3-4 危機一髪
ボーマン捜査官とその相棒の車に乗り、ジェフたちはハリウッドを脱出しようとしていた。しかし依然として、暴動は続いている。
ジェフは窓の外を眺めているが、隣に座るクローディアはずっと俯いている。
「……」
何も言わない彼女が、何を考えているのかはわかった。
自分が外に出たせいで、こんな事になったのかと自分を責めているのだ。
だから、かける言葉は決まっていた。
「君のせいじゃないよ」
クローディアは顔を上げ、ジェフを見る。その表情は、さっきのコーヒーショップでのものとは違い、ひどく憔悴しているようだった。
「君のせいじゃない。悪いのは、マーブル・ホーネットだ。君が責任を感じることなんかじゃない。感じちゃいけない」
だが彼女は黙ってうなずくだけだ。その姿に僅かに同情を覚えるとともに、犯人グループへの怒りも湧いてきた。
(……あれ?)
怒りが湧いてきたと言うのに、不思議とあの声が――アルターエゴの声が聞こえない。
(なんでだ……)
怒りを一瞬上回るほどの困惑に、小さく首を傾げるが、それで答えが出て来るほどジェフの頭は良くない。その疑問は傍に置いておいて、目の前の事態に集中する。
「おい、なんだあれ?」
助手席に座るボーマンの相棒がRCI本社ビルの方を指さす。そこには、南北から四機ずつ、計八機の戦闘ヘリが飛来していた。
「……!」
クローディアは息を飲む。しかし、ジェフは――
「なーんだ。あんなもんですか。ボーマンさん、早く連邦捜査局に行きましょう」
至って泰然自若としていた。
「何言ってんの?」
クローディアが声を張り上げる。
「あそこにはニコールが、ハンコックだって……。心配じゃないの?」
「うん」
即答するジェフに、クローディアは汚らわしい物でも見るかのように表情を歪める。
「ジェフ君、ハンコックの指導が厳しいのは知っているが、それはいくらなんでも薄情――」
ボーマンの言葉をかき消すように、RCI本社ビルにミサイルと機銃が発射される。
「……」
クローディアの表情が絶望に染まる。
しかし、それでも、依然としてジェフは怯える様子ひとつ見せない。
そして、爆煙が晴れると、RCI本社ビルがその姿を見せる。一切傷はついておらず、赤い燐光に包まれている。
『テロ攻撃を感知しました。これより、RCI本社は対テロ防護モードへ移行。術式精霊の家を発動。屋外の市民の皆様は、急いで近くの建物へ避難してください。この措置はカリフォルニア州魔術犯罪取締法に準じており――』
搭載されていた無線機から、電子音声が響くと、街全体が赤い燐光に飲み込まれていく。
直後、地面から血に似た色の結晶の杭が伸び、南側にいたヘリを全て串刺しにしていく。
同じく、北側では一機のローターが吹っ飛んだのを皮切りに、テイルムーブをもがれ、或いは装甲を剥がされてコントロールを失いヘリが落ちていく。最後の一機は逃げようとして訳の分からない軌道を描いて本社を離れていく。
「……え? 何? え? どういう、こと?」
「言ったでしょ? 心配しなくていいって」
肩を竦めるジェフに、クローディアは目を白黒させる。
「こっからじゃ見えないけど、北側が師匠で南側がカズィさんだね。わかりやすいなぁ」
「ハハハハ――すごいなぁ……」
ボーマンが呟くのを、ジェフは聞き逃さなかった。同時にダウンタウンに入った車窓を見て、違和感を覚える。
「ボーマンさん、この車、どこへ向かってるんですか?」
「なんで急にそんなことを――」
彼の声は少しうわずっているように聞こえた。
「連邦捜査局に向かうのなら、今の道は左ですよね? なんで曲がらなかったんですか?」
「そりゃ、この暴動だよ? 回り道をね」
「さっきの道は、静かでしたよ?」
ジェフの指摘に、ボーマンの相棒がジェフの顔を覗き込んでいう。
「おい、いい加減しつこいぞ」
サングラスをかけたその目は伺いしれないが、苛立っているのは明らかだった。
その様子に、ジェフの直感は、この状況の危険性を訴える。
彼は頭は悪いが、スポーツに長く親しんだおかげか妙に勘がいい。ホームスクーリングのテストでは、選択問題だけは正答率九割を超える。もちろん理解はしていない。
「僕が合図したら、首に力を入れて」
クローディアに小声で言って、ジェフは相棒に向き直る。彼女は驚いた様子でこちらを見るだけだったが、これ以上話している場合ではなさそうだ。
「ああ、そうだ。僕達、ボーマンさんのIDは見ましたけど、そちらのえーっと……。名前わかんないな。やっぱり、ID見せてもらってませんよね?」
その様子に、相棒の方はまた苛立った様子でジェフの方を向く。
「わかったよ。見せてやるから静かに――」
同時、ジェフはシートベルトを外して身体強化を発動。その顔面を殴りつける。車内に強い衝撃が走り、相棒はひしゃげた鼻から血を垂らし、意識を飛ばす。
「な、何するんだジェフ君!」
「ボーマンさん、あなた、偽物ですよね?」
「はあぁっ?」
喚くボーマンと無言で呆然とするクローディアはほとんど同じ顔をしていた。
「師匠がヘリを落として、『すごい』なんていう連邦捜査局の職員はいませんよ。大抵の人は『あの野郎、ヘリの残骸を誰が回収すると思ってやがる』って嫌な顔をします」
ジェフの指摘に、しかしボーマンは食い下がる。
「俺が言ったのは、カズィクル・ベイ氏にだ! ハ、ハンコックにじゃない」
「もういい加減、苦しいですよ」
ジェフの――いや、彼だけではない。青ざめているクローディアも、気絶する相棒の手を見ていた。スーツの内ポケットへ伸ばし、ジェフに殴られて衝撃で飛び出したそこには、拳銃が握られていた。
「見せて欲しいって言ったのは、IDなんですけどね」
「クソガキがッ……」
ボーマンはついに本性を現し、片手をハンドルに残し、自分の拳銃へ手を伸ばす。
だが、それは身体強化を使っているジェフには遅すぎた。
身を乗り出し、構築を使用――クローディアを包むように蛹型のクッションを作成。そのままボーマンの顔面を殴ると、その手をハンドルに回して、思いっきり右へ切る。
ボーマンの足がアクセルを踏んだままだったので速度はそのままに、車は歩道の段差に引っかかり横転――サンドイッチ店に突っ込むが、結界のせいで衝撃をもろに食らったのは此方だけだ。思いっきり蹴り飛ばされたかのように、車は横回転に転がり、上下逆さになるがそれでも衝撃は殺しきれず、車道を数十メートル滑ってようやく止まった。
それから少しして、ジェフはドアを蹴破って、車の外に這い出る。
そして反対側に回ると、ひしゃげたドアを剥がそうとするが、身体強化魔術を使っているというのにうまくいかない。
(まあ、やっぱり師匠みたいにはいかないよな)
自重の笑みを浮かべて、構築でバールを作ってようやくドアをこじ開け、クローディアの収まるクッションを引き摺り出す。
少し車から離れた所まで行って構築を解除すると、彼女は一気に急変した事態を受け入れられないのか、目を見開いて呆然としている。
「大丈夫?」
手を差し伸べてやると、彼女は感情が読めない声で答える。
「うん……」
そして立ち上がって、ひしゃげた車を見て、ようやく状況を理解した。
「そうだ! ジェフ! あんた……」
そう言って彼女はジェフの全身を見るが、服が汚れた以外に特にダメージを負っていないことを見せてやると、深くため息をついた。
「よかったぁ……。でもなんで――」
「うん? さっき言ったでしょ? あの人の言葉は連邦捜査官ならあり得ないからね。それに、IDを要求した時に、迷わず銃に手をやるのが見えたから。僕そういうのわかるんだ。師匠に仕込まれたからね」
根拠を説明したのだが、クローディアは納得してないようだった。
「違う! そうじゃない! なんで、アンタだって危ないのに――」
そこから先は、声が震えていてよく聞こえなかった。
それでも、自分が示すべき答えはわかっていた。
「約束したから」
クローディアが顔を上げる。
「ほら、さっき約束したろ? 君が危ない目にあったら助けるってさ。まあ、頭悪いからこんな手段しか取れなかったけど。でも、うん。初めて魔術を使って人を助けることができたよ」
そんなことをしている場合ではないとわかりながらも、ついつい笑みが溢れてしまう。
そう、初めてだ。今までは碌に使えないか、暴走するか、その暴走の果てに人を傷つけてしまうかでしかなかった魔術で、生まれて初めて人を救うことができた。ジェフにとって、これほど嬉しいことはなかった。
「ねえ、これからどうするの?」
クローディアの疑問はもっともだ。街を包む精霊の家が発動している限り、建物の出入りは基本的に不可能だ。だが、例外はもちろんある。
「道を戻って連邦捜査局に行こう。ここからならそれが一番近い」
逃げ遅れた人間の保護はしないといけないし、結界が発動する原因を作ったテロリストや犯罪者には対応しなくてはいけない。そのため、市役所や捜査機関、消防の建物は職員でなくとも入るだけは可能である。
「わかった。アンタに任せる」
ブスッとした顔は相変わらずだが、クローディアの示した信頼に、ジェフはまた嬉しくなる。
意気揚々と一歩を踏み出すが、急に左脚から力が抜ける。
「なっ……」
そこから崩れ落ちて、カーゴパンツに血が広がっているのが初めて見えた。
「ギッ……」
血溜まりが広がるのに合わせて、熱さにも似た激痛がジェフを苛む。声を出すこともできず悶え苦しむ中、遅れて発砲音が響いて、自分が撃たれたのだと気がついた。
「スナイパーを置いておくのは、あくまで保険だったんだがね。まさか目的地にも着けずにここでリタイアするとは……。いや、君が我々の予想を超えて優秀だったのかな? ジェフリー・デイビッド・バックマン」
声が先に聞こえた。
次いで、何もない空間に光の輪が現れ、それが人一人は通れそうな楕円形に変わるともうと、今度はピンク色に発行する。その内側にはダウンタウンの光景を切り取って埋め込んだかのように、どこかのモーテルの部屋が見えた。
「エリック・サージ……」
ジェフはその中心で椅子に座るスーツ姿の男の名を呟く。
「ほう。私の名前くらいは知っていたか……」
ゆったりと立ち上がり、その輪を跨いで、エリックはこちらにやってくる。すると、一気に縮小してピンク色の火花を散らして、切り取られた光景が元に戻る。
「ふむ……一方通行で片道分だけとはいえ、なかなか優秀な触媒だったね」
エリックは満足げに言うと、ジェフを見下ろし、次にクローディアを見ると、酷薄な無表情から一転して笑みを浮かべる。
「迎えにきたよ。クローディア・メルヴィル。まったく、ダメじゃないか知らない大人についていっちゃ。おかげでロサンゼルスまで連れてこられて」
自分の言葉にユーモアでも感じているのか、エリックの声はどこか楽しげだった。
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