ミツコを守れ!

ちえ。

第1話

 ある小春日和。ひいおばあちゃんのである隅田くまだミツコの米寿のお祝いで、顔も覚えていない親戚が多く集まった。

 ひいおばあちゃんは三人姉妹の今残っている最後の一人。二人の子どもに、二人、三人と、計五人の孫。それから八人のひ孫がいて、そのうち一番年上なのが俺、隅田くまださかえ、十七歳だった。

 全員が集まった訳ではないが、会場になったひいおばあちゃんの長男、つまりは俺のおじいちゃんの家は大賑わい。同じひ孫同志でも、初めましてに近い子どもたちと適当に暇をつぶして、小さい子の面倒を見たりして。そうして騒ぎの末に酔った大人たちを置いて、母と一緒にひいおばあちゃんを一人暮らしのこじんまりとしたアパートに送り届けたのは夕暮れだった。

 うちは数いる親族たちの中でも一番、ひいおばあちゃんの家に近く、何かあれば直接的な手伝いをするのは母が多かった。


 一旦会場に戻って後片づけするという母と別れ、ひいおばあちゃんが寝支度を整える間ぼうっと狭い居間のテレビを見ていた。大したことが出来る訳ではないが、こうして側にいて何かあれば連絡する。その位の事は時々していた。

 その時、視線を向けていただけのテレビの前に、ひょっこりと黒ネコが現れた。ひいおばあちゃんは動物好きで、いつもペットを飼っていたのだ。

 ネコの名前は、確か……『ユウ』だ。

 テレビが見たい訳ではないが、テレビ台の上のものを散らかされてしまうのは面倒だと思い、座ったまま膝をついて身を乗り出した。ユウを捕獲しようとした所で、じっと視線が合う。金色の光を灯した青。不思議な色合いのその虹彩に囚われた。


「ミツコを守れ」

 ユウは、小さな口から白い歯をちらつかせてそう言った。

「え?ネコが、喋った?ユウ、お前なのか?」

「私を呼び捨てるとは、身の程を知らぬ子どもよ」

「みんな呼び捨ててるよ?」

「まあ良い。ミツコの血筋だ。感謝せよ。お前にも加護をくれてやろう」


 俺は、目の前の出来事を理解できなかった。その向こうにぼんやりと映し出されたディスプレイで繰り広げられるている、大げさなコメンテーターとヤラセ感満載の出演者のやり取りの方が、ずっと現実であるかのように思えた。

 ユウはそこだけ白い毛におおわれている胸を尊大そうに張って、品定めするようにこちらを見ている。そして、憂いの滲んだ低い声で唸った。

「ミツコは危機に瀕している」


「危機って?ひいおばあちゃん、どっか悪いの?」

「老いは自然の摂理だ。それ以外の悪しき事象など、私が許すものか」

「じゃあ、危機って?」

「ミツコの体のことだ。最近は物忘れがひどく、よく一人困っている。そのうちになぜ困っているかも忘れてしまう。体は鈍く、よく部屋の中でも転んでいるのだ」

「あれ、そんなこと言ってなかったけどなぁ?物忘れは昔より酷くなってる気がするけど」

「おそらくミツコ自身忘れているのだろう。覚えていたとしても、恥の類を人に話すような人間ではなかろう」

「そんなことまで忘れんの?」

「忘却は人間に与えられた安寧だ。しかし実際にこうなってみては、いささか寂しいものだな」


 ユウはどこか遠くを見つめるように目を眇めた。寂寥感せきりょうかん憐憫れんびんが滲んだそれは動物らしくはなく、妙な違和感を抱かせた。


「だが、ミツコの天寿はまだしばらく残されている」

 再びこちらへと帰ってきた双眸は、強い意志を秘めて俺を見据える。

「獣の身では、ミツコがよろけようと支える事はできぬ。消し忘れた火元を止めるにも一苦労だ。だから、昌。お前がミツコを守れ」

 俺は頭を悩ませた。

 ひいおばあちゃんのことは、近くに住んでいるがゆえに、そう遠くはないといえども県を跨いだ距離に住んでいる祖父母よりもずっと身近に感じていた。もしも一人で過ごす日々が不安や不便の連続であるのならば、それは何とかしてやりたいという思いがある。

 だが、ネコだ。

 この状況はおかしい。なぜネコが、俺に助けを求めているんだ。それも父や母ではなくなんの力も経験もない俺に。何もかもがおかしい。

 何もかもがおかしいくせに、言っていることは至極しごく現実的で。夢とも現実とも思えない。


 じーっと見定めるように、ユウを見つめる。

 ユウは視線を逸らさずに、真っ向から不思議な金青の瞳で見つめ返してくる。

 そして、その瞳が不自然に笑みの形に変わった。

「ぬしに力を授けよう」


 金青の光が、部屋の中で明滅した。

 息を飲んで、光だけを感じた時間は一体どのくらいだったのか。永遠にも一瞬にも思えた。

 ふっと戻ってきた景色に、周囲を見渡す。ユウは相変わらずテレビの前でふんぞり返っていて、そのテレビ台の脇にある姿見の鏡に映る奇抜なピンクに目を引かれた。

「な、な、な、なっ……なんだこれはッ!!!」

 そこに映っていたのは、ふりっふりのピンクのドレスに、でっかいハート。波打つフリルからなぜか内股になってしまった生足にオーバーニー。そしてその可愛らしい衣装の上に俺の顔が乗っかった、魔法少女だった。

「ミツコが昔、孫と一緒に観ていた。妖しの術を使い戦う者の姿だ」

「ちっげーし!絶対、ちっげーし!!!」

「うむ。おなごの仕様であるようだな。だが、力が使えれば問題あるまい」

「俺の心が深刻なダメージを負ったんだけど?!!」

「そのような些細なことはよろしい。ミツコを守るのが主題だ」


 ネコは、喋ったとしても人間ではなかった。そうだ、ネコなのだ。そしてネコが考え抜いた最良が、魔法少女とは……。


 ああ、これは夢だな?夢に違いないな?

 だから、最終回のネタバレを聞いてやるよ!夢から覚めないうちに。


「お前は何者なんだ」


 ユウはにんまりと口の端を上げて笑った。


「お前とは、たいそうな物言いだ。この肉体は獣なれど、かつての血はぬしの中にも継がれているのだというのに」

 ユウは不敵な笑みを浮かべてくつくつと喉を鳴らした。ネコの喉からこんな笑いが出るのはたいそう不気味に思えたが、喋っている時点でもうそんなものと思うしかない。

「我が名は雄之助。かつては人であったが、幾度も獣として生まれては我が伴侶どのを見守ってきたのだから、最早もはや人と言うのは烏滸おこがましいだろう」

 それはネコに間違いはないのに、どこかで見た表情で、どこかで聞いた声だった。そうだ、さっきの賑やかな誕生会の、あちらこちらに散りばめられていたような。

「私はミツコを側で守る事が出来なかったのだ。今も見守るくらいしか出来ぬ。だから、ぬしが守ってくれ。我が永遠の宝を。うぬらのいしずえを」


 なんて感動的なラブロマンスだ。

 だから、俺はめいっぱい、心の底から返した。

「わかった。だけど、魔法少女はいらない!そんなものなくても、人間を守るのは、人間の力で十分だよ」

 きっとどこかユウに似ているだろう姿で、真似するように胸を張って。


『そうか。頼んだぞ、我らが愛し子……』


『あらあ、昌ちゃん?こんなところで寝たら、風邪をひきますよ』


 ぼんやりと、二つの声が重なった。



 瞼を開ければ、目の前にはさっきまでと変わらない景色だ。

 座り込んでいる俺を、曲がっている腰をほんの少し深く曲げて覗き込むひいおばあちゃんの心配そうな顔。

 俺の肩に伸ばされた腕の袖口から、うっすらと黒くなった古い打ち身の痕が覗いていた。普段は分厚い上着で隠されていて、気にも留めていなかった。

 ひいおばあちゃんの足元で、ユウが呑気に顔を洗っている。だけど、チラリと向けられた金青の瞳は、しっかりと俺を見据えた。

 夢だけど、きっと夢ではない。


「ひいばあちゃん、俺ね、ひいばあちゃんと一緒に住みたいなって思って」

 迷いはなかった。他に選択肢もないほどに、それが当然のように思えた。

「あらあ、うれしい。でも不便じゃないかねえ。おばあちゃんの家には、何もないでしょう?」

「ひいばあちゃんと、ネコがいるよ」

 ユウは俺の視線の先で、誇らしげに胸を反らした。笑いそうなくらい、夢の中と一緒だ。

「まあ、昌ちゃんは優しいねえ。ひいおじいちゃんとよく似ているよ。こんな素敵なひ孫を残してくれて、私は本当にしあわせだわ。ねえ、ユウさん?」

 ひいおばあちゃんがユウに視線を向けて語りかける。ユウは応えるようににゃあ、と可愛らしく鳴いて、ひいおばあちゃんの脚にそっと頭を擦り付けた。


 何の力ももたないけれど。守りたいと思った。

 そしてきっと出来ると思った。

 二人が魂をかけて守ってきた大事なものが、自分の胸の奥で力強く脈打っている。今も強く繋がっているのだ。

 俺はずっとあったはずのそれに初めて気がついて、溢れるほどの感動を覚えていた。

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