2-6 眠れる悪意
――いい人だったわねぇ。あの蛇人(ラミア)。
すっかり空も暗くなった連邦捜査局からの帰り道、頭の中の声がクローディアにささやく。
――きっと幸せに生きてきたのね。私たちはああはなれないわねぇ。
答える前に、クローディアは驚いていた。昨日まで――いや今日の行きの道までに比べるとはるかに頭の中の声の語彙力が上がっている。
(なんで、急にこんなに・・・・・・?)
――あなたが、私に近付いたからよ。うれしいわぁ。
(何がそんなにうれしいの?)
――私は生前誰にも理解されなかったもの。ステンノーやエウリュアレー、グライアイ達以外にはね。でも、みんな殺されたの。私を殺した人間(ペルセウス)にね。
他者と温かみのある環境を気づけなかったクローディアに、喪失の痛みも辛さも理解はできなかった。しかし、孤独の痛みは、迫害される苦しみならばよく理解できた。
(そう・・・・・・)
しかしそれをうまく言葉にできず、クローディアは心中でそう呟くだけだ。
――でも今はいいの。あなたがいるもの。あなたがいれば、私はいつか外に出られる。
(そうなんだ・・・・・・)
それが何を意味しているのか理解はできるが、それでどうなるかは興味がわかなかった。
――いいの? あなたはあなたでなくなるのよ?
(どうでもいい・・・・・・。だって、私は――)
「クローディア? 大丈夫?」
ジェフに不意に声をかけられて、頭の中の声が消える。
「大丈夫よ。何。もう着いたの?」
感じるのは不快感だ。クローディアは饒舌になったあの声に、親近感を抱いていた。彼女の言葉に喜びを覚えていた。孤独の中で理解者を得ることができたのは、それだけ大きかったのだ。あれが何者なのかは、この際どうでもいい。
「そうじゃ無いけど、なんか様子が変だったから」
そんなことで呼び止められて、苛立ちが募る。
「ちゃんと歩いてる。変に気を使わなくていいから」
「いや、疲れてるんじゃない? なんかボーッとしてるし」
「ちゃんと歩いてる。誰にもぶつかってないし」
少し向きになって答えるが、ジェフはため息をつく。哀れんでいるのか呆れているのか、とにかく腹立たしい。
「それはね、君にぶつかりそうになった人がみんな避けてくれたからだよ」
「ッ・・・・・・!」
あの声との会話の間は周りが見えていないらしい。
(どうせなら、一人の時に声をかけてくれればいいのに・・・・・・)
心中で恨み言を吐いても、声は答えてくれない。
「それとも人に酔った? どっかで休む? もう少し行ったところに、ウチの社員がよくいくカフェがあるんだけど――」
ジェフは穏やかに言うが、苛立ちとバツの悪さで言葉がキツくなる。
「そんなんじゃない。どうでもいいでしょ?」
「どうでもよくないよ。心配になるって」
心配――自分の人生でもっとも関わりのなかったその言葉が、妙に鼻につく。
「バッカじゃないの・・・・・・!」
溜め込み続けてとうとう溢れ出した感情を投げつけられても、ジェフは不快感を示す様子もない。それどころか、困ったような笑みすら浮かべている。
初めて会ったときのヘタレっぷりからは想像もつかないその余裕のある態度がさらにむかついて、クローディアは堰を切ったように言葉を吐き出す。
「アンタ、なんなの? なんでそんなに余裕なわけ? なんで最初あったときみたいに怯えてないの? 私を馬鹿にしてる? そうでしょう?」
支離滅裂な言葉を吐いている自覚なんてなかった。ただ苛立ちをジェフにぶつけていた。
「そりゃ、君を怖がる理由なんてないしね」
「私はメドゥーサ! みんなは私を怖がって、怯えて、石を投げた! だから、アンタも、RCIも、連邦捜査局も、皆私を拒絶してる! 優しいフリをしているだけでしょ?」
感情に任せた物言いに、ジェフはただ静かに口を開く。
「違うよ。間違ってる。全部間違ってるよ、クローディア(、、、、、、)」
「なにを・・・・・・」
グチャグチャになった精神状態では、ジェフの言うことなど理解できるはずもなかった。
「なんだ。一つはわかってるんじゃん」
いよいよ要領を得ない。これは、まともな状態でも理解できなかった。
「何言ってんのよ。ホント、馬鹿なんじゃないの?」
「今返事したろ? 君は、クローディア。クローディア・メルヴィルだ。メドゥーサじゃない」
思いもよらぬ言葉に、クローディアは声を失う。そんなことをはっきりと言われたのは初めてだった。
「それにさ、僕だけじゃない。誰も君を怖がってないよ。神代の系譜なんて、この街にはたくさんいるんだから。みんなが君に優しいのは、君が事件の被害者だからでも、職業意識からでもないよ。元々さ」
そう言い切った後に、ジェフは「あー、でも、僕は正直最初は怖かったかなぁ? いやだって、いきなり睨んでくるんだもん。でも、今は怖くないよ」と付け加えて続ける。
「だからさ、君の言う『みんな』なんて言うのは、ただのクズなんだよ。今君はロスにいるんだから、気にしなくていいんじゃない?」
クローディアは何も返せないでいた。
何を言っても毅然としている彼を見ていると、ひどく自分が惨めに思えてくるのだ。
「何も分からないくせに・・・・・・」
そう言って、先を歩き出すのが精一杯だった。
――へえ。今はああいう子もいるのねえ。いい時代じゃない。
頭の中でまた声がする。どうせ声をかけるのなら一人の時にして欲しいと言う願いは、届かなかったらしい。
――あんな事言われたの、初めてよ。ああ、私じゃなくてあなたが言われたのよね。ごめんなさい。
(どうでもいい・・・・・・。あいつ、大っ嫌い! 訳知り顔で、すごいムカつく!)
――そう? 私は悪くないと思うけど?
「はっ・・・・・・?」
思いもよらない言葉に、早歩きの足が止まり、声が漏れる。
――でも、彼の言う通りだと思うわ。私の生きた時代とは違うんだし、ここはミケーネでもない。うん。とっても救われた気がするわ! 私、彼のことを好きになっちゃいそう!
「うっそぉ・・・・・・」
恋愛――というより誰かを好きなった経験もないクローディアだが、これに対しては流石にあまりの趣味の悪さに引くしかなかった。
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