3-6 アルターエゴ

「い、く、な……」

 頭を殴られて揺らぐ視界の中、クローディアを見据えてジェフは声を絞り出した。

「ごめん」

 しかし、返ってきた言葉は、今一番聞きたくない言葉だった。

(畜生……)

 毒づいたところで、何も覆らない。クローディアは目の前で連れ去られて、それで終わってしまう。

 結局エリックのいう通りだ。クローディアを助けても、結局は彼の手のひらの上。ぬか喜びしたタイミングで無力化され、この有様だ。

(畜生……)

 どれほど毒づいてもこの悔しさと無力感、そこからくる自分自身への強い怒りと、マーブル・ホーネットへの憎悪は晴れるどころか募る一方だ。

(僕が、せめてまともに魔力を使えれば……)

 そう心中でつぶやいた時、時間の感覚が大きく引き伸ばされた。

 そして、声が聞こえる。

 ――あーあ。情けねえなぁ

「やめろ! お前は引っ込んでろ!」

 ――そりゃああんまりじゃねえか。俺は、いつだってお前のしたい事をするんだぜ? お前が逃げてからな!

 嘲笑する声に、ジェフは声をあげる。

「やめてくれ! 僕はお前なんか望んじゃいない! お前がすることは、いつも僕を――」

 ――ヒャハハハハハハハ! 情けねえなオイ! 自分のやるべきことから逃げて、自分の中にいる俺からも逃げるってか?? 笑えるぜ!

「それでも――」

 ――もういい、黙ってろ。こっからは俺の時間だ。俺は、お前のやりたいようにやってやる

 その言葉を最後に、時間の感覚が戻る。

 体は立ち上がり、これまでと比べ物にならない出力で身体強化を発動。相手が気づくよりも早く、構築でツイストダガーを形成し、手近なエリックの私兵の方に突き刺すと、その体を蹴り飛ばした。

「ヒィイイイイイイイイイヒャハハハハハハハハハハハハ!」

 口からは、叫んだ覚えのない絶叫が溢れる。

 アルターエゴに体のコントロールを乗っ取られた、いつもの感覚だった。



「そうだ。あれが、アルターエゴ症候群の発作だよ」

 エリックはクローディアの問いに答える。

「そんな……。あんなの、まるで――」

 クローディアは「怪物じゃない」と言いかけて言葉を飲み込んだ。かつて自分を苛んだその言葉を、他人に、ましてや自分のために傷ついたジェフに向けるのは、違うと感じたからだ。

 しかし、眼前のジェフは、見るからに査証力の高いナイフをエリックの私兵に突き立て、或いは小銃ごと相手を蹴り抜いて吹っ飛ばしている。それこそ人間性を一切感じさせない暴れ方だ。これを怪物と言わずになんと言えばいいのか。

 既に三人がやられたのに、エリックは依然として冷静にクローディアに解説を続ける。

「アルターエゴ症候群の発作は二通りの原因がある。魔術と感情だ。魔術の方は、使い続けることによって、汚染されてない魔力を使い切り、アルターエゴ化した魔力を使い始めることで体を乗っ取られる」

 エリックの部下がまた一人、脚にツイストダガーを刺されて崩れ落ちる。

「対して感情の方は、アルターエゴ症候群の罹患者が契機となった感情を強く抱くことで発言する。記録によれば、ロスに来てからのジェフリー・バックマンはそのパターンが多いようだ。よほど自分が許せないようだね」

「そんな……」

 コーヒーショップで見た、ジェフの目に宿った暗い物は、やはり自分を縛り付ける物だったのかと、今になって知る。なるほど、ニコールの言う通り、自分と彼は似た物どうしなのかもしれない。今更それを言ったところで、どうにもならないのだけど。

「ジェフリー・バックマンの顔がひどく変わっているだろう?」

 エリックが指差す先では、私兵四人が並んで小銃を撃っていた。しかしジェフはそれを回避し、右端の一人の方にツイストダガーをねじ込んで、痛みに怯んだ彼を殴り飛ばす。巻き込まれて怯んだ三人は、すぐに姿勢を立て直そうとするが、しかしジェフは素早く手近なものから順に蹴飛ばし、殴り倒して無力化していく。

「あの顔は、ジェフリー・バックマンがアルターエゴ症候群を患った時の顔だ。不思議な病気でね、発作が起きると罹患した時の姿になって、感情を撒き散らす。それこそ老人が幼い頃の顔になって気絶するまで泣き喚くということもあったそうだ」

 であれば、あの顔は、ジェフが上級生にやられた傷そのままなのだろう。

「ひどい……。なんであんなことが……」

 頭全体を焼かれ、口を裂かれ、跡が残らないほどちゃんと治療を受けてもその頃に引き戻される。クローディアはジェフの抱えた憎悪と怒りに、悲しみを覚える。同時に、彼を痛めつけた上級生たちへの憎悪も。

 奇しくも、ジェフが彼女自身の資料を読んだときと同じ反応だった。

「さあ、終わったようだ」

 ジェフは飛び上がって、最後の一人に組んだ両手を振り下ろしていた。

「アンタは……」

 エリックの静かな物言いに、クローディアは苛立ちを覚える。

「なんだい?」

「アンタは何も思わないの? 仲間がやられてるんでしょう??」

 その質問に、エリックは驚いたように目を見開く。

「意外だね。君がそんな質問をするのか。RCIで過ごして、変わったようだ」

 そのまま愉快そうに口を歪めると、エリックは静かに言い放つ。

「その質問の答えはね、『何も感じない』、だ。彼らの替えはいくらでも聞く。それに――」

「くたばりやがれええええええええええええええええ!」

 その言葉をかき消しながら、ジェフがツイストダガーを手にエリックに飛びかかる。

「この程度の相手にやられるようなら、死んでくれた方がありがたい。無駄な金を払わなくて済むからね」

 エリックはゆらりと左手をジェフに伸ばす。その五指の先から触手が伸び、ジェフの頸に絡みつく。一瞬は締め上げたが、しかしすぐに切り払われる。

 ジェフは着地し踏み込むとエリックめがけてツイストダガーを構える。

「ほら、これで終わりだ」

 エリックがそういうと同時、ジェフはぐらりと倒れ、突進の衝撃そのままに転がって、仰向けになって止まった。

「ジェフ――ジェフ!」

 駆け寄ろうとするクローディアの肩をエリックが掴む。

「よしたまえ。あれは、もう長くない」

 ジェフの顔は徐々にアルターエゴから解放されていている。しかし、肌からは一気に血の気が失われ、代わりに赤紫色の発疹が浮かんでくる。

「何あれ――」

病毒(イルネスの魔術を見るのは初めてかい? まあ、禁術なんてそうそう見る機会もないか。――さて、クローディア・メルヴィル」

 クローディアの鼻先に、エリックが触手を伸ばす。

「君はそろそろ寝る時間だ。大丈夫、彼のように死にはしない」

「い、いやッ……」

 クローディアが短く悲鳴をあげると、突如、吹き荒れる暴風に吹き飛ばされた。

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