Chapter3. Alter Ego
3-1最期の平穏
クローディアがRCIに保護されて一週間が経過した。
聴取の作成は順調に進み、マーブル・ホーネットの構成員と思しき者からの接触もない。
こうなってくると気が緩んでくるものなので、勤めて緊張を保つ必要があるとジェフは思っていたのだが、そんな考えに反して、彼とクローディアの姿はハリウッドのショッピングモールにあった。
「なんで、こんなことしてんのかなぁ……」
「何? なんか文句あんの?」
ポツリと呟いては、射殺さんばかりの目線で睨まれる。
「いやあ、必要なことだとは思うんだけどね……」
クローディアがニコールにもらったお金で買い漁った商品の紙袋を大量にぶら下げた腕を持ち上げ、ジェフは頬を掻いて、なぜ自分たちが今ここにいるのかを思い出していた。
クローディアとメドゥーサのシンクロ率の高さは想像以上に危険な領域に差し掛かっており、それにはストレスの緩和が一番であった。
その結論に至るやいなや、ニコールは連邦捜査局とロス市警に警護させたうえでのショッピングを提案した。
ダミアン達が確実に嫌な顔をしそうな提案であったが、クリスはげらげら笑いながらそれを承認し、関係各所もすぐに首を縦に振った――振らされた。
クリスが彼らに何を言って交渉したのか、ジェフは知らないし、知りたくない。確実に知ったら公開するレベルの碌でもない話だからだ。
そして準備に一日をかけて、クローディアのお買い物が実行された。
二人の周囲は、朝RCI本社を出てから、地下鉄に乗っている間も、モール内のどの店を見ている時も、そして一休みでコーヒーショップに来た今も、私服警官と変装した連邦捜査官が周囲を固めている。
(里親のところに行くにあたって色々必要なんだろうけど、これに付き合わされて皆さんイライラしてないといいんだけどなぁ……)
心配しつつも、彼らは完全に周囲に溶け込んでおり、顔色を窺うこともできない。
「大丈夫かなぁ……」
ぽそりと口にした言葉に、クローディアが怪訝な顔をする。
「何よ?」
「ううん。なんでもない。それで、なんにする?」
「別になんでもいい」
「一番困る返答だなぁ……」
捜査機関を顎で使っていることと、こちらに一向に心を開かないクローディアにジェフの心は悲鳴をあげそうになっていた。
だからバカは気付かない。今まさにダミアンの言っていた通りの状況になっていることに。
向かい合う形で席に座る。ジェフは両腕に紙袋をいくつもぶら下げているのに、それにもかかわらず、コーヒー二つと焼き菓子とサンドイッチの乗ったトレーを持ってもバランスを崩す様子も、腕が疲れた様子も見せなかった。身体能力が高いのは本当らしい。
それぞれコーヒーをとって、ジェフはブラックのまま一口飲むと、「ふう。ちょっと疲れたなー」と呑気にいう。そして、「クローディアは平気?」とこっちに水を向けてきたので、「別に。このくらいで疲れるわけないじゃん」と目を逸らして答えておいた。
端的に言って、クローディアのジェフに対する感情は、いいものとはいえない。
生まれた街では、同世代の人間といえば、自分の蛇の髪を揶揄うだけならまだいい方で、石を投げるのは当たり前、大型犬をけしかけてくるし、ひどければ付け焼き刃の危険な魔術を撃ってくるものもいた。
反撃なんてしたこともない。したとしてもどうせもっとひどい目に遭うのがオチだ。あるいは、ただ自分を冷遇するだけだった大人たちが、本格的に参加してくるか。怪我は自分で治せるのは、せめてもの救いだった。
事実、誘拐される直前に、魔術の発動に失敗して子供が大怪我を負ったのは、クローディアのせいだと言いがかりをつけられ、誰も――保安官ですら――大人たちはそれに異を唱えなかった。助けられたのは結果論だが、誘拐されたのはむしろラッキーだったのかもしれない。
もちろん、ジェフが護衛と言う点を除けばだが。
最初はどうでもいいと思っていた。しかし、彼はあまりにも泰然としている――しすぎている。今まで自分の周りにはいなかったタイプの同年代だ。
自分にひどいことをするでもない。大人たちの点数稼ぎをするにしても趣味を優先して怒られていることが多い。わざとひどいことを言ってやれば、ヘラヘラ笑うだけで反論もしない。
そんな奴に、クローディアが思うことはただ一つだ。
(こいつ、一体何企んでるの?)
それを疑いだすと、もうジェフに対しては「地元の人間よりもタチの悪い同年代」と言う感情しか抱けなくなった。
そんなクローディアの気も知らず、ジェフは「あー、しんどい……」と気まずそうな顔でキョロキョロ周囲を見回すと、「いやいや、わかるわけないか……」と今度は自重して頭をふる。情緒不安定で、見ていて怖いくらいだ。そのくせ――
「どうしたの? 飲まないの? ここのコーヒー美味しいよ?」
こっちにものを言う時には、妙に優しげな表情になる。クローディアにはそれがたまらなく恐ろしかった。同年代の人間が、なぜそんな顔を自分に向けるのだろうかと。
「別に、自分のタイミングで飲んでもいいでしょ?」
「うん。まあ、そうなんだけど……」
答えてみれば、釈然としない様子で口籠もるその姿は、なんとなくさらに腹が立つ。
それから会話するでもなく、ジェフは周囲を見ながらソワソワして、クローディアはニコールに与えられたスマートフォンをいじっている。これまで周りの人間がいじっているのを見たことはあるが、自分で触るのはまだ慣れない。
とりあえず、RCIについて調べてみる。オフィシャルホームページによれば、訳六〇〇年前に設立された魔術結社、薔薇十字団を母体に、一九四七年に設立されたらしい。元々の団体が魔術による人類への救済を掲げ、福祉活動や医療の提供を行ってきたようだ。現代でもその主観産業は医療福祉分野であり、都市部には医療部の運営する総合病院が最低一つはあり、医薬品や医療機器なども含めれば、どんな寒村の診療所だろうと、RCIの技術が使われていない医療現場はないと言えるほどだ。
(そういえば、私が目を覚ましたのも、ルイストンのRC総合病院だったっけ)
あの時はまさか、肌寒いメイン州から、温暖なロサンゼルスに移されるだなんて思っても見なかったけれど。
次いで、なんとなくブラウザの検索バナーに「Jffey Bachman California」で検索をかけてみた。
思えば、彼の存在は相当に胡散臭い。
全国にまたがる大規模なPCSに、なぜ彼のような未成年が所属し、あまつさえ自分の護衛を務めているのか。その理由がわからない。
「嘘……。何これ……」
検索結果の最初に来たのは、数年前のニュース記事だ。見出しは、「オレンジ郡アーバインの名門魔術学校で、アルターエゴ症候群罹患者による殺人未遂事件」とある。
「アルターエゴ……」
その言葉には、聞き覚えがあった。ジェフと初めて会った時に、彼やクリスが口にしていた言葉だ。
それがなんなのか知ろうと、そのリンクをタップしようとすると、不意にジェフが口を開く
「何みてるの?」
その声は泰然としていた。しかし、なぜだか知ってはいけないモノを目の当たりにしてしまったかのように、クローディアの体は硬直してしまう。その隙を突くように、ジェフが身を乗り出して、スマートフォンの画面を覗き込む。
「あっ……」
なぜだか、見られてはいけない相手に、最悪なものを見られてしまった気がした。
ふと、ニコールの言葉を思い出した。
――彼も、いろいろ抱えているということです。自ら望まなかった危険なものを。ある意味では、それは神代の系譜よりも悍ましいものかもしれません
もしも、それが本当ならば、そのヴェールを暴こうとした自分はどんな目に遭うのか――クローディアの精神は、シュルバンスで受けた迫害の記憶の濁流に飲まれていた。
「あー……」
ジェフは、ただそう言って、体を椅子に収めた。その表情は、気まずそうというか、申し訳なさそうというか、とにかくクローディアの予想とは大きく外れていた。
「えーっと、言ってなかったっけ?」
申し訳なさそうに、頬をかきながら、ジェフは尋ねる。
「何を?」
「僕、犯罪者なんだよね。魔力暴走に、殺人未遂と建造物破壊。全然、隠してたってワケじゃないんだけど……」
ジェフはテーブルの下に収めていた左足を少し外に出す。
「足首、少し不自然に膨らんでるでしょ? これ、GPSなんだ。ロサンゼルス郡から外に無許可で出ると、即座に刑務所行きになるんだよね」
「なんで? どうして……」
どんどん話が理解できない方向に向かっていく。目を白黒させていると、ジェフは「えーっとね」と少し考え込む。彼自身、どこから説明したらいいものかわからないようだ。
「ああ、そうだ。未成年魔術犯罪者保護養育制度って知ってる?」
それならば学校の授業で聞いたことがある。合衆国憲法修正第三〇条に明記された、未成年が魔術、あるいは魔術的な特異体質を意図せず暴走させて被害を発生させて有罪が確定した場合、その背景を調査し、裁判所が認めればPSCにおいて魔術教育を受け、必要に応じてその業務を手伝うことで、社会奉仕に駆り出すことができるという法律だ。それを黒板に書き出した教師は、「まあ、人間に向けた制度で、化け物には適応されないけどな」とこっちを見て言い、周りの生徒たちはゲラゲラ笑って不愉快だったから、よく覚えている。
「まあ、授業でやるくらいなら」
「じゃあさ、アルターエゴ症候群は?」
「それは、知らない……」
「うん。魔力量が普通の人の百倍以上あると発症する精神疾患でね、強すぎる感情を抱いた時に、体内の魔力がそれに汚染されて、擬似人格を持つことがあるんだ――」
一旦、言いにくそうに言葉を区切るジェフの目は、申し訳なさそうにする表情に反して、自己嫌悪に暗く染まっていた。
「――そして、僕はその罹患者なんだよ。起源は憎悪や怒り。まあ、碌なモンじゃないよ。そんな事件を起こすくらいだしね……」
「どうして……?」
憎悪も怒りも、普段のジェフから到底想像もできない感情だ。ましてや、三十人近くの人間に対しての殺人未遂事件なんて、結びつける方が難しい。そんなものを抱えているのなら、なぜ自分に向かわないのか、クローディアは疑問でならなかった。
「うん。僕は、双子の弟のリウと一緒に、ハーグリーヴス魔術学園っていう名門魔術学園に入学したはいいんだけど、魔力量が多いだけの僕と違って、本当に優秀だったリウは飛び級で入って、成績も良かったから、上級生に目をつけられて、ひどいいじめを受けたんだ」
ジェフは一口コーヒーを飲んで続ける。
「それを僕が見つけた時に、上級生と何も気づかなかった自分自身がどうしようもないほど腹立たしくなって、大立ち回りを演じたはいいけど、それでもやっぱり年上が十人以上いたら勝てなくてさ、それで僕もやられて、無力感が怒りになった時、アルターエゴが生まれたんだ」
「それで……」
記事はまだ見出ししか見ていないが、クローディアは大方の予想がついていた。
「そう。そいつらと、止めに入った友達や先生、それに、弟を深く傷つけてしまった」
だが、ジェフの答えはクローディアの予想を遥かに超えて遥かに凄惨だった。
「死人が出なかったのは、奇跡だったようだよ。あの時ほど才能がないことに感謝したことはなかったね」
ジェフは冗談めかしていうが、クローディアはそんな彼の姿に、自分の部屋としてあてがわれた真っ暗な納戸で、蛇の髪に対して「こんなもの欲しくなかった」と泣く自分のこと姿と重なって見えた。
そこで、ようやくニコールの言葉の意味を理解した――自分が、ジェフにどれだけ愚かな感情を抱いていたかも。
「それで、偶然アーバインに来ていた師匠が事態に気付いて、僕を止めたってワケ。そのまま殺人未遂で起訴されて、未成年魔術犯罪者保護養育制度でRCIになったんだ」
「ひどい……」
あるいは、それは自分のイフだと感じていた。もしも、学校で、街中で、メドゥーサの能力を濫用していたら、自分もPSCに保護されていたのだろうか。もっと早くそうしていたら、誰かが助けてくれていたのだろうか。
「でもまあ、マシな結末だったよ。SNSやネット掲示板では学校を退学になった上級生やその家族が被害者ヅラして、報道されてない僕の個人情報ネットに晒しまくってるらしいし。でも、弟が飛び級を繰り返してそれから一年して大学に入ったっていうのと、主犯格の四人は退学どころか少年刑務所に入ったから、文句を言う気はないけど」
「……」
かなり重たいカミングアウトに反して、ジェフの口調は軽い。この件については本当にそう思っているのか、話しているうちに目に光が戻っていた。
「ねえ、クローディア――」
「な、なに?」
急に正面から見据えられて思わずびくりとしてしまう。
「君は、まだなにもしてない。せずにこれた。君は強いよ。それに、優しい」
不意に告げられた言葉に、クローディアは思わず固まる。気恥ずかしいのもあるが、それ以上にさっきの考えを見透かされたのではないかと思った。
それに気付いているのかいないのか、ジェフは続ける。
「それでいいんだよ。普通はどっかでやらかすって」
後半は、妙に実感に溢れていた。
「でも、君は何もせずにシュルバンスから出れた。新しい場所に行けるんだよ。だから――」
ジェフは不意に言葉を詰まらせ、頭を掻き始める。
「安心してよ。君の居場所は僕が守る。君を化け物呼ばわりするやつは許さないし、君が危ない目にあったら絶対に助ける。約束するよ」
今まで、誰からも言われたことのない言葉だった。
これまで、ずっと誰かに言われたい言葉だった。
それを目の前の頼りなさそうな少年に差し伸べられて、少しだけ彼の印象が変わって、クローディアはなにも言えなくなってしまう。
「バカじゃないの……」
言葉を見失った代わりにそう言って、クローディアはコーヒーを一口飲んで――
「ンガッ……」
美少女にあるまじき声を漏らし、禄に使ったことのない表情筋を総動員して顔を歪める。
「なにこのコーヒー……」
コーヒー自体は飲んだことがないわけではない。しかし、母親が機嫌のいい時に気まぐれに入れてくれたそれは、もっと甘くて飲みやすく、色も黒というより茶色だった。ただ砂糖とミルクを入れないだけでこんなに違うなんて、まるで想像もしていなかった。
「ブフッ! あー、もしかして、ブラック飲めなかった? ほら」
ジェフからミルクとガムシロップを渡されるが、クローディアはそれを無視してジェフを睨め付ける。
「今、笑ったでしょ?」
「わ、笑ってナイヨブフ!」
言い訳を言い切らないうちに、やはり爆発する。
「ほら笑った!」
「い、いやだって、クローディアの表情が普段と違いすぎて……」
ジェフはもう笑いを堪えているのを隠そうともせず、腹を抱えて突っ伏して笑っている。
「普段は可愛いのに、猿の赤ちゃんみたいな顔になるんだもん……。笑っちゃうよ……」
いい加減本気で腹が立ってきたが、思いもよらぬ言葉に毒気を抜かれる。それどころか、体から力が抜けて顔が熱くなる。
「な、なっ……」
喉が痙攣したみたいに、「なに言ってんのあんた」という言葉をいうことができない。ずっと周囲から化け物としか言われてこなかったのに、急にそんなことを言われても反応に困る。
「バ、バカじゃないの! ブラックくらい飲めるし!」
代わりに出たのは、いつもより強めの悪態だ。そして、コーヒーを一口。また「ンボォ」と声が漏れて、顔が歪む。胃が爛れる不快感に襲われる。
「わ、わかったよ。僕が悪かったよ。やめよう。もうこれ以上は誰も得しないから……」
涙を浮かべながら笑いを堪えて言われても、説得力は皆無だ。
「ほら、僕もガムシロとミルク入れるから。ね、僕に付き合ってくれない?」
言いながら自分のコーヒーに砂糖とミルクをぜていく彼に続く。
そして二人同時に口をつける。
今度はちゃんと飲めた。
一瞬、コーヒーを淹れてくれた時の母親の姿を思い出した。あの時の笑顔は、ただ機嫌がよかっただけなのだろう。事実、彼女はどこぞの犯罪組織に自分を売ったし、それ以外で与えられた食事は同世代に比べて遥かに発育が悪くなるほどひどいものばかりだった。
だが、それはもう思い出すことはないだろう。ジェフのいう通り自分はもう、シュルバンスを出たのだ。
そして何より――
「あっまぁ! 甘っ! なにこれ!」
さっきの自分自身を笑えないほど表情を歪めるヘタレが、目の前で大騒ぎしている方が、よほどインパクトが強い。
「甘いの苦手なの?」
意趣返しとばかりに聞いてやる。
「あー、うん。カッコつけたけど、正直苦手通り越して、無理。ケーキやアイス食べたら吐いちゃうし、チョコレートもカカオ八〇パーセント未満のやつは匂いも嗅ぎたくない……」
「そう。頑張ってね」
そう言うと、顔を歪めたバカはガクガク震えながら、「まだ怒ってるじゃんかぁ……」とぼやきながらたっぷりのコーヒーに挑む。
正直、全く怒っていないのは黙っていることにした。むすっとして見えるのだろうけど、これはそういう顔なのだから仕方ない。
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