第一章 香り袋と桜餅、秘密入り。①

    一


 小春が京都に来て、一週間が経過していた。

 ──思えば、五年ぶりだ。

 小春は店の前を掃きながら、空を仰いだ。

 幼い頃は毎年、この京都に遊びにきていたが、小春が小学校高学年になった頃から、勉強や部活に忙しくなり、今回京都に来たのは、去年の葬儀を除いては、五年ぶりのことだった。

 あらためてここに来たことで、京都というのは不思議な町だと感じていた。

 祇園の商店街。軒を連ねる昔ながらの京町家。ひさしの上に置かれている、けと思われるかわら製人形。当たり前のように貼られたお札。

 夕方になると、鮮やかなだいだいいろに染まった空の中、カラスが鳴きながら山へと帰って行く。

 そんな中、どこからか、ごーん、と響く鐘の音。

 夜になると、誰かが町を練り歩き、拍子木を打ちながら、『火の用心』と注意を呼びかける。

 そんな情緒あふれる光景は、どこか懐かしくて、なにかが胸に迫る。

 それなのに、どうしてだろう。

 まるで異次元の世界に来てしまったかのような感覚もするのだ。

 京都は本当に不思議な町だ、と小春はしみじみ思った。

 そして、祖母・吉乃もどこか不思議だと感じていた。


    二


「ご飯やでー」

 この家の朝は、六時にスタートする。

 吉乃の声で目を覚ました小春は、むくり、と体を起こした。

 大きな窓から差し込む朝陽で、毎朝この部屋はまぶしいほどだ。

 のっそりとベッドを降りて部屋を出ると、こうばしく焼けたパンの匂いが漂っていた。

 一階が店舗であるこの家の生活圏のすべては、二階に集中している。

 キッチンもリビングもバストイレも、すべて二階だ。

 ほとんどが和室なため、リビングというより『居間』といった方が、しっくりくるかもしれない。

 そんな和室の居間をのぞくと、ちゃぶ台の上に、焼き立ての食パンに目玉焼き、サラダにハムが並んでいる。すでに宗次朗はちゃぶ台の前に着いていて、京都新聞を片手に、朝の情報番組に目を向けていた。

「…………」

 新聞にテレビ。こうした姿は普通に『オジサン』だ。

 しかし、もうシャワーを浴び終えたらしく、ほんのり香るシャンプーの匂いと、無造作に結ばれた髪に甚平姿が色っぽい。

 宗次朗のこうした姿を見て、つい『かっこいい』と感じてしまうたびに、小春は腹立たしいような、いらつような複雑な気持ちになる。

「おう、小春」

「……おはよ、宗次朗叔父さん」

 いつものように小声で会釈すると、

「だーかーら、『オジサン』はやめろ」

 と宗次朗は面白くなさそうに腕を組んだ。

「それじゃあ、なんて?」呼んだらよいの? と心の中で続ける。

「うーん、そうだな。浅草では『宗様』って呼ばれてたかな。しょうがないから小春も呼んでいいぜ。許可する」

 恥ずかしげもなくそんなことを言う宗次朗に、小春は冷ややかな視線を向けた。

「お、なんだ、俺が眩しすぎたか?」

 違うの、引いてたの! と声を上げたいところだけど、上手うまく言葉が出ない。

『感情をそのまま口にする』という、以前は当たり前にできていたことが、今の小春には難しかった。何かを話す時は、いつたん頭の中で確認してからじゃないと出てこない。

「とりあえず、一週間我慢したけど、もう限界。やっぱ、オジサンはダメ、ゼッタイ」

 今度は薬物使用禁止キャンペーンの標語のようなことを言って手をかざす宗次朗に、小春は苦笑した。

 たしかに決して『オジサン』には見えないし、呼ばれたくないのも無理はない。

「……そ、それじゃあ、『宗次朗さん』で」

「んー、まぁ、味気ないけど、仕方ねぇな」

 宗次朗と小春がそんなことを言い合っていると、

「また、しょうもないこと言うて」

 キッチンから吉乃があきれたようにやって来てちゃぶ台の上にドレッシングを置いた。

「さっ、小春、食えよ」

 新聞を置いて座り直す宗次朗に、小春はうなずいた。

「いただきます」

 皆で手を合わせて、パンを口に運ぶ。

 京都といえば、『とにかく和食』というイメージが小春の中にはあったが、実際は、そうではなかった。朝食のパン率は非常に高め。なんでも京都人はパンもコーヒーも大好きで、どちらも全国消費量一位だそうだ。

「やっぱり、朝のコーヒーは美味うまいな」

 宗次朗は陶器のカップを手に、美味おいしそうに目を細めた。

 彼はいつも朝食を食べず、コーヒーだけだ。

 空腹の状態でいた方が、神経が鋭敏になって、より美味しいお菓子を作れるという彼独自のルールがあるらしい。

「ほんまやな。朝のコーヒーは格別やで」

 吉乃もしみじみしながら、カップを手にうれしそうに目を細めている。

 その姿は本当にそっくりで、小春は微笑ましさに頰を緩ませた。

「なんや、にこにこと。おもろいことでもあったんか?」

 吉乃に優しく視線を合わせられて、小春は慌てて目をそらした。

「う、ううん、……二人ともそっくりだなって」

 小春がはにかみながら、ぽつりとこぼすと、吉乃は「そやなぁ」とあいづちをうった。

「まあ、宗次朗は、私似やしな。そういちは、しげるさんそっくりやったけど」

『宗一』とは小春の父のことで、『茂』は去年他界した祖父のことだ。

「──ほんまに茂さんは、突然やったなぁ……」

 その名を口にしたことで、亡き夫を思い出してしまったのか、吉乃は目を潤ませてうつむいた。

「お祖母ばあちゃん……」

 しんみりとした空気が、その場を包む。

 祖父・茂の死は、本当に突然だった。

 前の晩まで元気だったのに、朝を迎えた時には、まるで深い夢の中に落ちてしまったかのように、そのまま永遠の眠りについてしまっていたそうだ。

 葬式に訪れた参列者たちは茂の死を悲しみつつも、その安らかな表情かおを見て、

『茂さんは本当に、最期まで幸せ者だな』と口々に言っていたことが印象に残っている。しかし、吉乃だけは皆のようにいかなかった。

 愛する夫を突然亡くした吉乃としては、本当にショックだったようで、ふさぎこんでしばらく泣き暮らしたそうだ。そんな吉乃を見て、宗次朗は家に帰ることを決意したらしい。

「おい、もう、じーさんが死んで一年経つんだから、いつまでもメソメソすんなよ」

「メソメソなんてしてへんで。ほんで、自分の父親のことを『じーさん』言うたらあかん」なんて、強がった様子で言う。

「ったく、可愛くねぇな」

「あんたに可愛い思うてもらわんでええわ」

 そんな二人のやり取りを見て、小春はまた頰を緩ませた。

 なんだかんだと、仲の良いおやだ。

 そして、今も死を悲しむほどに、なかむつまじかった祖父母・吉乃と茂だが、元々は、『お見合い結婚』だったそうだ。

 とはいえ、半分恋愛結婚のようなものだった、とも小春は聞いていた。

 それはどういうことかというと、吉乃は若い頃、評判の美少女だったそうで、実家もそこそこの名家だったことから、お見合い話が山ほどきていたそうだ。

 条件の良い話が多く届く中、吉乃は茂の写真だけを見て、

『私はこの人と結婚する! この人以外の人は嫌だ』と、経歴も見ずに決めたという。

 つまり、それは一目れしたということなんだろう。

 茂は評判の美少女を写真だけで落とした男、ということになる。しかしそんな茂の容姿は、いたって普通で、強いて形容するなら『優しそう』といったところ。

 評判の美少女に一目惚れされる容姿とは思えないが、人の好みは千差万別だから、こればかりはなんともいえない。

 小春の父・宗一は茂によく似ていて、ごく普通で優しそうな容姿をしている。

 そして、宗次朗の端整な容姿は、まさに母親譲りというわけだ。

「そや、宗次朗、『さくらもち』のお取り置き二十個頼まれたんやで。今日はたくさん作っといてや」

 吉乃の声に、ほうけていた小春は我に返った。

 気が付くと吉乃はすでに朝食を終えるところで、小春は慌ててパンを口に運ぶ。

「おう。二十個もか! さすが、俺の『桜餅』は人気だな」

「ま、物珍しさやな」

「ったく、素直じゃねぇなぁ。俺の桜餅が美味いって言っておけよ」

 吉乃は呆れたような目を見せているものの、宗次朗の桜餅は本当に人気だった。

 一日数量限定で作っているということもあるのか、いつもアッという間に売り切れる。そんなこともあり、小春はまだ彼の桜餅を口にしていなかった。

「……私も、食べてみたいなぁ」

 元々、和菓子に特に興味がなかったから気にしていなかったけど、そんなにも人気なら食べてみたいという気持ちになり始めていた。

「おう、そんじゃ、取り置きしといてやるよ。俺の桜餅は特別っていうか、『秘密入り』だから楽しみにしとけよ」

「秘密入り?」

「それは、食べてのお楽しみだな」宗次朗は立ち上がって、ニッと笑った。

「あんたはいろいろ邪道やねん」

「オリジナリティにあふれてるって言えよ」

 宗次朗は髪をしっかりとまとめて、頭にぬぐいを巻き、キッチンへと向かった。

 そのまま手を洗って消毒をしている。どうやら、このまま仕事に入るようだ。

 宗次朗はいつも、朝のコーヒーを飲み終えたあと、七時前から作業に入る。

 元々、和雑貨店である『さくら庵』には、当然のごとくちゆうぼうがなかった。

 そのため、宗次朗は保健所などの正式な許可を取り、この二階キッチンを厨房として使っていた。

 普段は軽い雰囲気の彼だが、仕事に入る様子は『職人』の雰囲気が漂っている。

 その姿は素直にかっこいい、と小春は思う。

 そんな職人モードに切り替わっている宗次朗の背中を眺めながら、私も準備しなきゃ、と小春は食器を片付けて部屋に戻り、吉乃が用意してくれた、『さくら庵』の制服である小豆あずき色のに着替え、腰エプロンをしっかりとつけた。


    三


「小春、その段ボール開けて、品出し頼むわ」

 一階の店に下りてきた小春の姿を確認するなり、吉乃は優しい笑みで店の隅を指した。そこには商品が入った段ボールが未開封の状態で積まれている。

 これは、昨夜閉店後に届いたものだ。

 こくりと頷いて、小春は開封していく。

 箱の中にギッシリと詰まった愛らしい和雑貨の数々が目に入り、

『わぁ、やっぱり可愛い』、と小春は目を輝かせた。

 髪飾り、ガマ口の財布、ハンカチ、扇子、しき、お香立てにお香、ちりめんの人形。それらを棚に並べて行く。折鶴や金平糖形のピアスもある。

「折鶴のピアス……」

「外国人さんに人気やで」

 たしかに、外国の人は、こういうの喜びそうだ。

 小春はこうしていつも、少し楽しみながら品出しをする。

 愛らしい和雑貨に触れているだけで、いやされる気がした。

「……実は私ね、ここにある商品は全部お祖母ちゃんが一人で作っているのかと思ってたんだ。実際にお祖母ちゃんが和雑貨作っていたのを見たことがあるし。だけど、ちゃんと業者さんから仕入れてたんだね」

 独り言のように告げて、勘違していた、と微笑む小春に、「あら」と吉乃は心外そうに顔を上げた。

「そやけど、私が作ったのも、ちゃんと置いてあるんやで」

「えっ?」

「そこが、私の手づくりコーナーやね」

 吉乃はレジカウンター横奥の一角を指した。

 その一角には、ちりめんで作られた小さな鈴付きのきんちやく袋や、かんざし、しゆう入り手ぬぐい、手鏡、ガマ口財布と、様々な商品が並んでいる。

 祖母の手づくりということもあって、業者から仕入れた商品よりも価格が高い。

 ここの商品だけ、どうして値段が少し高いんだろうと、少し疑問に思っていたが、なるほど、手づくりだったわけだ、と小春はようやく納得した。

 それはどれも業者から仕入れた商品と見比べてもそんしよくがない。

 それどころか、吉乃が作った品の方が心を込められている分、優しさと温かみが感じられた。

 小さな鈴がついたちりめんの巾着袋を手に取ると、チリンと音が鳴る。

 その袋からは、ほんのり甘い香りが漂っていた。

「……これは?」ぼそりと小声で尋ねる。

「それは『匂い袋』やで」

「『匂い袋』って『香り袋』と同じ種類のもの?」

「そやな。『匂い袋』言うたり、『香り袋』言うたりするけど、同じもんやで。形もいろいろやし」

 へぇ、と祖母の香り袋をひとつ手に取って、いでみた。

 上品な甘さの香り。どこか懐かしくて癒される。

「素敵な香り……」

「それはびやくだんやな」

 白檀というと、タンスや扇子の匂いってイメージがあったけれど、実際はこんなに素敵な香りなんだ、と小春はもう一度くんくんと嗅いだ。

「それは、上品なええ香りやろ。私のブレンドがええんやで」

「香り袋の中身までブレンドするなんて、すごい」

 心からそう告げた小春に、吉乃は得意げに目を細めた。

「おおきに。あんたの着てる作務衣かて、私が作ったんやで」

「これも?」胸に手を当てて、小春は自分の着ている作務衣を見た。

 襟にそでぐちと見ても、しっかりと作られていて、店で売られているものだと信じて疑っていなかった。

「す、すごい……」

「まあ、私らくらいの世代やったら、こういうこと出来る人は多いんやで。昔はなんでも自分で作らなあかんかったし」

 そうなんだ、と小春はあいづちをうつ。

 吉乃世代は、今でいう『カリスマ主婦』がゴロゴロいたわけだ。

 思えば、うちの母は、ミシンの扱いも危ういのに──。

 そう思うと同時に、小春の脳裏に両親の顔がよぎった。

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