3-5 罪の目覚め

「じゃあ、アンタが……」

クローディアはエリックから目を離せないでいた。

母親から自分を買った人物。そう思うと、目を逸らしたいのに逸らすことができない。

「その通りだ。結構安かったよ。愛されてなかったんだねえ」

露骨な嘲笑に、傷付くことも起こることもしなかった。ただただ恐怖だけがあった。

「ああ、それはいい。これからは、私が君の命を有効活用してあげるからね。ところで――」

エリックはジェフの傷を踏みつける。

「――初めて魔術で人を救った感想はどうだね? 私の手の平の上とも知らずにね。まったく、劣等感がある人間は扱いやすい。ほんの少し成功体験を与えてやれば、あとはいくらでも思い通りにできるんだからね」

「がああああああああああああああッ!」

 絶叫が響く。エリックはそれに聞きいるかのように耳をすまし、続きを催促するように傷を踏み躙る。

「やめて!」

声を上げるが、足を止めることなくエリックは意地悪く笑って言うだけだ。

「それなら、どうすればいいかわかっているだろう?」

 エリックがいうと、彼の背後に警備会社のトラックが止まる。しかしそのコンテナから降りてくるのは、小銃を抱えたエリックの私兵が八人。

「タイミングがいいね。もうすぐ終わるところだ」

エリックが彼らに言うと、私兵たちはエリックの背後に横一列に並ぶ。

「それで、クローディア・メルヴィル。君はどうする? もっとも、有効な選択肢がそうあるとは思えないけどね」

クローディアは顔を伏せ、目を動かしてジェフを見やる。

彼は、苦痛に歪んだ口を目一杯動かして、「逃げろ」と告げている。

だが、逃げたところでどうなるというのだろうか。

それに、このままではジェフの身がさらに危険に晒されるかもしれない。

そう考えれば、答えは決まっていた。

「わかった……。でもその前に、ジェフを助けるくらいはいいでしょう?」

「ああ、構わないとも。私としても、君のメドゥーサの力がいかほどのものか見ておきたい」

エリックはそう言って、ジェフの傷から足をどける。

「クローディア……」

 呼びかけるジェフの顔は決して見ないようにして、傷だけに集中する。見たところ、銃弾は足を貫通している。声がどんどん弱々しくなっているのを考えると、大事な血管が傷ついているのかもしれない。骨はどうかわからないが、足の傷を一旦ふさげば、後からどうとでもできるだろう。

クローディアは眼鏡を外す

「もういい……そんな奴らに、従うな、クローディア……」

荒い息の言葉を耳から追い払うように、短く言う。

「【治って】」

その一言が契機となった。

 ジェフの足の周りに広がっていた血溜まりが、その足に吸い込まれていく。それが終わったと思えば、ズボンについた血のシミもなくなり、傷が完全に塞がる。彼が撃たれたと証明するのは、ズボンに残る穴だけだった。

「すっ――」

エリックが素っ頓狂な声をあげ、そして叫ぶ。

「素晴らしいじゃないか! ステンノーやエウリュアレーなどとは格が違う!」

 その足元でジェフは、目を見開いて自分の脚をさすっている。自分に起きた変化に驚いているのだろう。いまだに立ち上がらないのは、クローディアにも認識できない怪我が足に残っているのか、或いは痛みの残滓によるものか。

 しかし彼は、そのままノーモーションで構築と身体強化を発動――タクティカルナイフを形成し、エリックの太ももめがけて突き立てようと振りかぶる。

「やはり馬鹿は馬鹿か。せっかく命を拾ったのにね」

しかし、私兵に銃を頭に突きつけられて止められる。

「いやあ、本当に君は素晴らしいね、クローディア・メルヴィル。それじゃあ、行こうか」

エリックにのばされた手を握ろうとクローディアは手を伸ばす。

「そっちに行っちゃダメだ! クローディア!」

「黙れ!」

 止めに入ったジェフの頭に、私兵の銃把が叩きつけられる。せっかく立ち上がったばかりなのに、彼はすぐに呻き声をあげて地面に臥してしまう。

「まったく、元気になった途端にうるさいな。もういいだろう――殺せ」

「待って、話が違う!」

クローディアの抗議に、エリックは小馬鹿にしたように笑うだけだ。

「違わないさ。さっきはジェフリー・バックマンを治すことを許可しただけだ。殺さないとは言ってない」

そう嘯くエリックに歯噛みして、クローディアはジェフを振り返る。

私兵たちが小銃を構えていた。誰か一人が声を上げれば、迷わず引き金を引きだろう。

「【やめて!】」

 視線を私兵たちに向けて、能力を使う。使い慣れていないから、魔力の消耗が激しく、一瞬強い虚脱感に襲われたが、なんとか踏ん張って、正面を見据える。

 彼らは八人全員が、銃を下ろして回れ右をしてこちらへ振り返っていた。その表情は、なぜ自分たちがこんなことをしているのかという困惑だ。

「なるほど。個人の行動にすら作用するのか。まったく実に素晴らしい」

エリックは愉快そうに言うと、私兵たちに指示を出す。

「これ以上駄々をこねられても面倒だ。ジェフリー・バックマンは捨て置いていい。撤収だ」

 促され、トラックのコンテナに入る直前、クローディアはもう一度ジェフを見た。

「い、く、な」

朦朧とした目でこちらを見る彼の口は、依然としてそう言っていた。

「ごめん」

短く、彼に聞こえるかもわからない声でそう言うと、ジェフは顔を伏せる。

それ以上彼を見ていられなくて、クローディアはジェフから視線を外す。

だが、彼女はすぐに振り向くことになった。

「ぐぎゃああああああああああああああああ」

叫び声をあげたのは、コンテナに入り込む列の最後尾にいた私兵だ。

全員が振り向くと、彼の肩には丸いグリップの刀身が捩れたナイフが突き刺さっていた。

直後、その体が呻き声とともに真横にすっ飛んだ。

代わりにそこに立っていたのは――

「ジェフ……なの?」

 白いパーカーに、オリーブグリーンのカーゴパンツと黒地に赤いラインの入ったバスケットボールシューズという服装でそう判断した。しかし、顔はまるで別人だ。

 黒く焦げた髪に、重度の火傷のように白く爛れた肌にはギョロリと見開かれた目が埋め込まれ、口は耳元まで裂けていた。

「ヒィイイイイイイイイイヒャハハハハハハハハハハハハ!」

その口から響く狂的な笑い声は、到底ジェフのものとは思えなかった。

「なるほど、あれが彼のアルターエゴか……」

応戦する部下を見ながら呟くエリックの言葉を、クローディアは聞き逃さなかった。

「アルターエゴ? ジェフが罹患した病気の……?」

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