わが家は祇園(まち)の拝み屋さん

望月麻衣/角川文庫 キャラクター文芸

1巻 わが家は祇園の拝み屋さん

プロローグ①


 きよう駅からおんに向かうなら、バスが一番だ。

 駅前のバスターミナルでは長蛇の列ができていることが多いけれど、バスは次々にやって来るから問題ない。待つのが嫌だと感じるならば、電車という手もある。

 けれど、電車の場合、一本で行けるわけではなくて、一度乗り換えがあるんだ。

 ああ、こう言ってしまうと、たった一度の乗り換えだし、電車でもいいかもしれないな。──いや、でもバスの方が、乗り換えがない分、心配がない。

 何台か見送っても、バスが確実だ。

 バスターミナルのところには案内の人も立っているし、看板が出ていて分かりやすいから。いいか、分からなくなったら、案内の人に『さか神社に行きたいんです』っていたら、とりあえず間違いはないからな。

 せっかくだから、バス停のすぐ近くだし、八坂神社でおまいりしてから来るのはどうだ?

 まあ、なんにしろ、気を付けて来いよ。


    *


 ──京都へと向かう新幹線の中。

 さくらはるは、昨夜、電話口で繰り返していた叔父おじの言葉を頭の中ではんすうしつつ、窓の外を眺めた。

 いろいろ言っていたけれど、とりまとめると、『駅からはバスで来い』、ということだ。

 叔父の声を聞くのは久しぶりだったが、相変わらずな様子に電話をしながら、自然と頰が緩む。

『いいか、オジサンって呼ぶなよ。まだ、俺はだ!』と、ムキになって声を上げるところも、変わっていなかった。

 叔父・そうろうは、小春の父の弟だ。

 十三も年の離れた弟であることから、父の中で宗次朗はいつまでも『やんちゃな子ども』という印象しかないようで、小春も同じように感じていた。

 やんちゃな叔父は、そのイメージを崩すことなく、自由気ままな人生を送っていた。

 高校を卒業するなり、半分家出のような状態で上京。

 家を出た理由はわからないけれど、おそらく彼は都会を求めて上京したのだろう。

 しかしあこがれとは裏腹、宗次朗は都会の空気が肌に合わなかったらしく、しん宿じゆくしぶと都内を転々と移り住み、結局は情緒を感じさせるあさくさに落ち着いたそうだ。

 そのせいか、電話口での彼は、今やすっかり江戸っ子のようだった。

 それもそうかもしれない、宗次朗は十八で家を飛び出してから、約十二年間、一度も京都の実家に帰っていなかった。

 親とおおげんして家を飛び出したこともあり、互いに意地を張っていたのだろう。

 小春の父を含むしんせきたちは、『その内に宗次朗も結婚するだろうし、そうしたら、親子も和解するだろう』と楽観的に見守っていたようだ。

 しかし、事態は一変した。

 突然、何の前触れもなく父親──小春にとっては祖父になる──が、亡くなったのだ。親戚たちがこぞって宗次朗に連絡を取ろうとするもどうにもつかまらず、宗次朗は、父親の葬式に欠席するという大きな失態をした。

 これには、さすがの彼も随分と気落ちして反省し、その後悔と年老いた母親を一人にはしておけないと、今、彼は京都の実家に戻り、大人しく家業の手伝いをしているそうだ。

 ──宗次朗叔父さんも、もう三十路か。

 小春は小さく息をついて、背もたれに身を預けた。

 同じ都内に住んでいたのに、もうずっと顔を合わせていなかった。

 最後に会ったのはいつだっただろう、と指折り数えてみる。

 四年前だから、小学校六年生の頃だ。

 その時の彼は、まだ二十代。それこそ『叔父さん』と呼ぶのは申し訳ないくらいの、美青年だったことを覚えている。偶然、叔父を見掛けた近所の友人たちが、「かっこいい」と騒いでくれたのが、うれしくて恥ずかしくて、少し誇らしかった。

 そんな彼も、今や三十路。本人はああ言っていたけど、すっかり『オジサン』になったに違いない。

 小春はさすがに老けたであろう宗次朗の姿を想像し、口元をほころばせた。



 もの思いにふけっていると、車内に『次は京都~』と間延びしたような低い声が響き、小春は慌てて立ち上がった。

『京都』は、小春にとって、とても遠い町という印象が強い。

 家族で京都に行く時は、いつも車で何時間もかかっていたせいもあるのかもしれない。東京から京都まで、車の場合、早くても七時間はかかる。

 渋滞につかまって十二時間も車内にいたこともあった。

 だが、新幹線に乗ってしまえば、しながわ駅から約二時間半で着く。

 長旅を覚悟していた小春にとって、二時間半という時間は気が抜けるほどに速く感じた。

 さて、と自分の体の半分はあるであろう大きなキャリーバッグを転がし、古都のイメージとはミスマッチに思える大きく近代的な駅構内を歩く。

 宗次朗の言葉に従って、ちゆうちよすることなく駅前のバスターミナルへと向かった。

 南北自由通路を突っ切り、エスカレータを降りて駅の外に出ると、すぐ目の前に、バスターミナルがあった。

 スタッフが、観光客の質問に快く答えて、親切に案内する姿も見える。

 さすが、世界の観光地は、行き届いていると思わせた。

 祇園行きは、観光客が特に集中しているため、乗り場はとても分かりやすく、小春は質問することなくバス停の列に並んだ。

 そして腕に力を込めてキャリーバッグを持ち上げて、祇園行きのバスに乗り込む。

 平日ということもあり、バス乗り場は思ったより混んではいなかった。

 とはいえ、椅子に座れることはなく、小春はり革にしっかりとつかまりながら、窓の外の『京都タワー』に目を向ける。

 近代的な京都駅に着いた時よりも、駅前の京都タワーを目にした今の方が、『ああ、京都に来たんだな』と妙な実感が湧く。

 やはり京都のシンボルのひとつなんだろう。

 市営バスはゆっくりと走り出して、駅を出る。

 大型家電製品店にホテルと、駅前の景色はごく普通だ。

 しかしさんじゆうさんげんどうじようざかきよみずみちなどを通過していくにつれ、古都の景色へと移り変わっていく。

 やがて、六つめの停留所で、『祇園』に着いた。

 景色を眺めていたら、アッという間だった、と再びキャリーバッグを持ち上げて、バスを降りると、宗次朗の言葉通り八坂神社が、すぐそこに見えた。

「…………」

 どうしよう、参拝して行こうかな?

 小春は足元のキャリーバッグに視線を落として、いやいや、と首を振った。

 こんな大荷物のまま、行く気になれない。

 八坂神社は階段が多いし、行くなら荷物のない時だ。

 うん、とうなずいて、八坂神社に背を向けて、じようどおりを西へと進む。

 軒を連ねるのは、土産店に乾物店、漬物屋、雑貨屋、京あめ屋に喫茶店。軒下には、ちようちん暖簾のれんが揺れている。

 さすが、祇園商店街。情緒があり、祭りのようににぎやかだ。

 変わらない商店街の雰囲気に、小春はまるで故郷に帰ってきたような安心感を覚えつつ、『はな小路こうじ』という南北の縦道を越したことを確認して、北へ曲がった。

 さらに、中ほどに入っていくと、『たつ大明神』が見えてくる。

 別名『辰巳稲荷いなり』。

 とても小さなやしろだが、朱色のとうろうが鮮やかで、愛らしさと華やかさのある神社だ。

 もともとは辰巳の方角を守る神社で、今は祇園のげいまいさんからの信仰を集める、げい上達にご利益のある小社といわれている。

 懐かしい、と小春はじりを下げた。

 ……お祖母ばあちゃんの家に遊びに来た時は、必ずここに来ていたな。

 この神社には、長い階段があるわけじゃないし、小さい頃からのみだ。ここはちゃんとあいさつをしないと。

 小春は、キャリーバッグを持ち上げて境内に入った。

 鳥居をくぐって数歩ほど。とても小さな社だけに、境内も猫の額だ。

 けれど、そこに足を踏み入れただけで、異空間を思わせる不思議な雰囲気があった。

 小春は、そっと手を合わせて、

『お久しぶりです。これから、しばらくの間、よろしくお願いします』

 と、心の中でつぶやいた。

 ──しばらくの間。それが、どのくらいのことになるのか、今は分からないけれど。

 そんなふうに思い、苦笑した。

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