第2話 塔の謎
一
「んん……」
ユリアンが重い目蓋をゆっくりと開けて、視界を鮮明にさせる。
誰かが入って明かりをつけてくれたのか、部屋は明るい。
食堂や玄関ホールほどではないが、立派なシャンデリアが白く部屋をサンサンと照らしている。
……ん? 寝た時はシャンデリアは消えていたはず。
ユリアンは、まだ少し寝ぼけている体を起こして、窓を見てみると、
「!!!」
ユリアンは一瞬目を疑った。
ユリアンはもう一度、今度は窓ガラスに指をあてて覗き込むように景色を見る。
それは、空は未だ鼠色の雲に覆われて雨が降り続いている。地面の方は、霧に取り囲まれているのではっきり分からない。
ベッドの右にあった銀色のガラス製の時計を見てみると、針が眠った時刻である十一時半を指したままだった。
「……」
ユリアンは黙る。突然のことになると黙るのがユリアンの癖だ。
それにもう一つ疑問を抱くことがある。
この部屋全体に漂う匂いだ。
お菓子のように妙に甘い匂いだ。
寝る前はこんな匂いはしなかったのに。
……謎だらけだ。
「兎に角ノーティを」
少し落ち着いたユリアンは、急いでプレートメイルとマントを着けて、ノーティの部屋へ向かった。
「ノーティ、ノーティ! 起きているか?」
ユリアンが扉を強く叩く。が、返事はない。
不安が頭をよぎったユリアンは、ドアノブを回すが、鍵をかけている。
「仕方ない」
ガシャンとドアを蹴破って入った。
ノーティの部屋は、間取りを始め、全てユリアンの部屋と同じだ。
膨らんだベッドを見つけ、布団をはがすと、呑気に寝息を立てているノーティが横向きに寝ている。
「ノーティ、ノーティ。起きろ」
ユリアンがノーティを揺すり起こすが、
「うう~~、そんなに食えねぇ~……」
これまた呑気な寝言が返ってきた。
……ノーティの寝覚めは元々良くないことを知っているユリアンは、いつもなら穏やかな声と再度の揺すりだけで起こすが、今回は別だ。
「起きろ!」
珍しく大声かつ、ごついて起こす。
「いで! あんだよユリアン」
「あんだ、じゃない。外を見ろ」
無理矢理起こされて不機嫌なノーティが渋々外を見ると、
「……? あれ?」
外の景色を見た途端に、寝ぼけ眼だった灰色の目が一気に見開いた。
外は、先ほどユリアンが見た時と変わっていない。不鮮明なままだ。
「……一体何だよコレ」
ノーティの眉間にしわが寄る。
「ノーティ、塔にいる人達に知らせよう」
「あ、ああ。そうだな」
ノーティも少し落ち着きを取り戻して、椅子の背もたれにかけてあった灰色のコートを羽織って外へ出た。
二人はまず食堂から向かった。必ず一人はいるだろうと踏んだからだ。
バタン!
二人が巨大な扉を開けてみると、そこには誰もいない。
主人のディノスは勿論、執事やメイドも一人もいない。
「誰もいねえな」
ノーティが部屋をざっと見渡すが、人の気配が全くない。
「他の部屋を探そう」
「そうだな。俺は下の方を見てくる」
「ああ。私は見てくる」
ユリアンとノーティは二手に分かれて探すことにする。
ユリアンは、ガンガンガンと焦燥の色をブーツの音に混ぜて階段を上ってゆく。
この塔は十五階まである。
ユリアンとノーティが寝た部屋は八階。食堂もそう。
ユリアンは一階ずつ上がって調べてゆく。
各階の客室の浴室やトイレ、更には倉庫やホールとありとあらゆる部屋を調べたが、何処にも誰もいない。
だが、ユリアンは十階のある部屋で、机の上に日記らしきものが置かれていたのを見たが、
(いくらなんでも、人様の日記を勝手に見るのは良くないな)
と、日記に触れずに部屋を後にした。
「ハア……、ハア……」
七階分も上がるのは、流石のユリアンでもきつい。
最上階の十五階まで辿り着いた時には大分息が上がっていた。
十五階は他の階と雰囲気が違う。
今までの階は、白基調の明るい雰囲気だったのだが、そこは黄金をふんだんに使われており、綺麗ではあるのだが妙に不気味だ。
階段から少し歩くと、人一人が余裕で横になれる大きさのクリーム色のソファが対面に向いた感じで二つ置かれている。
ソファの正面に、これまた黄金の扉がある。
大きさは、一八八センチのユリアンの三倍はあるだろう。
ドラノブをガチャガチャと押すが、鍵がかかっているようで動かない。
「……」
ユリアンは自分の手の平に違和感を覚えた。
(なんだこの感じは。妙ではあるが、暖かい気が扉の奥に……)
少なくともこの扉の奥に何かがある。そう確信を持ったユリアンだが、
(鍵を探さないと駄目だな。それに一人では……)
そう、一人では無謀だ。だからこそ賢者のノーティがいないと不安でもある。
ユリアンは一旦ドアノブから手を放し、扉の前から去る。
階段の反対側の廊下にエレベーターを見つけ、そこから八階へ降りる。
ユリアンがエレベーターに乗り込むと、何やら違和感を覚える。
(……もしかしてこれか?)
そう、何故かエレベーターボタンに【十五】が無い。
何故? 考えあぐねても分からない。
チンと音を立てて、八階まで降りてきた。
ユリアンが降りてすぐに、ノーティがすぐ左の階段から上がってきた。
「おう、ユリアン。どうだった?」
階段を上がって来たばかりなのか、少し息が上がっている。
汗もうっすらとかいている。
「誰もいない。そっちは?」
「うんにゃ、さっぱりだ」
ノーティが手を肩のところまで上げて、ヤレヤレといったポーズをする。
下の階は、上と同じように主に客室や控室があり、それに配電室や執事やメイドの部屋もあった。
それらを片っ端から調べたが、なしのつぶてだった。
この塔は、地下は無かったらしい。
地下へ続く階段は無かったし、エレベーターの階数ボタンも無かった。
更に……。
「探している間、また視線を感じたんだよ」
「また視線か……だが」
そう、人がいない。故に視線なんて本来なら有り得ないのだ。
「それにしても、なんでいきなり人が一斉にいなくなったんだろうな」
ノーティは改めて考える。
ユリアンも考える。
何故一斉にいなくなってしまったのだ?
夜逃げ?
「と言っても一斉に、だったら音で俺らも分かるはずだよなあ」
「ああ。しかし物音一つしなかった」
夜逃げではなさそうだ。
「まさか借金か?」
「無いな。それならこんな装飾を施す余裕は無いだろう」
「それもそうだな」
次の考えの答えを即答したユリアンにノーティは同意する。
ではどうして?
暇を出すにも、全員なのは明らかに不自然だ。
う~~ん。
二
二人がエレベーター前で考え込んでいたと思ったら、急にノーティが後ろを振り返る。
「?」
ユリアンもつられてノーティの後ろ、ユリアンにとって奥の方を見ると、
「!?」
なんとそこには青白い人型の発光体が立っていた。
発光体だから立っているといった表現は不自然かもしれないが、それはそんな風に見えるのだ。
「誰だよ。お前」
ノーティが槍を構える寸前のポーズを取る。
「――」
発光体が何かを言おうとしているが、もやのように言葉がはっきりしない。
『……』
二人は押し黙ったまま動かない。
「……私は……レムリィ……」
発光体の輪郭と言葉が徐々にはっきりしてくる。
「――」
二人の警戒は僅かだが緩み、武器を一旦しまう。
「有難う……」
レムリィと名乗った発光体が完全に人の形になる。
青白い光に覆われているが、亜麻色の毛先がカールした腰まである長い髪にこれまた亜麻色のパッチリした目。
服はクリーム色のAラインドレスを纏った、色合いだけだととても柔らかい雰囲気を醸し出している。
背は一六五センチ位。ノーティの顔に頭頂部があるからそれくらいだろう。
年は一八歳と言った。と言っても、死んだ年ではあるが。
顔立ちは美人というよりは、どちらかと言うと可愛い印象をもたらす。
「あなた達は?」
透き通る声で二人に訊く。
「……私はユリアン・コンバティール」
「俺はノーティ・ヴィクトリーノだ」
二人はそれぞれレムリィに名乗る。
「改めて、君は一体何者なんだ?」
ユリアンがなるべく穏やかな姿勢でレムリィに質問する。
「私はこの塔で命を落としました」
「命を……落とした?」
ノーティは少し声を大きくして言った。
「はい。ここの主、ディノスの手によって……」
「えっ。あのオッサンが?」
「オッサンって……」
レムリィがノーティの言葉に苦笑しながら続ける。
「ディノスは百年も生き永らえている死道使いです」
『え!』
二人はレムリィの言葉に目を見開いて驚く。
「私は二十年前、あなた達と同じようにディノスにこの夢の世界に誘われました。そして夢の世界を何日も彷徨う内に、遂に衰弱死してしまいました」
「ん? 夢の世界……と言う事は、今ここは夢なのか?」
レムリィの言葉を聴いたユリアンが、少し驚きながら彼女に訊く。
「はい。それもただの夢ではありません。ディノスが作った【夢幻の香水】によって作られたものです」
「まじかよ。あ、そういえば起きた後の部屋が、妙に甘ったるい香りがしてたな。それが」
ノーティが手を打つ。
「――」
ユリアンも、あの時妙に部屋の空気が甘かったことは思っていた。まるでお菓子のような甘い香りを。
だがあの時はノーティの安否の方が心配だったため、あまり気に留めていなかった。
「だから景色もはっきりせず、誰もいなかった……」
ユリアンがレムリィ見ながら言う。
「はい」
レムリィが頷く。
「こっから出るにはどうしたら」
ノーティが訊くと、
「私にも分かりません。そうでなかったら今頃私はここにいません」
「マジかよ」
「マジです」
「だからってよう」
ノーティが少し焦りを持った顔でレムリィに喰ってかかる。
「待て。レムリィにあたったって仕方ないだろう。今は目覚めるための手がかりを探そう」
「……分かったよ」
ノーティは渋々ながらもレムリィから離れる。
「まずは何処かで手がかりを探そう」
「では私の部屋へ来てください」
「お前の部屋?」
「はい。生前に日記を書いたのです。それを」
「分かった。行ってみるか」
ユリアンが頷く。
二人はレムリィと一緒に、彼女が生前泊まっていた十階の右側の通路の一番奥の部屋へ行くことにした。
三
ユリアンは人がいないかを確かめていた時に、一度入って日記らしき物は見てはいたのだが、「プライバシーに関わる」と思って読まなかったのだ。
「ユリアンさんって真面目な方ですね」
「そ、そうか? 流石に無断で読むわけには、と思っただけだよ」
「そこが良いんです」
レムリィがはっきりした声で言う。
「まあ、こいつの良いところでもあるな」
「ノーティさんも少しギャップがあったこともですよ」
「俺!?」
「はい。ノーティさん、見た目の割にガサツなところが」
「な、なにおう!」
「……あながち間違ってはいないな」
「ユリアン!」
ノーティがユリアンの言葉に食って掛かる。
「そうだろう。お前と初めて会った時、揉めていただろう」
「あれはあのオッサンが割り込みをしたからだ」
レムリィはそんな二人の会話を聴いて、やっぱりノーティはガサツだな、と改めて思った。
「だが、あの時は別だったな」
「? どういうことですか?」
「うん。あの後、男がノーティ目掛けてビール瓶を振り下ろそうとしたのだ。あれは流石に危ないと思い、私が止めた」
「それも脳天かかと落としでな」
「ノーティ」
「随分過激な出会いだったのですね」
「まあな」
ユリアンの止め方は、普段の彼からあまり想像できなかった。
でも、ビール瓶を振りかざされたら仕方ない、とレムリィは思った。
「レムリィ。ノーティは確かにガサツだけど、コイツは根は良い奴だ。共に旅をして今は良かったと思えるくらいに」
「そうですか……」
レムリィの声が少し寂し気になる。
ノーティは照れくさそうに首を床に向けていた。
(あ、ちょっと可愛い……)
「……」
今度ははにかんだ。
レムリィの表情の変わり具合も可愛いと思ったユリアンだった。
さて、レムリィが泊まっていた部屋に入り、レムリィが白い机にあった本を持ってきてくれる。
本は水色の表紙に金色の模様が施された薄いノートだ。
表紙には藍色の字で【レムリィ・カーティス】と達筆に書かれている。
レムリィにどうぞ、と促され、ユリアンは早速表紙をめくる。
古いせいか紙が少し黄ばんでいる。
「――」
ユリアンとノーティは、黙してページをめくってゆく。
日記にはこう綴られていた。
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