Chapter.5  Medousa

5-1 蛇の戯れ

 カズィのいる場所から倉庫を挟んで反対側の駐車場には、資材や人員を運ぶトラックが置かれていた。そこには、マーブル・ホーネットの中でも腕利きの私兵が待機させられ、表で警備に出ているものたちに何かあるか、側近の要請ですぐに前線に出るために用意していた。

 しかし、今、彼らは苦痛のうめき声を漏らしながら転がり、まともに走れる車両は一つもないほど大きな損傷をしている。まるで、大型の魔獣が暴れ回ったかのようだ。

 その中で唯一泰然としているのは、RCI副社長、ロバート・ベイリーだけだ。

「ふう・・・・・・。歳だなぁ・・・・・・。煙草はやめたのに、体力が追いつかないよ」

 そう漏らしながらも、呼吸の乱れはまったくなく、夜の散歩に出た好々爺のようだ。到底この事態を引き起こした人物には見えない。

「ああ、そういえばリックはもう寝たかな――」

 暇を持て余し、孫が起きていればおやすみを言おうとスマートフォンを取り出した瞬間、妙な感覚に襲われる。

「これは――」

 神代の系譜が暴走した時には、空気が変わる。

 かつて担当した事件で、あるいは戦場で、片手の指にも満たない回数だが、ロバートはその感覚を知っていた。同じ神代の系譜であるが故に、他の者よりも強く感じるくらいだ。

 中に飛び込もうとした時、徐にスマートフォンが鳴る。

 表示されるのは、娘夫婦ではなく、クリスの名前だった。

『ヤッホー。ロバート君。どうせ今マーブル・ホーネットの本拠地にいるんだろ?』

 誰にも言わずにきたのだが、やはり魔人に隠し事はできないとため息が漏れる。

「わかっているのなら、なぜ止めるのです?』

『んー。ジェフ君を信じているからねー』

 事実だろう。クリスは会社の中で一番滅茶苦茶言う人間だが、無理なことや後々大きな悪影響が出るようなことは絶対にやらせない。

「ですが、私が中に入ることを止める理由にならないのでは?」

『ダメー。ダメダメダメダメダメ絶対ダーメー』

 ロバートとしては珍しく、苛立ちを覚えながら反論する。

「このままではジェフ君が危険では?」

『君たちはね、強すぎるんだ』

 短い言葉だったが、十分すぎる理由だった。そんなこともわからなくなるくらい、自分は冷静さを失っているらしい。つくづく弟子思いの師匠だと自嘲する。

「ああ、なるほど・・・・・・」

『うん。だからジェフ君一人に任せようぜ。彼は魔力量が馬鹿に多いけど、扱いの才能はないからね。もう最悪レベル。アルターエゴを制御してようやく人並みの八分目――それがいいんだ。特に、祭壇があるこの状況だからこそね』

 ロバートはため息を一つ漏らして、応える。

「わかりました。しかし、ジェフ君の身に何かあれば――」

『その時は、気が済むまでサンドバックになってあげる。ハンコック君も呼びなよ』

「吐いた唾、飲まないでくださいよ?」

『おー恐いね。デルタフォースって、みんなそうなの?』

 古巣への侮辱に反論しようとしたところで、今度は倉庫の反対側――カズィのいるあたりから破砕音が響いた。

『まあ、メドゥーサの顕現に対策してないわけないよねー。君は――』

「ええ、ミスタ・ベイの救援に向かいます」

 言って、スマートフォンをポケットにしまうよりも早く、身体強化を発動し、助走をつけて倉庫の屋根を飛び越える。

(頼んだぞ、ジェフ君――)

 眼下で奮闘する孫弟子に心中で呼びかけながら、ロバートは無数のゴーレムがひしめく戦場に身を投じた。



「メドゥーサ・・・・・・」

 ジェフは、告げられた名前を呆然と呼び返す。

「そう! 私はメドゥーサ! よろしくね、ジェフリー!」

 目を爛々と輝かせるその表情は、ひどくダウナーな印象を受けるクローディアと同じ体とはまるで思えなかった。

「クローディアは・・・・・・」

 呆然と言うジェフに、メドゥーサは頬を膨らませる。

「女の子の前で、他の女の名前を出しちゃダメでしょう? でも、そんなところも――」

 言いながら、彼女の膝がかくんと崩れる。

 ジェフは慌てて、祭壇に上がり、彼女が頭を打つ前に助け起こす。

「だ、大丈夫か・・・・・・?」

 自分の言葉がクローディアに向けてのものか、メドゥーサに向けてのものか分からず尻すぼみになる。

「さっき首を切られて、血を流しすぎたみたい。でも、大丈夫だから。ほら――」

 切られた首筋を見せるられるが、そこには血の汚れはあるが、傷一つ残ってなかった。

「――だから、この体は無事よ。ジェフリー。輸血はギリギリ必要ないくらい。ほうれん草でも食べてれば回復するわ」

「よかったぁ・・・・・・」

 ジェフは安堵の声を漏らし、彼女をゆっくり座らせてやる。

 そのまま腕を放そうとすると、パーカーの袖をメドゥーサに掴まれる。

「えっ、あの、クローディア――じゃない、メドゥーサさん? 何を?」

「ねえ、ジェフ――」

 続く言葉は、完全にジェフの想像の埒外だった。

「――キスしよっか」

「・・・・・・・・・・・・えぅ?」

 目が丸くなって声が裏返る。

 何を言われたかを理解するのに、十秒以上かかった。

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