Chapter2. Voice
2-1 悪夢
新約暦二〇一九年 カリフォルニア州オレンジ郡アーガイル
数多くの名門学校を抱えるこの街に、ハーグリーヴス魔術学院はあった。
同校はカリフォルニア州――ひいては全国屈指の魔術分野の名門校であり、著名な魔術スポーツ選手や、PSC所属、あるいは経営者の魔術師を輩出していた。
入学条件は優れた魔術の技量や頭脳だけでなく、神代の系譜などの魔術的な特異体質を持つ者も広く受け入れていた。
寄宿制の中高一貫校であるが故に管理は行き届いており、学校の近所にはアウトローのたまり場もないため、品行方正が学生生活を送れると、保護者たちからは評判が良かった。
そんな学校に弟のリーワード・バックマンはともかくとして、双子の兄のジェフリー・バックマンが入れたのは、学力を補って余るほどの魔術的特異体質を抱えていたからだろう。
発端は、どこの学校にもある――しかし被害者の人生に大きな影を落とす、虐めだ。
リーワード・バックマン――親しい人間は、彼をリウと呼んでいた――は、兄と対照的に、運動は苦手でスポーツにも興味はないが、学業成績は高く、わずか十一歳にして、大学院レベルの魔術理論についての論文を書き上げる程の白眉であった。
その頭脳は彼の故郷、サンディエゴ郡チュラビスタでは話題になっており、普通の小学生だった彼を、学校の校長は、ハーグリーヴス魔術学院に推薦した。事前に送った論文の内容が評価され、入学試験免除、さらには飛び級で十年生からのスタートとなった。
しかし、この輝かしいリウの能力が、ひどく妬みをかった。
もちろん、名門校に通う大半の生徒は大人しい気質の持ち主で、陰口を叩くくらいはしても直接行動には出ない――というより出られないし、彼の能力を見れば口を噤まざるを得なかった。
しかし、どこの学校にも落ちこぼれはいる。
学校を辞めてアウトローの道を踏み出すほどの度胸はなく、しかし学校の授業に置いてけぼりにされた彼らはただフラストレーションを抱え、やがてその矛先をリウに向けた。
最初はからかいや悪戯でしかなかったものは、やがて恐喝や暴行に代わり、ある日それは兄のジェフの知るところになった。
「何してんだよ!」
弟をサンドバッグにしている高等部の生徒に、その金魚の糞である中等部の生徒、合わせて二十人はいただろうか。しかし、ジェフは臆せず突っ込んでいった。
体格でも魔術でも勝る相手が大半であるにも関わらず、八人を昏倒させ、彼に蹴りや拳が当たっていない相手は一人もいないという状況を作り出した。
だが、やはり数的な不利は覆せなかった。
「捕まえたぞ!」
ジェフの背後に潜んでいた上級生は、後ろから彼に組みつき、動きを奪う。さらにリーダー格の不良少年が、妙に高揚したテンションで、胸に忍ばせていたナイフを取り出す。
「調子に乗りやがって、バカがよぉ!」
言って、リーダーは、何を思ったのか――あるいは慣れない喧嘩と凶器を手にした高揚感で我を忘れたのか、ジェフの唇の端にナイフを押し当て、グラスゴースマイルを刻んだ。
「頭からっぽの化け物みてえなツラにしてやるよ」
上擦った声で、そう言って、リーダーはナイフの先端に火球を形成――ジェフの顔に直撃させる。
彼を拘束した上級生は、リーダーの突飛な行動への恐怖と、ジェフが行動不能になった事への安堵からか、ゲラゲラ笑いながらその体を蹴り飛ばす。
「兄さん!」
全身ボロボロになりながらも、リウは這いずって兄の元へ向かう。あとからわかった事だが、この時点で上級生の暴行によって彼の足は折られていた。
ジェフは、頭全体を火に包まれたままピクリとも動かない。だが、不思議と死の恐怖はなかった。
心に渦巻くのは、平然と弟をオモチャとして扱える上級生への憎悪。
心を焦がすのは、この状況においても、弟を救うことすらできなかった自分への怒り。
やがて、それらの感情は魔力に結びついた。魔術の精度や出力は精神状態に大きく作用されるのだから、当然のことだろう。だが、今回はただの結びつきとは違った。
魔力がジェフの体から放出され、頭を包む炎が消える。そのまま彼はゆらりと立ち上がると、上級生たちも、リウも、物陰から様子を窺っていたジェフの友人たちも息を飲んだ。
ジェフの顔は、まるで別人だった。酷い火傷に白く爛れた顔、茶色かった髪は縮れて黒く染まり、まぶたが焼かれてくっついてしまったのか、ギョロリと見開かれた目はまばたき一つしない。その上、上級生が刻んだグラスゴースマイルのせいで、その 有様は、まるでホラー映画の殺人鬼のようになっていた。
「兄さん・・・・・・?」
数秒して、リウは兄の名前を呼ぶ。
「――――――」
しかし、ジェフは喉の奥で声を漏らすだけで、何も答えない。
「兄さん、大丈夫、かい?」
リウは相手との距離を測るようにいう。
「ヒ――ヒヒヒ――――」
わずかにジェフの口から漏れたのは、笑い声だ。
「ヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィヒャハハハハハハハハハハ!」
次いで、哄笑が上がる。
そこから先は、地獄であった。
未熟な
「兄さん・・・・・・!」
リウは、この状況を否定したかったのだろう。短い悲鳴は悲痛に満ちていた。
「まだ息があんのかこいつら。才能ねえのは辛いよなあ。ヒャハハハハハハ」
構築で作り出した金槌を弄びながら、ジェフは気絶し、くぐもった声を漏らすリーダー格の上級生を見下ろす。
「やめろよ兄さん! やりすぎだよ」
――やめてくれ! ここまでは望んでない!
自らの足首を掴んで静止する弟の声に、自分の声が重なる。体の自由は利かないのに、ジェフの五感は体を動かす何かと同調していた。
「ああん? お前が何もできないって、ピーピーうるせえから俺がやってやってんだろ?」
彼にとっては答えになっていない回答に、リウは声を上げる。
「何を言ってるんだよ兄さん! これ以上はジェフが犯罪者になっちゃうよ!」
――犯罪者になるとかどうでもいい! でも、殺すことはないはずだ!
頭に響く自分の声に反して、口からは冷淡な声が溢れる。
「どうでもよかねえだろ? ぶち殺さなきゃ、何も解決しねえんだよ」
気楽に殺意を零すその声に、リウは戦慄する。
「兄さん・・・・・・ジェフ・・・・・・何を言ってるんだよ・・・・・・。おかしいよ!」
――そうだ! お前はおかしい!
口から、うんざりしたため息が漏れる。
「あーあーあーあーあー。うるせえなあ、頭の中から外からゴチャゴチャと」
「ギッ・・・・・・」
言って、足首を掴むリウの手を振り解いて、その足を踏みつけるジェフの体をのっとる何かに、ジェフは声を上げる。
――お前、一体なんなんだよ!
「悲しいこと言うなよ。俺は、お前だよ」
――何言ってんだ! 訳がわからないよ!
「お前の感情が産み出した、もう一人のお前(アルターエゴ)なんだよ」
思いもよらぬ言葉に、ジェフは言葉を失う。代わりに疑問を口にしたのはリウだ。
「兄さん、さっきから何を――」
「あー、そういや、お前もさっきからうるせえな」
言って、アルターエゴはリーワードの顔に刃物を振り下ろした――
ジェフは、ベッドの上で跳ね起きた。
寝巻き代わりのTシャツは、嫌な汗でぐっしょり濡れていた。
枕元の目覚まし時計が示す時間は、午前四時二十三分――起床までまだ二時間半もある。
三年前、RCIで保護されるようになってから、真っ先に行われたのは、魔術の修行ではなく、トラウマの克服だった。
魔術の修行からは考えられないほど、冷静かつ穏やかに行われた治療のおかげで、今では火を必要以上に恐ろしいとは感じなくなったし、ナイフに至っては、構築(クラフト)の魔術の修行でたくさん作ったせいか、愛着すら覚えるほどだ。
しかしそれでも、三年経っても弟の顔を切りつけた感触は手から消えない。
震える手を見ながら、ジェフは呟いた。
「リウ・・・・・・」
両親から聞くところによると、弟は事件の一年後には、アンブレラ魔術を卒業し、マサチューセッツ州ケンブリッジの大学に進学したという。さらに二年経った今では、大学院進学も考えているようだ。
それを知らせてくれるメールには返信をしていないし、顔に大きな傷をつけた弟の写真はもともに見ることはできない。もちろん、たまに彼らが面会に来ても、修行や捜査参加を理由に断ってきた。
自分には、彼らと会うだけの資格がないと思っているからだ。
「やっぱり、僕には荷が重いよなぁ・・・・・・」
ぼやいて、窓の外を見る。
夜霧に包まれたロサンゼルスの街は、ジェフの行く末を示しているようだった。
「きっと、クローディアも傷つけてしまう・・・・・・」
能力もないくせに、名門校に特異体質だけで合格できたことを喜んだ三年前の自分が、ひどく恨めしく思えてきた。
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