第3話 夢から現実へ

 

「この二日後、私も消えました」

「そうか……」


 ユリアンが目を閉じながら沈痛な面持ちになる。

 拳も微かに震えている。まるで当事者のように。


「消えた、つまり死んで魂だけの姿になった時に、漸くここが夢の世界と知りました」

「魂……。じゃあ俺が塔に入ってから感じたあの視線は……」

「私です」

「……なるほどね」


 魂だったら現実世界と行き来できてもおかしくない。



「消えたっつーことは死体になったってことだろ? あの執事やメイドが死体なのは分かったんだけどさ、それからお前や皆の死体は何処に行ったんだ?」

「それは分かりません。私も死んでから現実世界に戻れて、そこで両親や皆の死体を確かめようとしたのですが、何故か私は勿論他の人の死体も無かったのです」


 レムリィも自分でも分からないようだ。

 ユリアンが訊く。


「他の人も……か」

「はい。何故かは分かりませんが」

「それにしても、レムリィが体験したことと私達が体験がしたことが似ているな」


 ユリアンが人差し指を口元に当てて考える。


「ユリアンさん。現実の方でピアノの音が聴こえたと言いましたね」

「うん。外にいた時から聴こえていたんだ。ただ、その曲がレムリィが聴いたのと同じかどうかまでは分からないよ」

「そうですね」

「そう言えば、五階にピアノがあったな。それで弾いて確かめようぜ」

「ああ」

「はい」


 三人はレムリィの部屋を後にして、エレベーターで五階へ向かった。


 因みに幽霊になったレムリィは、浮いて飛ぶことが出来るが、何故か扉はすり抜けられないらしい。

 あとは、人が触れる事も出来る。

 だからノーティが食事へ行く時、視線を感じなかったのだ。

 扉から出られないのだから。


 では、三人は五階へと降り立ったところで戻そう。

 

 五階は楽器を始めとした音楽に関する機材が置かれている。

 そのフロアの一室に豪華な漆黒のグランドピアノが置かれている。

 ポツンと広い部屋に置かれているからか圧倒的な存在感を放っている。

 部屋は五角形とちょっと部屋の形としては珍しい。


「あったぜ」

「それでなのですが」

「あん?」

「どちらか弾けますか?」


 レムリィはもうこんな姿な上、元々ピアノは弾けないそうだ。

 こんなことならピアノをやれば良かった、と後悔したそうだ。


「んじゃあここはユリアンだな」

「え? ユリアンさんですか」

「意外かもしれないけどな。けどメチャクチャ上手いぜ」


 ノーティの言葉に少し照れるユリアン。


「五歳から興味があってね。……それじゃあ弾くよ」


 ユリアンがワインレッドの丸椅子に座り、指を鍵盤に触れてあの曲を奏でる。

 あの慈雨を思わせる優しい音。心が洗われる。

 ユリアンの少々がっちりしているが割と細い指が滑らかに鍵盤を舞う。


『……』


 二人とも黙して聴いている。

 

 ユリアンが一通り弾き終えると、レムリィが首を強く縦に振った。


「これだ。この曲です。間違いありません」

「そうか」


 ユリアンとレムリィが合点が行った顔をして嬉しそうにする。


「――」


 ノーティはずっとユリアンの方を見ている。何故か少し悲しそうな眼をして。

 ユリアンもノーティの目が気になったが、今はこの事件を解決することが先だ、とすぐにレムリィに向き直る。


「確か鳴っていたのは、最上階だったよな」


 気を取り直したノーティがレムリィに訊く。


「はい。最上階にあったあの黄金の扉。あの先からでした」

「んじゃあそこへ行ってみようぜ。鍵だってもしかしたらあの階のどっかにあるかもしれないからな」

「ああ」


 ノーティが足を踏み出して、また歩を止めてレムリィに訊く。


「あ、待ってくれ。確か十五階ってエレベーターって止まらなかったよな」

「はい。どうやら上る時は階段を使うしかないようです」


 とレムリィ。


「そっか。んじゃあ十四階まで上って、後は階段で行けばいいか」

「そうですね」


 ノーティとレムリィが部屋を出ようとして、ユリアンもその後に続こうとした時、


「……?」


 キラ、と蓋の裏側に何か光るものを見つけた。

 蓋を調べると、なんと蓋の裏側に隠し扉があった。

 その微かに空いていた隙間を開けると、


(これって……。念のため取っておくか)


 ユリアンはそれをポケットにしまい、二人の後を追った。



 三人はエレベーターで一旦十四階まで上って、そこから階段で十五階まで上る。

 この先には何が待っているのか、皆目見当がつかない。

 ユリアンとノーティは感覚を掴むように一歩、また一歩と足を上げる。

 少し緊張しているが足音でも伝わる。



 ユリアンとレムリィは再び、ノーティは初めて十五階へ足を踏み入れる。

 廊下は相変わらず鈍い金色に染まっている。


「何か悪趣味だな」

「確かに。私も初めてここへ来た時思いました」


 ノーティとレムリィが廊下について率直な感想を述べる。

 ユリアンも、改めてじっくりと見て、強く賛同した。

 はっきり言って、こういうゴテゴテとした装飾は元々好かない。

 それはノーティもレムリィも同じだ。


 クリーム色のソファも相変わらず存在感を持って佇んでいる。

 その正面にある巨大な扉もだ。


 ノーティがドアノブを回すも勿論鍵はかかっている。


「やっぱりダメですか」

「くそ」


 レムリィとノーティが悔しがって、この階を片っ端から探そうとした矢先、ユリアンが二人を制する。


「実はこれ……」


 ユリアンがボトムのポケットから、扉と同じ鈍い金色の四角形の装飾がついた鍵を取り出した。

 扉の模様と一致するので、間違いないだろう。


「ユリアン。どうしたんだよ、それ」

「ああ。ピアノの蓋の裏の隠し扉に挟まっていた」

『いつの間に……』


 レムリィもユリアンのちゃっかりした行動に驚く。

 ユリアンはノーティとレムリィを見て頷き、鍵穴に差し込む。


 ガチッと音がして、再びドアノブを捻る。

 扉が大きさに似つかわしい重い音を立てて動く。

 重さもそれなりにあるようで、左側をユリアンが、右側はノーティとレムリィが力一杯押して開ける。


 中は薄暗く、ポツンと部屋の真ん中に先ほどのピアノよりも少し古びた黒いピアノが一台置かれているだけだ。

 面積も思ったより狭く、三人が泊まった客室とさほど変わらない。

 本当に五階の部屋の半分ほどしかないだろう。

 だが、窓が無い。まるで地下倉庫だ。


 ピアノも古びてはいるが、特に傷んでいる様子はない。

 大分年月が経っているとは思えないほどだ。


「またピアノか……」


 ユリアンがピアノに近づこうとすると、


「待て!」


 ノーティが止める。レムリィも右手でユリアンを制している。


「え? ……!!」


 ユリアンが二人に向けて、すぐにピアノに視線を戻すと、ユリアンはその先を見て驚いた。


 ピアノに橙色のもやが人の形を取って、鍵盤に触れている。

 先ほどユリアンが奏でた曲と同じ曲が部屋を包み込む。

 

 同じ曲の筈なのに暖かさがある。心の緊張が解き放たれてゆく。

 これにはそんな力があるみたいだ。

 ユリアンもノーティもレムリィも、驚きを忘れて目を閉じてじっくりと聴いている。


 そのもやの指と思しき部分が鍵盤から離すと、もやは三人を一瞥し、すっと消えた。


「……あれは?」


 レムリィはぽかんとする。


「あのもや、なんか蓋の方を見ていなかったか?」


 ノーティが蓋を指差す。

 ユリアンが蓋を調べると、そこには手の平に収まるサイズのオーブがあった。

 それは橙色に淡く光っている。


「……綺麗だな」


 ユリアンが率直な感想を述べて、二人に見せようとすると、オーブがピカァ、と強く輝いて先ほどの音色と同じように部屋中を包み込む。


『!!』


 あまりにも目映くて三人は思わず腕で目を覆う。

 だが、光はすぐに弱まり、先ほどのもやが女性の形をとって現れる。


「……」


 レムリィが顔の部分を見て、何かハッとする。

 でも結局止めた。


「先程、下で聴こえた旋律の主はどなた?」


 か細い女性の声で三人に訊く。


「あ、わ、私です」


 ユリアンが咄嗟に応える。


「そうでしたか。名は?」

「ユ、ユリアン・コンバティールです」

「ユリアン……」


 ユリアンの名を呼ぶと、ふっと口元に笑みを浮かべる。


「あ、貴女は……」

「よくぞ私を解放してくれました」

「解放? どういう事ですか?」


 焦ったノーティが訊く。


「私は太陽の精霊。悪の死道使いディノスによって、このオーブに封印され、この夢の世界に閉じ込められていました。百五十年もの間」

「百五十年……」


 レムリィが亡くなる更に前の話になる。

 精霊が淡々と話してくれる。


「ある時、私はこの土地に陽の光を届けるために降り立ちました。そこを、あのディノスに捕らわれてしまいました」

「何故太陽の精霊様を?」


 とレムリィ。


「ディノスはこう言いました。【忌々しい。光はこの世で最も憎むものだ。お前のような者は目障りでしかない】そう憎々し気に言い、私をそのオーブに封じました」

「そう言えば、ここは雨が絶えず、晴れた日を殆ど見ない土地だ、と父から聴いたことがあるわ」


 レムリィがハッとした顔で思い出す。


「はい。私をここへ封じたことで太陽の光が届かなくなり、この土地一帯を雨の土地に変えました」



 三人からディノスのことについて訊かれた精霊は、捕らわれている間ディノスに関して分かったことを話してくれた。




 ディノス・ハワード。

 

 彼は二百年以上も生き永らえている死道使いネクロマンサーで、一つの塔を拠点として、死体の収集を生業としている。

 彼が死体を収集しようとした目的は、【一人の女性の死体を永久に保存し、自分のものとすること】だった。


 ディノスがそんな暴挙というべき愚行に走った理由は、彼がまだ人としての心があった時のことまで遡る事になる。


 

 ディノスが付近の森を散策していた時、ある一人の女性と出会った。

 その女性は、亜麻色の髪と金色の瞳、そして身長が今のレムリィと同じくらいの清楚な印象をもたらす女性だった。

 ディノスは瞬く間に惹かれていった。

 その時は何も言えず仕舞いだった。だからこそ、次に会った時に思いを告げようと決めた。

 何年も、何年も。

 だが、彼女は現れなかった。一度も。


 ディノスは無念の思いで彼女を探し続けた。

 そしてそれから十年経った頃だろうか、もう正確な経過は分からないが、それ位経った頃、風の噂でその女性のことを聴いた。

 だが、それはディノスにとっては聴きたくなかったことだった。

 

 女性が亡くなったのだ。

 死因は老衰だった。最期は家族に看取られて静かに永遠の眠りについた、と。


 ディノスは悲しんだ。それと同時に嫉妬をした。

 女性が亡くなった事、そして既に自分の知らない土地で子をなしていたことに、だ。

 それがディノスの思考を、善の理性を狂わせてしまったのだ。


 ディノスは呪った。呪い続けた。

 女性の伴侶になった者を。死ぬまで。

 その為に、あらゆる研究に身を染めた。

 たとえそれが非人道的なものであっても。

 呪えるのなら何だってやってやる、と。


 その頃には、彼の寿命もとうに尽きるだろうと思うのだが、執念が彼を生き永らえさせているのだろう。

 いや、あるいはその非人道的な研究による賜物からなのかもしれない。

 だが、その代償として、彼は陽の光を嫌うようになった。

 光を浴びると、死に近付いてしまうからだ。

 死期に近付くことを恐れたディノスは、自分の身の回りの世話をさせる使役を創る事も考えた。

 それは、迷い込んだ者を、創り上げた【夢幻の香水】によって夢の世界へ誘い、肉体を弱らせ、死に絶えた者から偽りの魂を与えて、まるで蝋人形のようにしたのだ。


 


 研究に没頭して約五十年経った頃、その女性について調べていたところ、こんな事実を知る事になる。

 女性には娘を授かっていたのだ。

 その女性の娘がこの近くに住んでいる事もだ。

 是非とも会いたい。だが、どうやって確実に会うようにするべきか。

 そうだ、雨だ。雨でここへ誘わせれば良いのだ。


 その時、ディノスに更に好機が訪れたのだ。

 太陽の精霊を上空から見かけたのだ。

 ディノスはほくそ笑み、太陽の精霊について調べた。



 【太陽の精霊】


 宇宙全ての陽の気を担う太陽から生まれし精霊。

 普段は太陽の元にいるが、時折様々な惑星にやって来ては、その星に陽の恵みを与える役割を担っている。

 閉ざされた空間に住まわせると、陽の光を鈍らせ、雨を降らせる。

 そして太陽の恋しさに一つの旋律を奏でるのだ。

 それは、限られた者にしか聴こえない調べである。



 ディノスはこの特性を利用し、遂に捕獲に成功した。

 その時の会話は先程の精霊の会話にあった通りだ。

 それから雨を降らせ、遂に百年前、ディノスが望んでいた結果を手に入れる事が出来たのだ。





 これが精霊の知るディノスのことだ。




「うわ。なんつー奴だよ」

「だからか。現実世界での執事やメイドの肌が妙に白かったこと、指がまるで氷のように冷たかったことも」

「ああ。全ては仮の命を吹き込まれた死体だったから」


 二人は現実世界の疑問に全て合点がいった。


「恐らくディノスが食堂でしたあのにやけた笑みは、私達が死体になった後、守護者として最適な体を思ったから」

「ああ。死んで仮の魂を吹き込んだ後は、自分直属の配下にして、無敵になる魂胆っつーことだな」


 ますます最低な輩だ、と二人は憤る。


「そうと聞いたら、一刻も早く脱出する方法を探しましょう」


 レムリィが二人に呼び掛けると、二人は強く頷く。

 だが、精霊が三人を呼び止める。


「大丈夫です。あなた方が封じられた私を見つけて、解放して下さったので、私の力で現実の世界へ戻してあげられます」


 精霊が手を上げた瞬間、白い目映い光が部屋中を包み込み、空間がまるで砂嵐のように歪んでゆく。


『――!!』


 三人は腕で目を守るように隠す。





「?! この気は。く、おのれ……。アレを見破ったか」


 ある一室で、男が憎々し気に吐き捨てるように言う。




 数秒くらい経っただろうか、光が消えたことを目蓋の中で確認できた三人は、恐る恐る目を開けてみる。


『……』


 そこには、何とさっきまであったピアノが無くなっており、がらんとしたまるで倉庫みたいな空間になっていた。

 精霊もいつの間にかいなくなっている。


「戻った……の?」

「分からない」

「外は?」


 ノーティが左側にある窓を指差し、三人で外を眺めてみる。

 外は相変わらず雨が降り続いていて、遠景は霧でけぶっているが、下の地面は見えている。

 色もはっきりしており、暗くても木々の緑や地面の黄土色が見えていることから昼になっていることが分かる。

 現実の世界に戻ったのは確かだ。


「どうやら現実世界みてぇだな」


 ノーティが安堵しながら真上にかかっている時計を見ると、九時を指している。


「よし。ディノスを探そう」

「はい。父と母、そして皆の仇、今度こそ」


 レムリィが右手を握りしめる。

 三人は、もう用が無くなった十五階を後にして、ひとまず八階までエレベーターで下りてゆく。


「う~ん。それにしても、何処に潜んでいるのかしら?」

「十五階にいないとすると、何処か別の部屋に隠し扉でもあるのかな?」


 レムリィの疑問に、ユリアンも同じように考える。


「そんじゃあ、また手分けして探そうぜ。今度は夢と現実の世界の違いを見つけつつな」

「ああ」

「はい」

「今は九時半だな。んじゃあ十一時半にここへ集合しようぜ」


 ノーティの提案にユリアンもレムリィも頷く。


 

 三方に分かれて手掛かりを探すことにした。

 今度は、ユリアンは一~五階。レムリィは六~十階。ノーティは十一~十四階を探すことに。



「さて、と。何か変わったところはねえかな」


 エレベーターで十四階へ着いたノーティは、首をコキコキ鳴らしながら左右を見て、まずは左へ行く。




「ふう。次は十一階だな」


 ノーティは階段で十一階まで下りてきた。

 下るだからか、夢の世界で上った時よりはあまり疲れていないが。


「!」


 ノーティの目の前に飛び込んできたのは、萎れた花が四、五輪放置されたままになっている花瓶だった。

 電話台の傍に置いてあり、台の上にはうっすらと埃が積もっている。


「あんなの夢の世界ではあったっけ?」


 呟いて花瓶に近づく。


「可哀そうに。一体何年ほったらかしにされたんだ」


 ノーティは花を、男にしては意外とか細い指で一輪つまんで、花を悲し気に見つめる。

 こう見えてノーティは植物好きだ。だからこそ、こんな姿を見ると悲しくなる。


「あのオッサン、植物にさえぞんざいなのかよ。ますます気に入らねえな」


 声に怒りが含まれてきた。


「つっても、他は特におかしなところはねえな。仕方ない、八階へ戻るか」


 ノーティは、指でつまんでいた花を悼むように花瓶にそっと差して、エレベーターで八階へ戻った。



 一方、レムリィは六階にいた。

 レムリィは幽霊だから、階段の上り下りは浮いて移動するから疲れることは無い。

 レムリィの方も、六、七階の方は特に何も無かった。

 八階は一番最後に行くことにしているので、九階、十階へと渡る。


 十階は、かつて自分達が泊まっていた場所だ。

 まずは迷わず自分が両親と泊まった部屋へ行く。


 部屋の様子は、かつて自分達が泊まった時と何ら変わらない。

 ただ一つ違うのは、日記が無かった。

 夢の世界での出来事だから当然のことだが。

 日記が置かれていただろう場所に、まるで白魚のようにすべすべな指が触れる。


(お父様、お母様。絶対私達が助けてあげるから)


 憂うようにつぅーと撫でる。

 涙が一筋流れた後、レムリィは部屋を後にして、最後の八階へ行った。


 八階へ下りて、二人が泊まっていた部屋へ入る。

 

(ユリアンさんは、やっぱり几帳面ね。ベッドのシーツもあまり乱れていないし)


 一方、ノーティの部屋は、


(意外ね。ノーティさんも結構几帳面なのね。ベッドのシーツがしっかり広げている。こういうところもガサツかと思った)


 だが、別に変ったところは何も無かった。


「――」

「……?」


 下の階から何か声が聴こえたような気がした。

 ユリアン? いや、複数の様な気がした。

 ……。嫌な予感が頭をよぎる。


(でも一人で行くには危険ね。第一私は武器を持っていないし。どっちかと合流したら言う事にしよう)


 いくら強気のレムリィでも、流石に突っ込まず、ひとまず八階のエレベーターで待つことにした。



 ユリアン一旦入口から探すことにした。

 玄関の扉に手をかけると、夢の世界ではノーティが開かなかったと言っていたが、流石に現実世界では、ギィと少し錆びた音を立てて開いた。


(……今は駄目だ)


 今は二人を置いて、自分だけ外へ出る訳にはいかない。

 ユリアンは扉を改めて閉めて、上へ行く。


 だが、ユリアンが階段を上がり、カツカツとブーツの音が遠くなった途端……、


 ボコ、ズズズ……。


 と、地面や壁から、まるでこの世の者とは思えない者が現れ、ゆっくりと上がって行っていた。




 「そう言えば、あの部屋はどうなっている?」


 ユリアンがふと気になった所は、五階の例のピアノが置いてある部屋だ。

 五階まで上がって来たユリアンは、真っ先に例の部屋へ入る。


「やっぱりあるか」


 ピアノは現実の世界でも置かれていた。

 ただ、夢の世界よりは多少埃がかぶっていたが。


「……ここも特に無さそう、かな」


 ピアノを見た後、ざっと部屋全体を見渡してみたユリアンは、別の部屋へ行こうとした時、


 キラ。


 シャンデリアの光が壁に反射し、埃の切れ目が一瞬見えた。


「……?」


 

 ユリアンは一瞬光った場所、入って来た扉から見て右の壁の埃を払ってみる。


「! これは……」


 壁に目をくっつけて見てみると、ほんの僅かに見えた先へと続く廊下が見えた。


「まさか奴はここに……? よし。くぅ……ふっ!」


 壁を押したり引いたりするが、ぴくりとも動かない。


「駄目か……」


 ユリアンがふう、と溜息をつくと、またピアノが視界に入る。

 よく見ると、蓋に何か紙が挟まっている。


「これって、譜面?」


 ユリアンはまたワインレッドの丸椅子に座って、少々がっちりしているが決して太すぎない指を鍵盤に触れてゆく。




「ユリアン、遅いな」


 一方、合流したノーティとレムリィがエレベーターホールに掛かっている丸い時計を見る。

 時刻は十二時になるところだ。

 二人は指定された時間の十分前に戻っている。

 

「一体どうしたのかしら?」


 レムリィが少し不安になる。


「アイツ、時間はしっかり守る奴だから、忘れるなんてことは絶対無いと思うけどな」


 レムリィも頷く。

 会ってほんの少しとはいえ、ユリアンのおおよその性格は分かって来たレムリィも、彼の性格上故意に遅れることはしないと思えたからだ。


「心配だ。ちょっと見て来る」

「私も」


 二人は階段でユリアンが行くと言っていた五階まで下りてゆく。


 

 だが、二人が階段で五階まで来た時、妙な寒気が体中を走る。


『!』

「な、何かしら?」

「! オ、オイ。下……」


 ノーティが小声でレムリィに下を指さす。


「え? ……!」


 レムリィは思わず声をあげそうになったが、ノーティが口を塞いでくれた。

 レムリィの目が大きく開く。



 それは下の階を埋め尽くすほどのゾンビの大群が徘徊していたのだ。


(どうしましょう)

(兎に角ユリアンを探そうぜ。こいつらに見つからないように)

(分かりました)


 気配を隠して五階の廊下を歩いていると、微かにピアノの音が聴こえてきた。


『!?』


 二人は突然聴こえたピアノの音に、一目散にあの部屋へ向かう。


 二人がその部屋へ行くと、ユリアンが奏でていた。

 ちょうど奏で終わったところで、切れ目がゴゴゴ、と動いて隠し通路が現れた。


「やはりこれか」

『ユリアン(さん)』


 ユリアンが振り返ると、ノーティとレムリィがいた。


「ノーティ、レムリィ」

「ユリアンさん。無事で良かった」

「約束の時間になっても来ねえから、何かあったのかと心配したんだぜ」

「ああ、すまない。それと無事とは?」

「ああ。下の階に……、うわ! 後ろ!」


 ノーティが突然驚いた顔をして後ろを指す。

 ユリアンとレムリィが何だ? と思って振り返ると、


「な」

「きゃあ!」


 なんと、さっきまで下にいたゾンビがやって来たのだ。


「げ。音を聞きつけやがったのか」

「何だ。このゾンビの大群は?」

「二人とも。こっちへ」


 レムリィが、先程ユリアンが開けた隠し通路を指差す。


「塞ぐもの、塞ぐもの……」


 レムリィが慌てながら探す。


「おい。これって」


 ノーティが通路の左にレバーを見つける。

 ガコン。

 レバーを下ろすと、隠し通路の扉が閉まっていった。


「ふう、間に合ったぜ」


 扉の奥で、ガン、ガンと乱暴の叩く音が聴こえる。


「ふう。有難うノーティ。一体あの大群は……」

「俺達がここへ下りてくる時、妙な呻き声が聴こえてよ、何かと思って見てみたらあいつらがいたんだよ」

「そうか」

「危なかったな。もう少し遅かったらあいつらにやられていたぜ」

「ああ」


 二人の言葉に、レムリィは少し鳥肌が立った。

 もしかしたら、八階で聴こえたあの声ってゾンビの声だったかもしれない。

 あのまま一人で行っていたら、無事では済まないと思う。

 幽霊とはいえ、触れることが出来るから。

 ああ、恐ろしい……。


「さて、と。もしかしたらここに奴がいるかもな」

「恐らく。あのゾンビが大量に湧き出たことにも合点がいく」

「大詰めだな」


 ノーティが槍を構えて、先に行く。


「ああ。レムリィは私の後ろに。念のため、後方の警戒もお願いしていいかな」

「はい」



 三人はゆっくりと歩んでゆく。

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