2-2 新しい朝

「ん・・・・・・」


 蛇がもがくのが煩わしくて、すっかりうつ伏せに寝るのが癖になったせいで、眼鏡と同じ封印術式を施したベッドのおかげで仰向けに寝られるようになった今でも、それがやめられない。


 クローディアは、腕立て伏せの要領でふらつきながら体を起こすと、ベッドを降りる前にナイトテーブルにおかれた眼鏡をかける。


「んあ・・・・・・」


 この数日で大幅に変わった環境に体が慣れていないのか、ちゃんと寝ているはずなのに、頭がスッキリするまでに大きく時間がかかってしまう。


「おはようございます、クローディアさん。調子はいかがですか?」


「大丈夫・・・・・・」


 それでも、自分以外の人間を見ると、警戒心からか頭が冷えるような感覚を覚える。


「到底そうは思えませんが・・・・・・。まあ、いいでしょう。朝食はもう少しかかりますので、歯を磨いてシャワーを浴びて来てください。着替えは、脱衣所に置いてありますので。もう一人で入れますね?」


「馬鹿にしないで・・・・・・」


 吐き捨てるように返して、クローディアはバスルームに向かう。


 もっとも、ニコールがああ言ったのは揶揄するでもからかうでもなく、クローディアが自分の髪の毛を洗ったこともなければ、まともにシャワーを浴びたこともなかったからだ。


 そんな彼女を見かねてニコールは丁寧にシャワーの使い方や髪の毛や肌の手入れの仕方を教えてくれた。それでも、どうしても一線を引いてしまうのは、やはりこれまでの人生で誰一人として信じることができなかったからだろう。


 リビングに戻ると、出来上がった朝食がテーブルの上に並んでいた。トーストにスクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、デキャンタに入ったオレンジジュース。


 しかし、ニコールはそれに手をつけず、テレビのニュースを見ていた。ニューヨークのPSCと連邦捜査局がテロを未然に防いだらしい。


「ああ、クローディアさん。メガネの曇り止めはちゃんと機能していましたか? ちょうど今し方出来上がったところです」


「大丈夫だった。――いつも思うんだけど、先に一人で食べてればいいのに」


「そうもいきません。いつも言っていますが、せっかく二人でいるのですから、一緒に食べた方が美味しいでしょう?」


 薄い表情で、随分と温かみのあることをいうものだと、やや皮肉まじりに思った。


「ですがそのまえに――」


 ニコールは立ち上がると、クローディアの周りをグルグル回りながら髪と顔をチェックし、時には実際に触れてその感触を確かめている。


「いいですね。教えた通り、ケアが行き届いています。クローディアさんは物覚えがいいので助かります」


「何それ・・・・・・」


 警戒心よりも多分に含まれた困惑で、クローディアは訝しげにニコールを見る。


「肌や髪のケアを一人でやり始めた時には、だいたいやり過ぎるかケアが不足するものです。しかし、クローディアさんは、的確に行っています。素晴らしい事なんですよ、これは」


 ほんの少しだけ、言葉に熱がこもっているようだ。どうやら、鉄面皮のように思っていた彼女にも、熱く語りたいと思うほど好きなものがあったらしい。


「ジェフリーさんに、その十分の一でも物覚えの良さがあれば良かったのですが・・・・・・」


 そのまま食卓について、二人一緒に食前の祈りを捧げて食事を始める。


「あのさ――」


「・・・・・・はい?」


 ある程度食べ進めたところで、クローディアに声をかけられ、ニコールはやや驚いた様子で顔を上げる。


「あのジェフって、どんな奴なの?」


「そうですね――」


 ニコールは、フォークを置いて手を顎に当てて考え始める。


「ジェフリー・デイビッド・バックマン。カリフォルニア州チュラビスタ出身。年齢はクローディアさんの一つ上で、九月に十六歳になります。趣味と特技はスポーツ全般。苦手な物と嫌いな事は、勉強と魔術修行――もちろん、こんなことが聞きたいわけではありませんよね?」


「うん」


「そうですね・・・・・・」


 ニコールは少し思案し、すこし言いにくそうに、言葉を続けた。


「彼は、すこしあなたに似ているかもしれません」


 意外なその内容に、クローディアはすこし戸惑った。


「私が、アレと・・・・・・?」


 数日前に見たジェフの顔を思い出す。


 見るからにヘタレという感じの顔立ちと表情だった。自分が他人からどう見えるかなんて気にしたこともないが、アレと一緒にされるのは正直いい気がしない。


「なんかムカつく・・・・・・」


「プッ・・・・・・」


 不快感を示すクローディアに、ニコールは思わずといった様子で吹き出してしまったようだ。この数日間で、彼女が笑うのを初めて見た。


「失礼しました。いえ、しかし、あまりにも率直だったので・・・・・・」


 よほどおかしかったのか、声が微妙に震えている。


「私はあんなに情けない感じじゃないと思う」


 口を尖らせていうが、ニコールは以前笑いを堪えているようだ。


「ええ、わかっていますよ。私が言いたいのは、有り様のことです」


「どういう事?」


「彼も、いろいろ抱えていると言うことです。自ら望まなかった最悪なものを。ある意味では、それは神代の系譜よりも悍ましい物かもしれません」


「よくわかんない」


「でしょうね。ここから先は、ジェフリーさんご本人に聞くといいでしょう。彼なら、嫌な顔をせずに答えてくれるはずです」


 なんだか煙に巻かれた気がして、クローディアは我知らず唇を尖らせる。


「そんな顔をしないでください。この町の司法に関わる人間なら誰もが知っている話ではありますが、デリケートな話なので、本人の口以外からはなるべく語らせたくないんです」


「じゃあ、もういい・・・・・・」


 結局、それから先、食事が終わるまでの間、お互いに口を開くことはなかった。


 それから食器を片付け、ニコールが洗い物を始めようとした時、唐突に彼女は声を上げた。


「あっ・・・・・・」


「どうしたの?」


 ブレザーとソックスを身につけ、与えられた荷物をリビングで確認していたクローディアがニコールへ顔を向ける。


「いえ、ジェフリーさんについてですが・・・・・・」


「またアイツの話?」


「気をつけてくださいね。彼は基本、とんでもない馬鹿です」

 

 なんでわざわざそんな話をするのかと、クローディアは首をかしげた。

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