地獄でなぜ悪い
等々力渓谷
第1話 JR新宿駅13番線 11:59 ~臨時列車『地獄』~
もうすぐ真夜中になろうというのに、ホームには人の行き来が絶えない。
数分おきに到着しては、客を降ろし、客を乗せ、出発してゆく山手線、総武線――。
その一角、13番ホームにつながる階段を、足早に駆け下りてゆく二人連れがいた。
一人は、華やかな雰囲気の高身長の男だ。程良く筋肉がついた体をタイトな七分袖のカーマインレッドの綿シャツとビンテージ風のジーンズで包んでいる。くせのある髪の毛にはマンダリンオレンジのメッシュが入り、黒いメッセンジャーバックをかけたその姿は、まるで広告の1ページ――なのに、片肩にひっかけるように斜めに背負った「ウーパーイーツ」のロゴが入ったボックスが、色々と台無しにしている。この、ちょっと残念なイケメン――立花操央は現役のモデルだ。本人としては俳優を自称し日々努力を重ねているのだが、どうにもチャンスを活かしきれない。
もう一人は、対照的に小柄だ。サイズの合わないぶかぶかの白いTシャツの上に襟なしのジャケットを羽織り、裾を折り返したチノパンを穿いている。短く刈り上げた髪に鋭い目付き、そして両手の拳に巻かれた白いバンテージを見て、誰もが彼をボクシングかムエタイをやっている高校生だと思うだろう。だが、彼――佐倉透吾はれっきとした成人で、海洋生物を専門に研究するポスドクだ。ボクシングジムには、体力作りの一環として通っている。
「ねぇ佐倉さん! オレ前から思ってたんだけど!」
「後にしろ!」
大声で怒鳴りあいながら、二人連れは階段を降りてゆく。
「事前のお知らせって大事じゃね? 工事で通行止めですよとか、雨が降りますよとか、出張で列車に乗ってもらいますとか!」
「後にしろと言った!」
人の行き来の絶えない新宿駅で、なぜかこの階段だけはまったく人気がない。
おかげで二人は周りに気を使うことなく、階段を駆け下る。佐倉が一段抜かしで距離をかせぐのを、立花は歩幅のスライドの長さで追いついてゆく。
「お知らせはゆとりを持たせてほしいよね! 来月とか、今週末とか!」
「足を動かせ!」
「30分前ってどうなの? オレ、カレー作ってたんだけど! 新宿までタクシーで来たんだけど!」
「俺だってジムでスパーリング中だった!」
叫ぶと佐倉は勢い良く階段を蹴って跳躍した。階段を8段ほど一気に飛び下りて、ホームに着地する。
「わー佐倉さんカッコいい」
「お前も来い!」
「足ぐねったら仕事に響くからやだよ!」
ドタバタと降りてくる立花をそのままに、佐倉はホームを見回した。
「臨時列車……あれ……でいいのか?」
ホームに停まっている列車を見て、佐倉の口から困惑を隠せない声が漏れた。
ひーひー言いながら追いついてきた立花が、正直な感想を口にした。
「わー、なにこれ。人が乗る用? 貨物列車じゃね?」
立花が言うのも無理はなかった。
奇妙な列車だった。
まず先頭の動力車にパンタグラフが無かった。つまりディーゼル機関車だ。流線型とはほど遠い、角ばった長方形の車体は真っ黒に塗装されている。エンジンは規則正しくアイドリング音を上げ、いつでも出発できることを示していた。
その次に黒塗りの客車が2両接続されており、それぞれの乗車口の上には、今どき珍しいスクロール式で、行先が【臨時】と表示されている。
そしてその2両の向こうに、貨車が4台接続されていた。正確にはコンテナを搭載するための台車である。奇妙なことに、通常なら赤く錆びているこの台車まで黒く塗装されていた。
「……客車は2,貨車が4」
呼吸を整えて、困惑を呑み下した佐倉が言った。
「多数決により、これは貨物列車だ」
「貨物列車って、俺ら乗っていいの?」
「知らん」
佐倉は手前の客車の乗車口に向かって歩き出した。
その様子を観察していたかのように、客車から男性が降りてきた。無個性なスーツ姿だが、その上から年期の入った法被を羽織っている。
入口に立ちはだかるように、ホームに降り立った男性に、佐倉は
「『板東睦』から依頼された。佐倉透吾だ」
「立花操央でーす」
男性は業務的な笑みを浮かべると無言で右手を差し出した。
佐倉が、用意していたスマホの画面を見せる。そこには、QRコードにしか見えないものが表示されていた。立花も、提示するためあわててスマホを操作する。
男性が画面を注視する。
するとスマホに表示されていたデジタルコードが、ぐにゃりと歪んで渦を巻いた。渦はみるみる小さくなり中心点に吸い込まれて消える――寸前に、その中心からポンと記号が飛び出した。
現れたのは漢字が一文字、【睦】。立花のスマホにも、同じものが出ている。
男性は目元を和らげると、差し出した手をそのまま、自分の法被の襟に滑らせた。
無地だった法被の襟に【板東睦】の文字が浮かび上がった。
板東睦――関八州を取り仕切る、この世ならざるモノを扱う機関である。組織の長の名前は滝口、6人の影武者が居ると言われている(かつては7人居たそうだが、事情があって一人減った)
「まもなく発車します。ご乗車下さい。佐倉様の寝台席はD-2、立花様はD-1です」
「寝台席?」
「わーブルートレインだー、いやブラックトレインだー」
戸惑う佐倉をよそに、立花は法被姿の男を回り込んでさっさと乗車口に向かう。
「待ってくれ、寝台車? そんなに遠くに行くのか? 俺たちはついさっき『新宿駅の13番線から出る臨時列車に乗るように』と連絡を受けたばかりで……」
ホームに設置されている電光掲示板の表示が『11:59』に変わった。
あたりにジリリリ……と発車ベルが鳴り響いた。今時めったに聞かない古風な音だ。
「詳しくは中の者が説明します。どうぞご乗車下さい」
「だが……」
乗車口で立花が振り返った。
「乗っちゃおうよ佐倉さん。もう受けちゃったんだからさ、退魔のバイト」
「今ならまだ断れるんだぞ」
佐倉は漆黒の列車を見上げる。
(おそらくこの塗装は、車体を霊的に防御する為のものだ。つまり目的地までの道中で襲撃を受ける――広範囲に影響力を駆使できる、多数の眷属を抱えた大魔縁が相手……)
自分の考えを、佐倉は立花にすべて伝えるつもりはなかった。代わりにこう告げた。
「馴染みの医者もいない土地でケガをしたらどうする。お前だって、本業に差し支えるぞ」
「ケガしないようにちゃんと守ってよ、佐倉さんが」
眉間を押さえてため息を吐いた佐倉に、立花が情けない声を上げた。
「えっ何それ傷つくんだけど!」
発車ベルが止んだ。
法被を着た男が、無言で佐倉に場所を譲る。その背後から、漆黒の列車の乗車口が現れる。
乗車口の立花が、手を差し出した。
「行こ、佐倉さん」
佐倉はもう一度、さっきより深いため息を吐くと、立花の手を取った。
発車を告げる、汽笛の甲高い警告音が鳴り響く。
乗車口を開けたまま動き出した列車に、佐倉は軽く助走を付けて飛び乗った。
「佐倉さん、寝台車って乗ったことある?」
「いや」
「そっか、オレも初めて」
彼らの前に広がっていたのは、真っ直ぐな廊下だった。
廊下の右側――進行方向に対しては左側には大きな窓が並んでいる。ガラスの向こうで、照明を落としたニトリ(紀伊國屋ビル)が後ろへ流れてゆくのが見えた。
そして左側には、銀色の遮光カーテンと金属製の柱が一両分、ずらりと並んでいた。寝台席だ。柱にプレートが貼ってあり、番号が確認できる。
「まず席を確認するぞ。D-1と2だ」
「このカーテンの向こうがベッドだよね。小さいなー、足伸ばせないなー」
返事の代わりに佐倉は立花の足を踏んでやった。
「痛い!」
「すまない、俺も足が長いもんでな」
そうこうしている間に、佐倉は『D-2』と書いてあるプレートを見つけた。
佐倉が立ち止まったので、立花は上を見上げて
「上の方はD-1だね」
佐倉はシャッと勢い良く遮光カーテンを引いた。
遮光カーテンの奧には上下の二段ベッドが二組、向かい合って並んでいた。ベッド同士の間には小さな窓がある。それぞれのベッドにもカーテンが降ろされており、プライベートは確保される仕組みになっていた。
カーテンで仕切られていた空間に立ち入ると、佐倉は寝台のそばにひざまづいてD-2、自分の寝台席のカーテンを開け放った。
黒いモケット生地のベッドの上に、朱色の紐を掛けられた横長の桐箱が安置されていた。霊刀『愧』、板東睦から貸与される退魔兵器だ。
桐箱を見つめて動かない佐倉をよそに、立花はずかずかと佐倉の真後ろに立って自分の寝台のカーテンを開けると、
「お、『慚』があった」
霊刀『慚』は『愧』と対になる刀だ。『愧』が脇差、『慚』が打刀である。本来は『慚愧』として一人で装備するものだが、現在は佐倉と立花で分け合って運用している。
「久々の大働きだね、佐倉さん……佐倉さん?」
ひさまずいたたまま動かない佐倉を、立花は後ろから覗き込んで
「どしたの? 佐倉さんならこの列車見た瞬間、こうなるってわかったでしょ」
「お前……」
「いいじゃん、お手当、弾んでもらえるよ」
頭上から降ってくる屈託のない声に、佐倉の口元に笑みが浮かんだ。
「……そうだな、金は大事だ」
カーテンを元通りに閉めた佐倉は、立花を見上げて
「もう一台の客車を確認するぞ」
「装備しないの。『慚』と『愧』」
「まだだ」
立ち上がって歩きだそうとした瞬間、列車が大きく揺れた。
「おっと」
バランスを崩して立花にぶつかりそうになった佐倉は、それを避けようとして向かいの寝台に突っ込んでしまった。
カーテンの奧でガツンと大きな音がした。
「あいたた……」
「佐倉さん大丈夫?」
「平気だ」
体を起こそうとした佐倉は、遮光カーテンの隙間から漏れる光で、自分が倒れ込んだのがモケット生地の寝台ではないことに気付いた。冷たく固い――重たそうな、西洋式の棺。
立花がカーテンの隙間からのぞきこんできた。
「うわ、なんだこれ。ガトリングガンでも入ってんの?」
「あ、ああ……」
棺だからといって死体が入っているとは限らない。立花の発想にホッとして、佐倉はそのままそうっと体を起こした。棺のふたがずれてないかを確認して、遮光カーテンをピッタリと閉じる。
「さ、行くぞ」
「待って、荷物ここに置いてく!」
「なんでそんなモノを持ってきたんだお前は。カレーを作ってたんだろう」
「そうなんだけどさぁ……」
バタバタと物音がした後、佐倉と立花の足音が遠ざかってゆく。
そしてあたりは、心臓の音のように規則正しい列車の走行音だけになった。
その後――
ガタンと音がして、棺のフタがわずかに動いたのを、誰も気付くことはなかった。
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