第2話 ロビーカーにて ~人と、人ではないものと~
隣の車両に続くドアを引いたとたん、飛びこんできたのは言い争う声だった。
「どこまでお前の性根は腐りきってるんだ、菊千代!」
「腐ってないもーん! 蘭丸が被害妄想なだけもーん!」
寝台車の先に連結されていたのはロビーカーだった。車両の左右両方に大きな窓があり、窓の下には作りつけの小さなテーブル、そしてテーブルを囲むように一人がけのソファが設置されている。車窓の景色を眺めながら談笑や軽食するのが主な用途だ。そして3人がけのカウンター席が、車両の一番奥と、入口のすぐそばに設置されていた。
言い争いをしているのは、奧のカウンター席の一団だった。
スパンコールやフェイクファーで装飾されたスタンドカラーのジャケット、斜めに渡した光沢のあるサッシュ、アイドルのような衣装を着た三人組だった。欧州の貴族を模したコスチュームには少々ミスマッチな、猫耳のカチューシャとしっぽをつけている。アイドルならキャラ作りの一環で通るだろう。
騒いでいるのはそのうちの二人だった。
ミントグリーンのウェービーなショートヘアの少年――蘭丸は、完全に激昂していた。ソファから完全に立ち上がり、口角唾を飛ばさんばかりに相手に詰め寄っている。
だが詰め寄られている方――菊千代は、相手の剣幕もどこ吹く風といった面持ちだ。両手に持ったなにかの包みを蘭丸から遠ざけるように高くかかげている。蘭丸の前のカウンターにも色と形は違うが似たようなサイズの包みがあった。
「ふざけんな! どうして俺と百合若様が950円のチキン弁当で、お前一人が1900円のすき焼き弁当なんだ!」
「チキン弁当おいしそうだったんだもーん、すき焼き弁当いっこしかなかったんだもーん」
「だったらその一つを百合若様に差し上げるべきだろうが!」
「やなこったー、お弁当選んだのはボクでーす。ボクがボクにすき焼き弁当お食べって決めたの!」
「そんな理屈が通るかよ! いいからそれをよこせ! このっ、このっ!」
「いーやーだー」
蘭丸は怒鳴りながら菊千代の弁当を取ろうとするのだが、手が届きそうになると菊千代がひょい、ひょいと動かす。動作に合わせて、菊千代のチェリーピンクのボブが照明を弾いて揺れた。
じゃれ合いから本当のケンカに発展しそうな勢いの二人の横では、端正な顔の金髪の青年がオレンジ色の駅弁の包みを開いていた。開いた弁当のフタには『チキン弁当』と印刷されている。
美青年は弁当の中を見て微笑みを浮かべると、二人を振り返って
「チキン弁当、美味しそうではありませんか」
「百合若様!」
「ほーら百合若様にはボクの真心がちゃんと伝わってる!」
美青年――百合若は、少し困ったように笑った。
「菊千代の真心は判りかねますが、あなたをお使いに出したのは私ですから」
穏やかな表情とたおやかな口調、しかし内容はしれっと毒舌だ。
だが、その毒は菊千代には通じないようで、そして蘭丸は腹の虫が治まらないらしかった。、
「百合若様は菊千代に甘すぎます! もっとビシッと!」
「オスの嫉妬見苦し~い」
菊千代は言うと、立ったまま自分の弁当の包装を開こうとした。しかしすき焼き弁当は高級なだけあって、包み紙の上に紙製のヒモを十字に渡してきっちりと結わえてある。
「あーめんどくさ」
菊千代はつぶやくと、ヒモに素早く爪を滑らせた。
音も立てずに、すぱっヒモが切れた。
「!」
この光景を見ていた佐倉は息を呑んだ。明らかに普通の人間の所作ではない。
「ねー、佐倉さん」
立花は別のことに違和感を覚えているようだった。
「あいつらの耳と尻尾、ずいぶん、動くよな」
立花の言葉通りだった。三人の猫耳としっぽは、さきほどから彼らの会話や感情に合わせて派手に動いていた。何か仕掛けがあると言われてしまえば納得できたかもしれないが、しかし今となっては……。
「菊千代」
百合若が静かな、だが意志を感じさせる声で言った。
「姿形にそぐわないふるまいはしないようにと、いつも教えているでしょう」
菊千代は肩をすくめた。
「この列車に乗ったんなら、ボクらの正体、見破れて当たり前じゃないですか」
その言葉がきっかけであるように、三人組がそろってこちらに視線を向けた。その顔には、まるで写し取ったかのように同じ表情が浮かんでいる。そしてらんらんと光る目。
「こわっ」
ただならぬ威圧感に、立花が小さく声を上げる。
佐倉が一歩、前に出た。
「誤解があるようなので訂正させてもらう、俺達は板東睦から時々仕事を斡旋されるが、このなりわいが本職じゃない」
百合若の表情は変わらなかった。そっぽを向いた菊千代が聞こえがよしに「お金もらってんなら同じじゃん」と言った。
この得体のしれない相手に、どう接したものかと佐倉が思案していると
「はーい、俺は立花操央、いつか仮面ライダーになる男でーす。こっちは佐倉さんで、令和のフジツボ学会の南方熊楠になる人でーす」
佐倉の背後から立花が会話の爆弾を投下した。
「なっ! 立花っ!」
「はぁ? 仮面ライダー?」
「フジツボ学会……?」
「南方熊楠、ですか、熊野の」
佐倉が大あわてで立花を振り返り、菊千代は完全に舐めきった声を出し、初めて聞く言葉の組み合わせに蘭丸が困惑し、百合若の態度がわずかに変化した。
「お前は何を言い出すんだこのバカ!」
「え、言ってたじゃんこの間の奄美大島で。俺は平賀源内やダ・ヴィンチにはなれないけど、せめてフジツボの道を究め……」
「黙れぇぇぇぇ!」
「ぐふっ!」
赤面した佐倉の頭突きが立花のあごに炸裂した。
「ひろい! ひた噛んだ!」
「お前は! 金輪際! 俺の許可なしにしゃべるな!」
「じぇんろんだんあつ!」
「しゃべるなと言った!」
「ぐふふっ!」
旅先の海岸の満点星空の下、つい口がすべって漏らしてしまった野望のようなものを、あっさりすっかり衆目にさらされてしまい、佐倉の心は憤怒と後悔と羞恥で限界だった。
立て続きに立花に頭突きをかます佐倉の様子に、
「もしかしてあの人間たち、バカ?」
「あのな菊千代、本当のことを言えばいいってもんじゃないぞ」
少年たちは完全に、人間たちを舐めきった様子だった。
一方の百合若は、チキン弁当のふたを閉めると立ち上がり
「仕切り直しをいたしましょう。名乗りが遅れました」
気品を感じさせる動作で、うやうやしく一礼した。
「私は百合若、このような見かけではございますが、生まれは鎮西、阿蘇の根子岳で修行せし“化け猫”にございます」
その口から『化け猫』という言葉が飛び出した瞬間、百合若の、そして一拍遅れて蘭丸と菊千代の尻尾がぱりん、と二本に避けた。そして3組の双眸に亀裂が走り、それが一筋の瞳孔に変わる。
正体を現した魑魅魍魎と呼ぶべき存在に、そして百合若の存在感――長い年月を経た化生だけが持つ特異な気配――に、佐倉と立花が軽く気圧される。
その様子を察した百合若が、ふっと微笑んだ。
とたんに気配がすっと引いた。
百合若は少年たちの肩に手を置き、
「この子たちは蘭丸と菊千代、私が面倒を見ております。化け猫としてはまだまだ未熟。佐倉さまも立花さまも、どうぞお引き立てのほどを」
軽く会釈をされて、佐倉もあわてて会釈をした。その背後で立花が「よろしくお願いしまーす」と屈託なく手を上げる。
「さて……」
百合若がほんのわずかに体の向きを変えた。
「そちらの席で、ずっと気配を消しておいでのあなたさま、よろしければこの折に、名などお聞かせいただけませんか」
その視線を辿った佐倉は、入口そばのカウンター席に誰かが居たことに初めて気付いた。うわびっくりした、と立花がつぶやく。
座っていたのはブレザー姿の男子校生だった。机の上に参考書を広げており、蛍光マーカーでアンダーラインを入れている。ストライプ柄のネクタイをきっちりと締め、銀色のアルミフレームのメガネをかけたその姿は、勉強熱心な優等生といったところだ。
「――失礼しました」
形ばかりの謝罪を口にすると、高校生は手にしたマーカーを置いたが、席は立たなかった。
「春日野晶良です。板東睦に所属している……外法師です」
そして佐倉と立花の方を向くと
「自分、ドラえもんの『石ころ帽子』をかぶってますから」
「え」
口をつぐんでいる佐倉の後ろで、立花が小さく声を上げる。
「事情がありまして、その類の術をしっかりかけてもらっているという意味です。普通の人はもちろんですが、この業界の方も気付かなくて当たり前ですから」
「ほへー」
頭上から降ってくるのんきな声に、こいつは今さぞや間抜けな顔をさらしているんだろうなと佐倉は思った。
佐倉のカンは当たったらしく、ロビーカーの奧から「ねぇやっぱりあいつらバカだよ」「シッ菊千代、聞こえるだろ」と、明らかにこちらに聞かせるつもりの声が聞こえた。
立花と佐倉が程度の差はあれムッとしていると、春日野は再び参考書に視線を落とすとマーカーを取り
「お二人とも、座った方がいいですよ」
そう言って、定規を使って参考書に丁寧にアンダーラインを入れた。
「この後、まだ乗ってきますから、自己紹介はまとめてやりましょう」
「乗ってくる?」
「ええ、後ろに空の車両に」
佐倉と立花は、思わず互いの顔を見合わせた。空の車両とは、台車4両のことか?
と、その瞬間、春日野の背後の真っ暗だった車窓に景色が現れた。大きな丸いガラスの白熱灯を幾つも灯した古風な木造駅舎――原宿駅側部乗降場、通称「宮廷ホームだ」。
「おっ、ロイヤル御用達のエリアが良く見えるぞ」
立花が歓声を上げてカウンター席の一つ隣の窓に近づき、そしてはたと気付いた。
「ってことはこの列車、湘南新宿ラインの線路を走ってるのか。ん~? 大丈夫かな?」
「なにが大丈夫なんだ」
「いや、山手線ほどじゃないけど湘南新宿ラインだって、割と頻繁だからさ」
立花は佐倉を振り返り
「この列車、さっきから停車せずに走ってるから追いついたりしないかな、と」
「ああ……立花にしては賢い見解だな」
「それどういう意味?」
立花が抗議の声を上げた瞬間、宮廷ホームが車窓から消えた。そして入れ替わるように車窓ごしにエンジンの爆音が急接近してきた。
音の源は、長く伸びたフロントフォークに低いサドルの典型的なアメリカンスタイルのチョッパーバイクだった。同じカスタムをほどこされた大型バイクが2台、カーブを曲がってこっちに接近してくる。
ここから先の数十メートル、高低差はあるが原宿駅と車道が併走する形になっている。
2台のバイクはぴったりと列車に速度を合わせて走っている。
「もしかしてこの列車に乗りたいのかな」
「バカを言え、どうやって。線路と道路の間には金網がある」
と言ったものの、先ほどの『この後乗ってくる』の発言がある。佐倉は発言の主を振り返ってみたが、春日野は参考書から目を離す様子はなかった。
化け猫組はといえば、春日野が自己紹介する気がないのを理解したらしく、駅弁を開いていた。菊千代がすき焼き弁当の牛肉を箸でつまみあげ、蘭丸に見せびらかすだけ見せびらかしてから「はい、あーん……と思ったけどあげないっ!」という鉄板の嫌がらせをしている。いつものことなのか、百合若は咎める気はないようだ。
どこかの駅に停車してコンテナでも積み込むという意味だろうか、と佐倉が考えている間に、列車は原宿駅を通過して短いトンネルに入った。明治神宮に続く高架橋(五輪橋)をくぐっているのだが、このあたりは地面を掘削して線路を通しているのでトンネルの形状になっているのだ。
バイクの音が遠ざかってゆき、頭上に消えた――と思った次の瞬間。
ドン! ドン! と列車が大きく揺れた。
「うわっ! なんだ?」
突然の揺れに蘭丸が立ち上がる。その隙をついて菊千代が蘭丸の弁当から唐揚げを一つつまみ喰いする。百合若は、落ちないよう弁当をカウンターから持ちあげたくらいで、動じるそぶりはない。
佐倉と立花はそれぞれ、ソファの背や窓を支えにして、倒れこむのをこらえた。
春日野はテーブルの上に覆い被さるようにして、参考書や蛍光マーカーを押さえている。
そうして一同が突然の横揺れに対処している間に――
ロビーカーのさらに奧の台車の方から、けたたましい急ブレーキの音が複数上がった。
ブレーキ音はドップラー効果を上げながら猛烈な勢いでこちらに迫ってくる。
そのまま扉を突き破ってくるに違いないと、誰もが衝撃に備えた――が。
複数の急ブレーキ音は扉の向こうで、ピタリと止まった。
「……?」
人間と化け猫たちが固唾を呑んで見守る中、今度はドカドカとバイクを降りる気配があった。
「もー、ケイったら調子に乗ってスピード出し過ぎなんだよ。見なよ、タイヤが丸坊主じゃん」
「いやいや、前を走ってたのはカイでしょ? ボクは後をついてっただけ」
「カイが後ろからあおって来たんじゃん!」
同一人物がしゃべってるとしか思えないほど似通った声の会話が、こちらに近づいてきた。
カウンターから体を起こした春日野が、小さなため息をついて参考書を閉じた。
そして、ロビーカーの奧の扉が勢い良く開いた。猛烈な勢いで風が吹きこんでくる。
扉の向こうに立っていたのは、同じ背の高さに同じ体格、そして瓜二つの容貌の、まるで鏡とその写し身のような一組だった。恐らく、いや明らかに一卵性双生児だろう。年齢はまだ10代だろうか、揃いのライダースーツに同じ髪型――いや、ライダースーツのインナーだけが違っている。片方は縦縞、片方は横縞だ。
春日野が立ち上がった。
「可緯、経、久し振り」
「アッキー!」×2。
名前を呼ばれた双子は、ロビーカーの通路をドカドカとこちらに走ってくると、春日野に右と左から抱き付いた。春日野はいきなりの抱擁に顔色ひとつ替えず、ぽんぽんと双子の背中をなだめるように叩いた。
「はいはい、変わらないね二人とも」
「アッキーこそ変わんないねその淡泊な反応!」
「そうだよ! もちょっと喜んでよ!」
「喜んでるよ、これでも。そろそろ離してくれる?」
「え~~?」×2
文句は言いはしたが、双子はあっさりと春日野の体を離した。
春日野の表情が年相応に軟らかくなっているのを見て、さっきまでは虚勢を張っていたのだと佐倉は気付いた。
ここに至って初めて春日野は、自分たちが注視されていることに気付いたようだった。
「可緯、経。自己紹介しなよ」
春日野にうながされて双子は、片方が化け猫たちに、もう片方が佐倉と立花に向き直った。
「ハジメマシテー」×2
完全なシンクロした声と動作で、双子はそれぞれ別方向に頭を下げて
「縦の糸、幡崎可緯でーす」
「横の糸、幡崎経でーす」
そしてなぜか、あらぬ方向――誰もいない空間に向かって決めポーズを取り
「二人そろって、退魔士でーす」×2
誰に向かってポーズしてんだというのが人と化け猫の冷めた共通認識だった。
微妙な空気の中、春日野だけがパチパチと拍手をした。そして菊千代が「縦の糸と横の糸ってなにさ」ともっともな疑問を口にしたが、双子に完全に無視された。
「それにしても……」
春日野は大げさに顔をしかめてみせた。
「どうしてこんな危ない真似するのさ。さっきからうるさかったバイク、ふたりでしょ。橋の欄干飛び越えたんでしょ?」
「そうでーす!」×2
「無茶だなぁ。途中から乗ってくるって聞いてはいたけど」
「それだよ! 聞いてアッキー! 話が来たの一週間前だから!」
「それから大あわてで道具揃えて、禊して、バイク飛ばして! ようやく間に合わせたんだから!」
「ねーっ!」×2
狭い通路を、双子の後ろを縫うように戻ってきた立花が「どこも事情は似たりよったりだな」と呟いた。
「さて、招かれたのはこれで全員か」
少なくとも人間の中では一番年上だと自覚した佐倉は、場を取り仕切る決意を固めると口を開いた。
「この列車の行き先も、そこで何が待っているのかも、少なくとも俺たちは聞いていない。中の者が説明しますと言われて、俺はてっきり板東睦の誰かが居るのかと思ったんだが……」
と、その時、車内にチャイムが流れた。「鉄道唱歌」のメロディだ。
そして、アナウンスが流れてきた。
『皆様、今夜もご乗車いただきありがとうございます。この列車は、11時59分新宿駅発、臨時列車【地獄】行きでございます』
「は?」
叫んだのは佐倉か立花か、あるいはその両方か。
声を上げなくとも、驚いていたのは春日野や幡崎たちも同じらしかった。
化け猫たちはあらかじめ知っていたらしく、顔色ひとつ変えていない。
録音済みのアナウンスは、無情に告げた。
「次の停車駅は【地獄】、次の停車駅は【地獄】。お降りの皆様、どうぞお支度をお願いいたします」
アナウンスが終わり、再びチャイムが流れて静寂が戻ったロビーカーに、静かなモーター音が響き渡った。列車の乗車口上の、スクロール式の行き先表示が変わる音だった。
車内の誰もが知る由もなかったが【臨時】が巻き取られて長い白地が続いた後、出てきた文字は――
【地獄】だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます