プロローグ②

 ぺこりと会釈して、社を出る。ここからは本当にすぐ近くだ。

 少し歩くと、町家を思わせる店構えが目に入る。

『さくらあん』という大きな看板も。

 二階建ての日本家屋で一階が店舗、二階が住居となっている。

 店の前には、ちりめんで作られた鯉のぼりや、五月人形が並んでいた。

 桜や菖蒲あやめの柄が入ったかんざしに和傘、ガマ口の財布、『今風』を取り入れたしき

 小春の祖母の家は、昔から『和雑貨店』を経営している。

 店先に並ぶのは、いかにも女の子が喜びそうな品ばかり。

 櫻井さんとこの息子二人はこの可愛らしさに息が詰まって、早々に家を出て行ったのではないか、とされることもあるそうだ。

「──こ、こんにちは」

 小春は少しの緊張を覚えながら、桜柄の暖簾をくぐった。

 口から出る声はどうしても小さく、上ずってしまう。

 店内は、相変わらず可愛い雑貨であふれていて、ほんのり甘い香の薫りが漂っている。

 数人の観光客が楽しげに商品を観ていて、『こんにちは』と入ってきた小春を一瞬不思議そうに見たものの、すぐに興味をなくした様子で、

「ねぇ、これも可愛いね」と、商品に視線を戻していた。

 昔からここに来るお客さんは、若い女の子ばかりだ。

 そう思っていると、レジが置かれた木製カウンターの前に男の人がいることに気が付き、小春は『ん?』と首を伸ばした。

 ……男の人が、一人でいるなんて珍しい。

 後ろ姿しか見えないが、スラッとした細身で黒髪の男性。

 カウンターの向こうにいる小春の祖母・よしと話しているようだった。

 もしかしたら、叔父おじの宗次朗かと、小春はさらに首を伸ばす。

 そんな小春の姿に気付いた吉乃が「まあまあ」と顔をくしゃくしゃにして立ち上がった。

「小春、よう来はったなぁ」

「……は、はい」

 ──こんにちは。呼んでくれてありがとうございます。がんばって店の手伝いをするので、今日からよろしくお願いいたします──、という言葉を頭の中で用意していたのに、緊張もあって、ちゃんと出てこなかった。

 自分の至らなさを苦々しく思いながら、ただ、ぺこりと頭を下げた小春に、吉乃はたのしげに目を細めた。

「そんなかたくならんと。疲れたやろ」

 カウンターの男性客を置き去りにして歩み寄る吉乃に、

「あ、お客さんが……」

 お客様を放っておいて大丈夫なんだろうか?

 心配になりながら、ちらちらと男性の背中に目を向けた。

 すると、そんな小春の小さな声が聞こえたのか、その男性はゆっくりと振り返り、

「あ、僕は客やないで、気にせんといて」

 にこりと微笑んで告げる。とても、端整な顔立ちをしている青年だった。

 通った鼻筋、少し切れ長の形の良いひとみ

 つやのある黒髪が、サラリと揺れている。

「──っ!」

 思いがけないことに、言葉が出ない。

 店内にいた女性客たちも、今まで背中を向けていた男性が、美青年であることを知って、「ちょっと、カッコよくない?」と小声でささやき合っている。

「小春ちゃんやね。はじめまして、僕は『れい』いいます」

 握手の手を差し伸べられて、小春はさらに戸惑った。

 この人は、一体何者なんだろう?

「なんや、初対面かいな。澪人ちゃんはな、私の弟の孫やで」

 お祖母ちゃんの弟の、お孫さん……、と頭の中ではんすうする。

「簡単に言うと、僕とあなたは『はとこ』同士やな。どうぞよろしゅうに」

「……は、はあ」

 つまりはしんせきなわけだ。親戚にこんな端整な人がいるなんて知らなかった。

 小春は少しされながらも会釈をして、差し伸べられていた手を取った。

 握手を交わしながら、彼の体からほんのりと甘い、梅の花のような香りが漂っていることに気が付き、小春は目を細める。

 ……とても、良い香り。

 そっと顔を上げると、澪人がジッと見詰めていた。

「っ!」

 小春は、その視線から逃れるように、すぐに顔を背ける。

 そらしたのは、彼が素敵だったから──だけではない。

 小春がグッとうつむくと、澪人は小さく笑って、

「ほんじゃ、吉乃さん。僕はそろそろ行きます。いつもおおきに」

 と、カウンターの上にある桜柄の紙袋を取って、片手を上げた。

「こちらこそ、いつもおおきに」

「うちにも遊びに来てくださいよ、同じ市内やし」

しもがもさんまでは、よう行かんわ」

「そんなん言わんと。ほな、小春さんもまた今度ゆっくり」

 そんな軽い別れの挨拶をして、澪人は店を出ていった。

 この店の紙袋を持っていたから、何かを買っていったんだろうか?

 小春は、遠ざかる彼の後ろ姿を眺めながら、ぼんやりと推測する。

「ほんで、道に迷わへんかった?」

 吉乃に問われて、小春は振り返って、こくりと頷いた。

 八坂神社からの道はちゃんと覚えていたし、駅から八坂神社までの行き方が心配だったけど、宗次朗叔父さんが教えてくれた通りに来たから大丈夫でした。

 そう言いたいのに、またも上手うまく言葉が出ない。

「そ、宗次朗叔父さんが……」

 ぎこちなく告げると、

「だーかーらー、オジサンって言うなよ」

 店の奥の二階へと続く階段から、叔父の宗次朗が顔をしかめながら下りてきた。

『宗次朗叔父さん!』と、小春は振り返り、その姿を目の当たりにするなり、驚きに言葉が詰まった。

 それはまさしく、本日二度目の絶句。

 健康的に日焼けした肌に、人目をく整った目鼻立ち。

 見上げるほどに高い背。肩にかかる程度の明るめのウェーブヘアを後ろにひとつに結んでいて、軽めな印象はあるけれど、少し迫力のある『美形』だ。

 好みの分かれそうな容姿には違いないが、街を歩いていたら振り向かれるような男前であることは間違いない。

 ──お、驚いた。宗次朗叔父さん、三十路になっても、まるで変わってない。

 それどころか、以前より男前になっている気もした。

 年齢を重ねたが故の魅力というものなのだろうか?

 小春は仰天しつつも、心底感心した。

 澪人とは、まったくタイプの違う美形が登場したことに店内の女性たちの目が輝いているのが見てとれる。

 そんな宗次朗は、まるで料亭の調理人のような白衣をまとっていた。

 宗次朗はぼうぜんとする小春を見下ろして、その鼻をつまんだ。

「なんだよ、狐につままれたみたいな顔して」

 宗次朗叔父さんが、全然変わってないから驚いたのと、それに……、

「そ、その白衣は?」

「あー、俺、今この店で和菓子作ってるんだよ」

「和菓子?」

「ああ、俺、浅草で和菓子職人として修業してただろ?」

 それは知らなかった、と小春はあいづちをうった。

「せっかく実家が店をやっているわけだし、浅草で鍛えたこの腕をここで生かそうと思ってよ。可愛いだけの雑貨店で店番なんて、息が詰まって仕方ねぇし」

 宗次朗は、店内を見回して、肩を上下させた。

 たしかに彼には、似つかわしくない店だ。

 小春が頷く横で、吉乃があきれたように息をついた。

「まったく、こんな小さな店であれもこれもなんて、なんやけったいやろ? いやらしくて、私は、ほんまは嫌やねんけど、なんも言うこと聞かんと、この子はなんでも勝手に。ほら、店の奥にテーブル、あそこで茶菓子を出すようになってん」

 吉乃は首を伸ばして、店の奥を示した。

 赤い和傘の下、テーブルと赤いベンチが設置されていて、まるで団子屋のような飲食スペースが設けられている。

「……可愛い」ぽつり、と思ったことをそのままこぼした小春に、吉乃はうれしそうに顔をクシャクシャにした。

「可愛いらしいやろ。あそこのスペースは私が作ったんやで。雑貨屋で和菓子までなんて思うたんやけど、この子が作った和菓子を食べたら、まあまあやったし、やるからには店のイメージがあるさかい」と、吉乃は得意げな笑みを見せる。

 あれこれ言いながら、宗次朗が新たなことを始めたことを楽しんでいるようだ。

「あー、まったく、どうしてそんなにひねくれてんだよ? 素直に俺の和菓子に打ち貫かれたって言えよな。ったく『京都人』のこういうところが嫌なんだよ」

「なに言うたはんの、あんたかて京都人やないの。ほんで、あんたの和菓子に打ち貫かれた覚えはないで。老舗しにせの和菓子職人さんに笑われるで」

「へーへー。それより小春、二階にお前の部屋を用意してるから、来いよ」

 宗次朗はキャリーバッグをヒョイッと持ち上げ、「こっちだ」と歩き出した。

「あ、ありがとう」

 カウンターの後ろにある暖簾のれんをくぐると、すぐに木の階段がある。

 急な傾斜で、上るとギシギシと音が鳴るけれど、不思議な安定感がある階段だ。

 上りきると、長い廊下が見える。その左右はふすまで閉じられていた。

 この家はさほど大きくはないが『下宿屋もできるね』というほどに、部屋数はある。

 宗次朗は廊下突き当りのドアの前まで来て、足を止めた。

 扉には『小春』という可愛らしい和柄のドアプレートが掛けられていた。

「ここが、お前の部屋」

 ここは、この家唯一の洋室だ。とはいえ、古めかしいフローリングに昭和感漂う壁紙の、どうにも『和』が抜け切れない部屋なのだが。

「……もしかして、ここは叔父おじさんの部屋だった?」

 ぼそっと尋ねると、宗次朗は笑って首を振った。

「いやー、俺は畳が落ち着くから、最初からそこの和室だよ。ってか、んなこと気にすんな。それより、部屋のドアはお前が開けろよ」

「──うん」

 小春はそっとうなずいて、扉を開ける。

 そこはとても日当たりの良い、明るい部屋だった。

 シングルベッドに、机に和ダンス、ラグマットの上には丸テーブル。シンプルだが、可愛いものが大好きな吉乃の手腕によって、それは愛らしく装飾されていた。

「……明るいね」

「だろ? 夏は、しやくねつ地獄だから覚悟しとけよ」

 ニッと笑って、キャリーバッグを部屋の端に置く。

 宗次朗は昔から、奔放なようで気遣いのできる優しい人だ、と小春は少し頰を緩ませた。

 何よりまったく『裏表』を感じさせない。思ったことを、そのまま話すタイプの人だと思っていたけれど、今も同じだった。

 宗次朗叔父さん、何も変わっていないな。

 ──自分は、こんなに変わってしまったというのに。

 苦しさを感じて目を伏せると、

「小春」と声を掛けられて、小春は肩をぴくりと震わせて、顔を上げた。

「俺、腹にめることが嫌いなんだ。こういう性格だから常に体裁を繕う京都に嫌気が差して町を飛び出したくらいだ。こんな俺だから腹に溜めずに聞くけど、小春……、お前一体何があったんだ?」

 宗次朗は真剣な顔で、しっかりと目を合わせる。

「…………」

 突然、核心に触れられて、小春の心が激しく揺さぶられた。

 部屋に引きこもり始めた頃は、同じ質問を何度も繰り返しされていた。

 何も答えずに引きこもり続けていると、そのうち誰も何も聞かなくなり、やがてれ物に触るような扱いになる。

 最近はそんな扱いに不満を感じていたけれど、こうしてストレートにぶつけられると、やっぱりどうしてよいか分からない。

 黙り込みうつむいた小春に、宗次朗は、ふっ、と柔らかく目を細めた。

「──悪いな。言いたくないなら、言わなくていいんだ。聞いたのは、俺の性分だから。ただ、抱えてるのが苦しくなったら言えよ。何の解決にもならないかもしれねぇけど、吐き出すことで楽になることもある。それじゃあ、のんびり荷物整理しろよ」

 宗次朗は、わしわしと小春の頭をでて、そのまま部屋を出て行った。

 パタンと静かに閉じられた扉。

「…………」

 小春はしばしその場に立ち尽くしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る