2-5 事情聴取と過去の声

『さて、それじゃあ、始めましょうか』

 スピーカー越しに蛇人(ラミア)の捜査官、クロエ・ホワイトの声が響く。

 マジックミラーの向こうでは、その対面にクローディアが座っているのが見える。

 見守るのはジェフにダミアン、そして記録係の彼の部下が二人――彼らは人間だ。

「道中、何か変わったことは?」

 ダミアンの問いに、ジェフは頭を振る。

「正直、わかりませんよ。僕は探知系の魔術なんて使えませんし、銃を持ってるような人ならわかりますけど、携帯許可書持ってるだけの人かもしれませんし・・・・・・」

「普通、見ただけで銃隠し持ってるかはわかんねえよ・・・・・・」

「えっ? 師匠が服の重量の感じでわかるからって教えてくれましたよ?」

「それをマスターしてるティーンエイジャーは、優秀なギャングかお前ぐらいなもんだよ・・・・・・。つか、なんで勉強苦手なのにそんなことは覚えられるんだよ・・・・・・」

「スポーツの延長線みたいで面白いなって思っていたらできました!」

 ダミアンは呆れてため息をついていた。正直、そのリアクションは傷つく。

『それじゃあ、何度も同じことを聞いて申し訳ないんだけど、あなたが連れ去られた時の話を聞かせてもらえる?』

『あの日は、学校から帰ったら、お母さんにお客さんが来てた。男の人。その人に何か被せられて――』

 クロエの話に、クローディアは淡々と答えていく。一応触りだけは聞いていたが、何度聞いても気分の悪くなる話だった。当事者の口からとなると尚更だ。

 ジェフがそんなことを考えていると、ダミアンが訪ねる。

「なあ、クローディア自身に何かなかったか?」

「ありましたよ。明確におかしい点。理由はわかりませんけど、クローディア、なんか急にボーッとしてました」

「疑うわけじゃないんだが、人酔いしたとか、亜人が珍しかったとかじゃねえよな? 田舎の町は人間しかいねえか、亜人だけのコミュニティなんてところも珍しくねえからな」

 ジェフは「違うと思います」と頭を振る。

「多分あれは、声を聞いていたんだと思います。自分の中にいる、何かの声を」

「経験談か?」

 頷いて続ける。

「ああいう声を聞いてる時って、周りの音が聞こえなくなるんですよ。ひどい時は、目の前の風景も見えなくなって、心象風景って言うか、声が見せてくるような変な光景が見える事があります。僕がそうなっている時に師匠とかに教えてもらうことがあるんですが、あの時のクローディアはまさにそんな感じでした」

 言葉の終わりの方は、苦虫を噛み潰したような声色だった。

「なるほどなぁ・・・・・・」

 ダミアンは納得したようにうなずく。

「でも、あの子、神代の系譜であってアルターエゴ症候群ではないですよね?」

「ああ。神代の系譜もお前ほどじゃないが膨大な魔力量を持つが、アルターエゴに罹患したって例はないな。目の付け所は悪くないが、多分違う。もっと状況は悪いかもな・・・・・・」

「つまり・・・・・・?」

 本気でダミアンがなにを言っているのかわからないジェフは訪ねるが、ダミアンは「大丈夫かこいつ」と言う顔を隠しもせずに露骨に大きなため息をつく。

「資料くらい読めよ・・・・・・」

「だってしょうがないじゃないですか! この数日、師匠の訓練はいつもよりハードだったんですよ! ニコールさんから勉強の課題はいっぱい出されるし! 読んでる暇なんか――」

『ジェフうるさいわよ!』

 スピーカーから、クロエの怒鳴り声が響いた。どうやら、隣にまで声が漏れていたらしい。その背後からは、クローディアのため息が聞こえる。

「あー・・・・・・。うん。じゃあ、ここで読め」

 ダミアンは、泣きそうになっているジェフにタブレット端末を差し出す。

「ありがとうございます・・・・・・」

 涙声で礼を言って、ジェフは資料に目を通す。

 クローディアの経歴は、事前に聞いていた通りだ。今行われている聴取とも差異はない。

 ふと、初めて神代の系譜の能力を使ったことが目に止まる。

「子猫を助けたんだ・・・・・・」

 小さい頃の話とはいえ、彼女のならそんなものは無視して通り過ぎるんではないかと思うようなことだけに、クローディアへの印象が少し変わった。

 メイン州シュルヴァンスの人間は、彼女をサンドバックくらいにしか思っていなかったらしい。非常に強い不快感が、強い怒りに変わりかけたところで――

 ――厭な奴らだ。ぶっ殺しちまおうぜ

 狂気が誘惑する声が脳裏に響く。視界はタブレットの画面から、三年前の情景に変わる。

(うるさい! 黙れ! お前なんか必要ない!)

 ――つれないこと言うなよ。俺は、お前だ。お前の欲望なんだぜ?

(違う! お前は僕じゃない!)

「大丈夫か?」

 強い拒絶を叩きつけて続いたのは、耳に入るダミアンの声だ。

「えっ、ええ。大丈夫です・・・・・・」

 誤魔化すように、あるいはそれを気まずく感じたのを漏らしてしまうように言って、資料を読み進める。

「ヴえっ!」

 だが、それは長くは続かず、思わずひどくえづいてしまった。

「どうした?」

 それを心配したダミアンが駆け寄るが、ジェフはひどく情けない声で言う。

「ここの項目、専門用語だらけで・・・・・・」

 勉強が大嫌いな奴特有の持病が出たのだ。

 ダミアンはバカの頭をスパーンとはたく。

「余計な心配させんじゃねえよ!」

「しょうがないじゃないですか! 勉強苦手なんです! ――そっちも笑わないでくださいよ!」

 記録係の二人は、ジェフの醜態を見て、笑いを堪えて震えていた。

『ジェフ、次騒いだらつまみ出すからね・・・・・・』

 スピーカーからは、クロエの凄む声が響く。クローディアはそれに対して『そっちの方がいいかも』と言い出した。踏んだり蹴ったりだ。

「まあ、お前にわかりやすく言うとだ――」

 思いっきりバカを相手にするダミアンの物言いだが、反論できる立場ではないので、ジェフは「はい・・・・・・」と続きを促す。

「状況は、想像以上に悪いってこった。神代の系譜の因子が暴走し始めてる。メドゥーサの意識が表層化しかかってんのさ。そういう意味じゃ、アルターエゴに似てるかもな」

 思いもよらぬ言葉に、ジェフは息を飲む。

「そんな・・・・・・! ああ、いいや、でも、そんなこと、あるんですか?」

 途中からジェフが声を潜めたのは、クロエに怒られるのが怖いからだ。それを察したのか、スピーカーからは『ジェフ、普通に話聞いて驚く分には大丈夫だから』と声が聞こえる。それにわずかに、クローディアの『本当にバカなんじゃないの?』と言うため息まじりの言葉も続いた。

「ハハハハハ。許可が下りたから、存分に驚け」

 ダミアンは鷹揚に笑って続ける。

「ごく稀にだが神代の系譜の中には、後天的か先天的は問わず、精神性が元になった神話存在に似通っちまう奴らがいるんだ。メドゥーサの話は知ってるか?」

「まあ、なんとなくは・・・・・・」

 メドゥーサとは、ミケーネの神話に語られる、女神から墜ちた怪物の名前だ。海の神に穢され、女神に姉二人共々呪われ、最後はその女神の助力を得た人間に殺された。

 悲劇的である反面、怪物となってからのメドゥーサは、まさしく殺戮の権化であったことを考えると、それも致し方ない結末なのではないかとジェフは思う。怪物は、いつでも英雄の手によって討たれるのだ。

「まあ、そういうわけだ。シュルヴァンスとかいう町の馬鹿な田舎モンが、クソみたいな事したばかりに、あの子は知らず知らず危険な状態になっていたらしい」

 いつも通りの毒を吐くダミアンだが、その響きはいつもより険が滲んでいる。

「ともあれ、だ。あの子はなるべくストレスから遠ざけろ。クソッタレの犯罪者なんざもっての他だ。オレが許す。あの子を守るためなら、証拠品を壊さず、尚且つクソ共が口をきける状態をキープしてくれるなら、師匠くらいやりすぎていいぞ」

「そんなに理性的に事を収められるのなら、師匠より優秀じゃないですか・・・・・・」

 ジェフは苦笑し、ダミアンは「だなぁ」と笑ってさらに続ける。

「そのつもりでやれってこった。ああ、そうだ。あの子のメンタルが心配なら、このあとデートにでも誘ったらどうだ?」

「あー、どうでしょうね。あの子、僕が嫌いみたいですし・・・・・・。それに、メドゥーサの意識が目覚めた時にバックアップなしで、僕にどこまでできるか・・・・・・。それに、エリック・サージって人が出てきたら・・・・・・」

 言葉の途中で自信がなくなり、そのままふと、いつぞやハンコックがキマイラを文字通りミンチになるほど強く殴り飛ばしたことを思い出した。

(そういえば、キマイラもミケーネの神話由来の存在だっけ? めちゃくちゃ怖かったけど、でも、かわいそうだったな・・・・・・)

 その鼻先に自分を投げ飛ばした師匠への恨み言が頭をよぎって、次いで哀れみが浮かんだ。

 あのキマイラは、ただ人間の勝手で生み出された存在だ。思えば、ハンコックが拳一発で屠り、解析が困難なほど損壊させたのは、あの命をある意味救い、そして他の人間が弄んだり、   同様の存在を産まないようにしたのかもしれない。

(でも、メドゥーサ――っていうか、クローディアは違うよなぁ・・・・・・)

 確かに、神話のメドゥーサと不完全なキマイラには共通するところがある。

 どちらも、他者の勝手に弄ばれ、そして歪みを抱えたまま命を絶たれた。

 それをクローディアに波及させる訳にはいかない。

「――いや・・・・・・」

 言葉を翻そうとしたジェフに、ダミアンが目を大きく見開いた。記録係の二人も、手を止めてジェフを見ている。

「――おい、お前ら手を止めんな! この話はオレが聞く!」

「いや、オレらも聞きたいですよ! あのジェフ君が女の子を誘おうとしたんですよ! それもヘタレ発言を翻しても!」

 突然の大騒ぎに、ジェフは普段彼らが自分をどんな目で見ているのか問い詰めてやりたくなった。

『主任と馬鹿二人。アンタらは局長にチクるからね。――ごめんねー、クローディアちゃん。ボンクラばっかでごめんねー』

『別にいい』

 スピーカーからの声に記録係の二人はすごすごと仕事に戻る。

「ほら、続き言えよ」

 ダミアンがゲスい顔でジェフに続きを促す。

「今怒られたばかりですよね・・・・・・?」

「お前のクソ師匠の十倍は反省している。それに、局長ならこの話をすれば同じように驚いてくれるだろうよ。結果オレらはお咎めなしだ」

 そういう彼の顔はハンコックによく似ていた。ロサンゼルスに長くいる者同士、精神性が似てくるのかもしれない。

「あー、デートとは、違います。そういうのしたこともないし・・・・・・」

「んだよつまんねえ。そんなんじゃ、いい歳こいて童貞こじらせる羽目になるぞ」

「下品だなぁ・・・・・・。師匠よりもタチ悪い・・・・・・」

「今の暴言は聞かなかったことにしてやるから、続きを話せ」

 怒りよりも好奇心が勝るらしい。

「でも、彼女に知り合いを紹介することくらいはできると思うんです。里親候補はロスかサンディエゴから選んでるらしいんで。少しはあの子の力になれるかなって・・・・・・」

 ダミアンはそう言うジェフの背中をポンポンと叩く。

「あー、そういうことな。いいじゃねえか」

「はい。僕も、たくさんの人に支えられていますから」

 メドゥーサとクローディアを同じにしないためには、彼女を一人にさせる訳にはいかない。

「あっ、嘘ついた。やっぱりちょっとつまんねえ。付き合いたいくらい言え。ほら、嘘でもいいから」

「・・・・・・そのスマホのカメラで撮った写真、誰に送るつもりですか?」

「馬鹿野郎。俺みたいな五十過ぎのおっさんでもな、スマホで動画くらい撮れるんだよ。カズィやハンコックも喜ぶだろうよ」

「師匠たちと仲良いのか悪いのかどっちなんですか・・・・・・?」

 なんでおっさんおばさんというものは、ティーンについてのあらゆる話題をそっちに結びつけたがるのだろうか。

 そんな疑問を口にすれば怒られるのは目に見えているので、黙っておくことにした。


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