第2話

 大陸の西の端にあるルイミ王国の第一王子、正妃の子である俺は、生まれた時から既に王太子と決まっていた。

 若くして結婚した二人は、俺という第一子ができるまで、五年という月日が必要だったと聞く。

 だがその後は、次々と弟妹が生まれた。

 俺の控えとして母上から二人、側妃からやはり二人の弟が、母上から一人、側妃から二人の妹が生まれている。

 父上と母上が先に苦労した年月の後には、一気に子供が俺の他に七人増えた。


 そんな中、生まれてすぐに俺には乳母と特別な養育係がついた。

 母上は子供が産めることが証明できたとばかりに、更に子供を産むべく父上とばかり過ごし、俺の顔を見ることもなかった。

 その胸に抱いて乳をくれ、子守歌を聴かせ、あやしてくれたのは乳母のマーサリーだった。

 彼女はロロッタル伯爵家の夫人だが、ちょうど俺が生まれた頃に生まれたばかりの子供を亡くしたのだという。

 そこであふれる乳と愛情を、俺に一身に注ぎ込んでくれたという次第だ。

 正直、俺自身母上と対面するまで、本気でマーサリーのことを母親だと思っていた。

 と言うか、正直どっちでも良かった。

 正妃が母上だ、と言われれば俺はそういうものなのか、と覚え込んだ。

 マーサリーはそれからも俺に惜しみなく愛情注いでくれた。

 彼女は俺に仕えて以来、殆ど家に戻らなかった。

 それこそ伯爵家の跡取り問題はどうなるのだ、と彼女の夫に詰められるくらいまで。


「夫と居たく無いのです」


 ぽつん、と彼女が俺にこぼしたことがある。

 本当は離婚したいのだと。

 だがこの国の掟ではできないのだと。

 だからできるだけ仕事をしていたいのだと。


「それではマーサリーは俺のことが好きで居るんじゃないのか?」

「めっそうもない。マーサリーは誰よりも、殿下のことを愛しておりますよ」


 そう言って抱きしめてくれたのは、俺が八つの時だった。

 そろそろ乳母から引き離し、男性の家庭教師の手に俺を任せてしまおうという話が出た頃だった。


「マーサリーはこれで伯爵家に戻ったらどうするんだ?」

「どうもこうも。また子供を産むために努力するしかございません」

「マーサリーは頭がいい。領地の経営など手助けすればいいのじゃないか?」

「きっとそれは楽しゅうございましょうね。でも夫がそれを許しません。私はあくまで嫁いだ身です。そして私の実家は、私のことは既に居ないものだと思っております」

「でも一度俺も挨拶されたことがある」

「はい。でも私には何の用もございませんでしたから」

「じゃあ何で結婚したの?」

「決めたのは父です。家です。ですがそうですね、必死で抵抗すれば良かったのかも」


 マーサリーの実家もまた伯爵家だった。

 彼女に会う、という口実で、実際は俺に目通りしたい、ということだった。


「俺が実家に頼んで、マーサリーを実家に戻してもらうことはできないんだろうか」

「そんなことをしたら、マーサリーは一生家の片隅に押し込められて、嫁ぎ先よりずっと不自由な生活が待つだけです」


 やがて彼女はロロッタル伯爵家へと戻っていった。


「やっぱり戻ってしまうのか?」

「はい。いつまでも王太子様に乳母がついている訳にはいきません」


 しばらくして、彼女が再び身籠もり――今度は出産そのもので命を落とした、という話を耳にした。

 俺は彼女に弔いの花を届けさせた。

 本当は直接行って思い切り泣きたかった。

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