るね! 恐いもんアイツ!」
「大丈夫よ――」
メドゥーサはジェフの首に腕を回し、ゆっくりと唇を近づけながら、ささやく。
「――もう、あの子は帰ってこないもの」
ドギマギしていたジェフの心中に冷たいものが差し込む。メドゥーサごとそれを振り払うように彼女を突き飛ばし、また自らも後退すると祭壇を降りて距離を摂る。
「どういうことだ・・・・・・」
動揺を噛みつぶしたつもりでも、どうしても言葉に滲んでしまう。
「どういうことって、この祭壇よ」
メドゥーサはゆっくりと立ち上がりながら、つま先で祭壇を叩く。
「元々私とこの子は同調を強めていたの。そこでこの祭壇に放り込まれて、私の因子を増幅させた結果、こうして現出したわけね。まあ、クローディアがストレスや感情で暴走しなかったのは、せめてもの救いかしらね。そうなったら、私たちは混ざり合って暴走して、ただ破壊を撒き散らすだけだもの。そうなったら、きっとあなたを殺しちゃってたわ、ジェフリー」
悍ましい言葉を、明るく朗らかに言ってくれる。
「なあ、クローディアに体を返す余地はねえのか? それなら、何だってするよ。誰も傷つけないんならさ」
一縷の望みをかけて尋ねる。
しかし、メドゥーサはその質問すら悍ましいと言わんばかりに顔を歪める。
「いやよ。絶対に何があっても返さないわ。あなたも、私が欲しいと思うものはずっと、私のもの。私だけのものなの」
妄執を孕んだ響きにジェフは一瞬怯む。金銭欲に溺れたエリックとはまるで重みが違う。
「何がアンタをそこまでさせるんだよ?」
純粋な疑問を口にする。
「私はね、ずっと奪われてきたの。女神に尊厳を奪われ、海神に純潔を奪われ、人間に命と家族を奪われた。そして死んでからはただの因子として、意思すら奪われたわ。でも、私は蘇った。だから、今度は私は手に入れる。今度は私が奪い取るの。欲しいものは全て、神からも人間からも。私から全てを――グライアイやステンノーとエウリュアレーを奪ったことを、それを賛美したことを後悔させるの。私がされたように。私が歪まされたように」
数千万、数億年積み重ねられてきた絶望、妄執、怨嗟――それがメドゥーサの原動力だ。
「そうか――」
両手にコンバットナイフを作り出す。
「――あんたの怨みはわかったよ。でも、クローディアにそれをやらせる訳にはいかねえ。」
メドゥーサは、身構えるジェフに対し一瞬悲痛に顔を歪めると、すぐに元の妖艶な表情を取り戻す。
「そう。もう意識すらなくなった人間との約束を守るなんて、本当に素敵ね、ジェフリー」
メドゥーサの赤い蛇の髪が寄り合い、十匹の太い蛇に変じる。
「でもね、今はあなたが一番欲しいわ。あなたが私のものにならないなら、せめて命と死体を頂戴!」
メドゥーサの蛇がジェフへ向かって殺到する。その間にあった柱型の触媒や残された機器類が消滅する
「これは――」
ジェフは覚えがあった。昼間自分の傷を治した、メドゥーサの能力、【拒絶】だ。
だが、さっきは映像を逆再生するかのように傷が塞がっていったのに対して、今度は一瞬で消滅している。
(クローディアとメドゥーサでなんか条件が違うのか? ――ああクソッ! 考えてる暇ねえ!)
半ば倒れ込むように重心を落として、舌打ちまじりにナイフで二匹を打ち上げるように切り払う。
(やった――のかやってねえのか微妙じゃねえか!)
蛇は目論見通りに上へ弾かれる。しかし、両手のナイフは消滅。つづく八匹の追撃も、打ち上がった蛇の下に潜り込むように動き回って回避する。
蛇の体に触れないように素早く包囲を脱出し、ジェフはメドゥーサの左へ回る。位置取りに意味はない。単に蛇から距離を置きたかっただけだ。
「なあに? やっぱり私のものになってくれるの?」
メドゥーサは首だけ回してジェフを見て妖しく嗤う。
「んなわけねー・・・・・・」
(けど、こっからどうしたもんかね・・・・・・。いやもう、拘ってらんねえか)
カズィに助けを求めようと耳につけた通信機を起動しようとした時、メドゥーサはむくれた声でいう。
「だーめ。二人の時間に邪魔なんかよばないでよ」
通話を起動しようとした左腕に強い衝撃――そのまま祭壇の上を弧を描いてすっ飛び、反対側の壁に打ち付けられる。
「がぁ・・・・・・」
痛みに一瞬思考が途切れる。
(でも、生きてる! 意識は飛んでねえ・・・・・・!)
しかし――
「――――――ッ!」
左腕が、ピクリとも動かない。左肩に何かぶら下がっているという以上の感覚すらない。ハッとしていると、今の衝撃で通信機が吹っ飛んだことにも気がついた。
「びっくりした?」
悪戯が成功したようにに笑いながらメドゥーサが尋ねる。
「私の能力の本質は、毒よ。因果に作用する魔術毒。やろうと思えば、あなたを殺さず身体の自由を奪うこともできるの。エリックは殺すつもりだったのに、生きているのは想定外だったけどね」
「ああ、そうかよ」
吐き捨てながら、ジェフは祭壇の隅から覗く横たわるエリックに目を向ける。ハンコックが天嵐の支配者で攻撃してもバラバラにならず、その上でラッシュを受けて生き延びたのだ。そのくらいやれても、別に驚きはしない――死ぬほど腹立たしくはあるが。
「ねえ、ジェフ。今ならまだ間に合うわ。私があなたの左腕になるから、ずっと私のそばにいて。私が、この世の全てを奪う所を見ていて!」
「それ、左腕を潰した奴が言っていい言葉じゃねえよ」
嫌悪たっぷりに吐き捨てて、思案する。
(あいつが――エリックがこのことを想定していないわけないよな・・・・・・)
祭壇には、メドゥーサの暴走を防ぐ、或いは外に出さないための用意がされていた。その上で、それらが全て破られた際の対策を一切していないというのは、イメージと合わない。
あれだけ手間をかけてクローディアを奪取した人間が、そこを疎かにするのは考えにくい。
(止める手段が、あるはず・・・・・・。でもどうせ、クソ碌でもないやつなんだろうなぁ・・・・・・)
その予想は当たっていた。彼には知りようもないことだが、神話においてメドゥーサの首を落とした刃を現代の技術で再現した装備を持つゴーレムが起動し、今まさに連邦捜査局やカズィと戦っていた。
(アイツはやられる前に、何をしようとしていた・・・・・・?)
エリックの最後の行動、そこにヒントがあると考え、ジェフは必死に思い出す。だが、状況は悠長に構えさせてはくれなかった。
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