猫又と輪廻の歳

霜弐谷鴇

猫又と輪廻の歳

 なんて落ち着くのかしら。はぁ、幸せ。我慢ができない。ゴロゴロと喉が鳴ってしまうわ、はしたないと思われるかしら。


 温かい膝の上、私は丸まって喉を鳴らす。尻尾は上へ下へ、右へ左へと嬉しそうに踊っている。抑えようと思っても抑えられない私の気持ちみたいな尻尾。


 頭から首、背中を通って尻尾まで撫でる彼の手の温もりを感じて、私は大きなあくびをする。こんな安らかな毎日がずっと続けばいいと思うのとは裏腹に、明日は彼の88歳の誕生日。待ち侘びた来ないでほしかった日。8と8が重なる、輪廻の歳。


 少し、昔話をしましょうか。


 彼との出会いは……あれ、どこだったかしら。ハッキリ思い出せないわ。まぁ、いいか。彼とはふたりきりで暮らしていたの、小さな部屋だった。


 彼は物書きをしていた。いつもパソコンと睨めっこしていて、嫉妬したのを今でもありありと思い出せる。ちょっと困らせてやろうと思って、テーブルの上にひとっ飛びして、パソコンをふみふみしてやったものよ。彼は、笑いながら困ったような顔をして、私を退けるの。その顔が可愛らしくて、とっても好きだった。


 ある時、彼が人間の女を連れてきた。なによなによって、腹が立って、毛を逆立ててやったわ。尻尾なんかもう猫じゃらしみたいになっちゃって。

 でも彼は、彼女といるととても優しく笑うの。そして時々、愛おしそうに見つめている。私は独占欲の強いメスじゃないから、許したの。種族の壁を越えるのは大変だものね。


 そんな日々が数年過ぎて、彼と彼女の間に子供ができたみたい。おめでたいわ、全くおめでたい。人間の赤ちゃんは、生まれてからずっと母親に守られてる。一人で立ち上がることもできないみたい、弱いものね。けどなんだか弱々しすぎるから、時々温めてあげたわ。気持ちよさそうに、くすぐったそうに眠る顔は、忘れられない。尻尾を鷲掴みにされたことは、忘れてあげない。


 ある日、彼が蒼白な顔で帰ってきた。心配になって擦り寄っても、反応しない。数日の間、彼は抜け殻のように虚空を見つめていた。彼女と子供はその間、帰ってこなかった。この人をほっぽってどこに行ってるのやら、そう思った。数日後、さすがに寂しくなったのか、彼が彼女と子供の写真を飾り始めたわ。その日から、よく写真の前で手を合わせてる。喧嘩でもしたのかしら?と呑気に私は思ってた。


 そこから十年、二十年、三十年と経っても、彼は鬱屈として様子で、膝に乗る私を撫でるだけ。でも私は満足だった。あの女に彼を取られていた数年から、彼を取り戻せたんだから。


 彼女と子供が、死んだのだと知ったのはそれから十年後だったわ。彼が泣きながら、なんで死んでしまったんだって。ひとりで生き続けるのになんの意味がって咽び泣いていたの。私がいるっていうのに、失礼よね。やっぱりあの女の方がいいのかしら。


 また時が経って、彼がほとんど口を開かなくなった。夜中に急に思い立ったように立ち上がって、家の中や外をふらふらと歩き回ることが増えた。夜中に私は彼に会いたくなくて、隠れてやり過ごした。見られるわけにはいかないもんね。


 そんな日々を過ごして今日に至るってわけ。彼の息は浅く、脈拍がとても弱まっているのが、毎日彼と肌を合わせている私にはわかった。彼も、死んでしまうのかしら。


 いやだ。いやだいやだいやだ。彼が死んだら、死の先でまたあの女と会うんだ。あの女とともにまた過ごすんだ。許せない許せない許せない許せない。もう二度と彼を奪われてたまるもんか。私だけを見て、私の中だけで生き続けてほしい。


 私は死の先にはゆけない。彼とともにはゆけない。なら彼をここに留めればいい。彼の命が尽きる前に私の命を注ぎ、延命させてきた。そして明日、いや、時計の針は天を指している。もう今日だ。


 彼の88歳の誕生日。待ち侘びた、けれど来ないでほしかった。人間の生の中でたった一度だけ訪れる、8と8が重なる輪廻の歳。


 私は彼の前に立ち、前脚を胸に当てる。ぽぅっと白く微かに光る球体が彼の胸から浮かんできた。私は口を開ける。顎が軋むほどにあんぐりと口を開き。


 ぱくん。


 彼が私の中に入ってくるのを感じ、舌なめずりする。白い球体ーー彼の魂を喰べた私は、これで彼とずっと一緒にいられる。寄り添い膝に乗ることは叶わないけれど、彼は私の中にずっと生きている。あの女に、渡してやるもんか。


 丑の刻。月夜に照らされて、二股の尻尾が上下左右に踊っていた。


「ずっと一緒よ」


 


 

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猫又と輪廻の歳 霜弐谷鴇 @toki_shimoniya

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