第5話

「父上、廃嫡でも幽閉でも何でもして下さい。私には王太子は無理なのです」

「な、何を言うのです、テディウス」

「母上、私には貴女の顔がどんなものなのか判らない。そこに並ぶ、諸侯達の服が揃えば、もう誰なのか、ぱっと見では区別がつかない」

「何を…… 何を言っているんだ? お前は今までちゃんとやってきたではないか」

「父上と他人を区別するために、父上の服を全て記憶しました。母上のものも。この宮廷の、皆同じ様な髪の色目の色、そして美しいとされる姿形の人々を、私は日々努力して、本当にちょっとした声や仕草や香りや口調で、間違えない様にしてきました。ですが、もう私は疲れました」


 ルクレナ、と俺は彼女を呼んだ。彼女は俺が常に描いていた画帳を手渡した。


「どうか父上、ご覧下さい」


 俺はできるだけ人々の特徴を覚えるために、その姿を描いてきた。そして特徴を逐一つけてきた。

 見るうちに、父上の表情が変わる。

 母上に回る。

 取り落とす。

 それをアレーリヤが手にする。


「え」


 彼女は慌てて紙を繰った。

 自分の名を探したのだろう。


「……よく通る声、リボンは濃紺を主につける。時折緑が入るので注意。……歩く時に、少しだけ重心が左に寄る……」


 彼女はつと顔を上げた。


「それが殿下の、私を区別する特徴だったのですね……」


 俺はうなづいた。


「そして、そちらの方は、そんなことをしなくても、一目でおわかりになる」

「君には本当に済まないと思う。私が全面的に悪い。だけど許して欲しい。私は今後外国との交渉が必要となる場において、自分が通用するとは思えない」

「そんな、でも目の見えなかった賢王も過去には」


アレーリヤは震え声で詰め寄る。


「外交で弱みを見せる訳にはいかないのです。どうしても間違えてはいけない相手を私が違えたら」

「それでも!」

「アレーリヤ、せめて五年前あたりにでも貴女に打ち明けておけば良かった。だがその頃はまだ彼女に出会っていなかった。これほど自分を安心させてくれるひとが居るとは。とても自分勝手だ。本当に済まない。ですから父上、どんな処分でもお受けします。私を太子の座から解いて下さい」


 むむ、と父上はうめいた。

 さすがに俺の、両親もきょうだいも、そして婚約者すら「その様に」しか見えていなかった、ということには衝撃を受けざるを得ないのだろう。


「……お願いします……」



 その後俺は、王太子で居るには健康上の不具合が発見され、失意のまま自害した、と公表された。

 実際の俺はと言えば、事実上の国外追放だ。

 少しばかりの金銭を携え、東へ向かうことにした。

 様々な人々の居る帝都へ向かうのだ。

 通りすぎる人々の特徴一つ一つがもっと分かり易い地域へ。


 アレーリヤはあの場で、よく通る声でこう言い放ってくれた。


「貴方の様な美的感覚が無い方なんて、こちらから願い下げでございます! 何処へでも行ってくださいまし!」


 すなわち、侯爵の名において、破棄を受け止めるということだった。

 俺の画帳は公開された。

 まずきょうだい達にも相当な衝撃を与えた様だった。

 それからアレーリヤの周囲に居た女性達にも。


「あの方には、私達は十把一絡げにしか本当に見えていなかったのですわ」

「何のために……」

「それに、あれだけ気を遣っていたならば、私の声はきっと…… 疲れたのでしょうね」


 アレーリヤはそう言っていたらしい。

 非は俺にある。

 それをあの場で前に押し出したことで、別の縁談の来手はあるそうだ。

 元々素晴らしい令嬢なのだから。


「ロバのほうは大丈夫かい?」

「できるだけ歩いていけば」


 俺は、いや俺達は、ゆっくりと、そして自分勝手に母国を離れて行く。

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頼むから、この王太子の座から退かせてくれ。 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo

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