2-3 同居人の秘密
それから三十分後、ニコールに伴われ、クローディアはRCI本社実働部のオフィスを訪れた。メガネの調整が終わり、連邦捜査局での調査が始まるのだ。
しかしそこには――
「もう嫌だもう嫌だもう嫌だもう嫌だもう嫌だもう嫌だ――」
土気色に染まった顔を空いている机に突っ伏するジェフの姿があった。
「何してんのこいつ・・・・・・」
「あー・・・・・・。うん。馬鹿なんだよ、こいつ」
ハンコックの回答は、要領を得ていなかった。
「意味分かんない」
「こいつさ、お前の護衛任務の期間中、座学が免除されんだろ?」
「みたいね」
「だから、学業に遅れがないようにって、ニコールさんが事前に課題を出してたんだよ。案の定逃げようとしたから、椅子に縛り付けて無理やりやらせたら、こんな風になった」
「ええ・・・・・・」
勉強嫌いにしても、限度があるだろうと思ったが、声に出さなかった。もっと言えば、出したくなかった。シンプルに気持ち悪いことになっているからだ。
ジェフが、ぐるりとハンコックに顔だけむけて、呪詛を吐く。
「師匠の裏切り者ぉ・・・・・・」
その顔は、目がギョロリと見開かれ、いよいよ化け物染みて見える。
(あれ・・・・・・?)
一瞬、ジェフの顔が白く染まり、口が大きく開かれたように見えた。しかし、今見てみれば異常はない。
(気のせい? 何今の?)
クローディアのメガネはメドゥーサの能力を封印する他、幻術など視覚に作用する魔術への対策も施されている。そもそもホームスクーリングの課題に悩むような奴にそんな高度なことはできないだろう。
「まだいうかお前・・・・・・。つか、アルターエゴ出かけるほど辛いのかよ・・・・・・」
困惑するクローディアをよそに、ハンコックはため息を漏らす。
「ちょっとぐらい手伝ってくれてもいいじゃないですか・・・・・・。大学出てるんでしょ・・・・・・」
「通信制な。ちゃんと学校行ってたのは小学校の四年までだよ。あとはギャングやるか、ムショにいるか、RCIでクソジジイにしごかれるかだよ」
「それでもわかるところくらい・・・・・・」
「俺今年四十五歳だぞ? 学生の頃の勉強なんて忘れたっての。しっかり老いてんだよ」
クローディアはハンコックに「この男も大丈夫か?」という目線を向ける。
「なんだよクローディア、そんな目で見るなよ。いいか、世の中のおっさんおばさんなんてそんなもんだぞ。いろんな理屈を覚えて、さらに学び続けるニコールさんがおかしいんだ」
無駄に力強く情けないことを力説されたが、そんな言葉よりも引っかかるものがあった。
「ニコール?」
彼女はどう見ても、二十代後半から三十代前半だ。それをおばさん呼ばわりするのは、碌に世間と関わってこなかったクローディアでも失礼とわかる。
話題に上がった彼女は、突っ伏するジェフの頭の傍に置かれた課題のプリントを手に取り、「・・・・・・。地球人の間違えかたじゃないですね・・・・・・。いっそ学行の面倒はウィルマース・ファウンデーションの支社に任せますか・・・・・・?」と呟いて、ジェフのメンタルにダメージを与えていた。
「あっ、ウィルマース・ファウンデーションってのは、ウチと提携してるPSCな」
ハンコックが聞き覚えのない単語を説明してくれたが、今知りたいのはそれじゃない。
「ニコールがおば・・・・・・」
尋ねる言葉を、自動ドアが開く音に遮られる。
「げっ・・・・・・」
それを聞いていたハンコックは、カズィと一緒に入ってきたトラッドファッションを身に纏った初老の白人男性に顔をしかめる。よほど彼が嫌なのか、クローディアの言葉は耳に入っていないようだ。
「出たなクソジジイ・・・・・・」
「ハハハハハ。相変わらず口が悪いな、お前は」
男はハンコックの毒舌に気を悪くした様子もなく、にこやかに答える。
「何しにきやがったよ・・・・・・」
「可愛い孫弟子が大きな任務に挑むっていうから、激励に来たんじゃないか」
「じゃあ、さっさと済ましてくれ。あそこでくたばってるから」
ハンコックが指差す先では、ニコールの説教が続いていた。
「うん・・・・・・。しばらくはやめておこう。あのミスフラメルを押し除ける度胸はないね」
苦笑する男の顔を、クローディアはじっと見つめて尋ねる。
「えっと・・・・・・」
「ああ、紹介が遅れたね。RCI社副社長のロバート・ベイリーだ。よろしく」
にこやかに言って、ロバートは手を差し伸べる。握手を求めているのは分かるが、それに応える気にはならない。
「そう構えないで欲しいな。僕たちは同類だ」
「同類?」
「聞いていないかい? 僕も神代の系譜だ」
ロバートの左目が変異する。白目が黒く、光彩は毒々しい青色に、黒目は白く濁った。
「バロールの神の系譜だ。能力は『反転(ターニング)。お互い目が能力の起点になっている者同士仲良くしようじゃないか」
改めて伸ばされる手を、それでも握り返す気にはならない。
胸にあるのは、妬みだ。
なぜ、神代の系譜なのに笑って生きていられるのか。
なぜ、神代の系譜なのに周りに受け入れられているのか。
クローディアからしてみれば、ロバートと自分が同じだなんてちっとも思えない。
それなのに、こんな風に手を差し伸べられても、見下されているようにしか思えなかった。
きっとロバートは、この部屋を出れば今かけた言葉も忘れてしまうだろう。
「まだ早いだろ。最近までひどい目にあってんだぞ。空気読めクソジジイ」
吐き捨てるように言うハンコックの言葉に、負の感情の連鎖から引き戻される。的外れだが、馴れ馴れしいロバートを諫めてくれたのは助かった。
そんな彼にカズィがため息をつく。
「若い頃の仕返しでそんな口聞いてるんであろうが、ラインを見間違えるなよ。また若い頃のようにボコボコにされたいであるか?」
「・・・・・・」
無言のハンコックは、全身から冷や汗を吹き出した。その姿は、机で突っ伏しながら言葉攻めされるジェフにどこかにていた。
「ハハハハハハ。もうそんなことはしませんよ。彼も弁えるようになりましたからね」
「こないだ、解体工事中の廃ビルを破壊して、アスファルトを抉って、余計な賠償金を産んだばかりであるぞ?」
「それはいけないな。ハンコック。敷地内を徹底的に潰しなさいって言ったじゃないか」
「本当に現役時代から変わって欲しいところが変わってない!」
ハンコックはうんざりした様子でかぶりを振って、カズィに続く。
「もうそれが許される時代じゃねえんだよ。更地にしていいのは、犯罪組織の拠点だけなんだよ。嫌な世の中だとは思うけどな」
「我輩に同調してその言葉吐いてんなら、やっぱりお前おかしいであるよ? そもそも賠償金発生させるなって言ってんの!」
しかし、その言葉に、ロバートとハンコックは師弟ならではの息で同時に首を傾げる。
「何をおっしゃってるんですか? ミスタベイ」
「何言ってんだ? アンタ」
当然、カズィは瞬間的にブチギレる。
「お前らそこになおれええええええええええええええええええ! 正しい実働部員のあり方教えてやるうううううううううううううううう!」
しかし、師弟はヒソヒソと声を潜めて言い合うだけだ。
「カルシウムが足りてねえのか?」
「怒りっぽい人の血を飲んだのかもね。心肺移植みたいに、配給血液を飲んで人格や趣味嗜好が変わった吸血鬼の話を聞いたことがあるよ」
「つか、ストレスじゃね? 最近カリフォルニアの仕事も他の会社に取られがちじゃん?」
「あー、確かに。広報部長も頭を抱えていたよ」
好き勝手の限りを尽くした言葉に、カズィの顔は赤紫色に染まり、全体がマスクメロンに見えるほど青筋が浮かんでいた。
またカズィが暴れ出しそうになっているのをクローディアが胡乱な目で見ていると、
「はい、みんなそれまでー」
クリスが入室し、柏手を打つと、ジェフが発していた負のオーラとカズィが発していた怒気が霧散する。
「疲れてるはずなのに穏やかで、なんか気持ち悪い・・・・・・」
「相変わらず気持ち悪いことするであるなあ・・・・・・」
強制的に穏やかにされ、それぞれ感じた気持ち悪さを吐き出す。
「まあまあ、いいんじゃない? 仕事にならないよりはさ」
ニヤニヤ笑いのクリスに、ニコールが嫌味を飛ばす。
「毎週水曜日は出社を拒否して、コミックストアに行ったあと部屋から出てこない人が言うのは筋違いでは?」
「ヤダもー。ニコールちゃん恐ーい。ジェフ君の学業成績伸びないの僕に当たらないでー。そんなんだから、九十六歳にもなって結婚できな――」
言葉の途中で、クリスの頭が爆発に包まれる。
「セクハラですね・・・・・・。死んでください・・・・・・」
クローディアは息を飲んだ。平然と殺人同然の魔術を、指を鳴らしただけで発動したニコールに、それを見て「今日は一段と派手に行ったなあ」と平然としている他の一同に、そしてわだかまっていた疑問の答えに。
「九十六歳・・・・・・?」
口をついて出たのは、ニコールの実年齢への驚きだ。他の光景に対しては、現実感がなさすぎて感情が追いついていない。
「ん? ああ、そうか。お前知らなかったか。あの人は錬金術のエキスパートでな。研究の副産物で、老化が異常に遅いんだよ」
ハンコックが説明してくれるが、はいそうですかと納得するのは無理な話だった。
「驚いてるねえ。ほら、今度は社長を見てご覧。面白いものが見えるよ」
ロバートがクリスを指差す。爆発で発生した煙が晴れ、彼の顔が現れたのだが、
「あっぶないなあ。死ぬかと思ったじゃん。まあ、僕、死ねないんだけどね。あれ? もしかして物忘れ始まった?」
全くの無傷であった。追撃を食らっても、ダメージ一つ受ける様子はない。
「何あれ・・・・・・。何あれ・・・・・・?」
困惑を通り越してパニックになりかけたクローディアに、ハンコックとロバートは頷いて共感を示す。
「ああ、分かる。あれ恐いよな」
「僕もあたふたしたなあ。僕に見せた時は、自分のこめかみを銃で撃ち抜いたんだよね。やっぱり頭おかしいよ、あの人は」
そんな話をしみじみできる方もおかしいと思うのだが、それを口にする余裕はクローディアにはない。
ハンコックがクローディアの疑問に答えた。
「ウチの社長はな、あんなイカれ野郎なのに、魔人なんだよ」
「魔人・・・・・・?」
聞き覚えのない単語だ。しかし、ニュアンスで魔術に関する重要なワードであることは分かった。教科書に載っていないのだから、専門性が強いのだろう。
「魔術を極め、世界に祝福され一体化した――あるいは世界に呪われ人の枠を外された者。社長はそう説明していたね。まあ、わかりやすく言えば、不老不死の優れた魔術技能の持ち主と言うことさ。年齢は、もう六五〇近かったけ?」
「だから・・・・・・。いや、無理。やっぱり納得できない」
クローディアの言葉に、また師弟はウンウンとうなずく。
「分かるよ。私も受け入れるのに三年かかったからね」
「いやあ、ジェフなんかそれ知った時、軽くパニクってたもんなあ。それに比べたら随分と落ち着いてるぜ。あれ? そういやジェフは――」
ハンコックは、ジェフの姿を探すが、すぐに見つかった。
ニコールをおちょくっては、頭を吹っ飛ばされるクリスの足元で、気絶していた。おそらく、クリスを襲う爆撃の余波を食らったのだろう。
「締まらねえなあ、あいつ・・・・・・。まあ、怪我してないのは修行のたまものか・・・・・・」
「まあ、あれも若さだよ。若さ。まあ、魔術治療散々受けさせたからね。体は人一倍頑丈なはずだよ。身体強化使用中は特にな」
とは言いつつも、庇いきれないと感じているのか、ロバートの声は若干引きつっている。
「ちょっと聞かせてもらったであるが・・・・・・」
そんな中に、手持ち無沙汰だったカズィするりと入ってくる。
「今年齢の話をしていたであるな? 吾輩もすごいんであるよ」
妙にキラキラしたその顔は、言いたくて仕方ないと雄弁に語っていた。ハンコックとロバートも、「うっとおしいと思うけど、聞いてやってくれ」と頷いて見せる。
「何がすごいの?」
「吾輩は、真祖と呼ばれる強大な吸血鬼であるがゆえに、日光も大丈夫! 多くの吸血鬼が持つニンニクアレルギーもないし、人の血を飲まなきゃいけない周期は、普通よりも五倍長い! そして年齢は、加齢することが無い故に肉体が今年で五百九十一歳! どうだ! 驚いたであろう?」
聞いてもないことをベラベラ喋り出したのはいいとして、正直、これっぽっちも驚く所はなかった。日光が大丈夫なのはここにいることから予想できるし、何より――
「あの二人のあとだと別に・・・・・・」
クローディアの言葉に、ハンコックとロバートが頷く。
「・・・・・・・・・くすん」
カズィはいたたまれない空気の中、声を震わせた。あまりにも憐れすぎて、誰も何も言えなかった。
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