第5話 幕間の丸ごとオニオンスープ
このシェアハウスに来てから、キッチンという空間が好きになった。
テーブルに参考書とノートを広げながら、コチコチと規則正しく鳴る掛け時計の音を耳にする。さっき、アコーディオンを抱えた北別府さんが現れて、冷蔵庫から麦茶を取り出すついでに一曲聴かせてくれた。モーツァルトだと言いつつ、やたらとポップだったから嘘かも知れない。
それの余韻を引っ張るような掛け時計のコチコチ音が、まるで何かの伴奏のようだ。
キッチンには誰かしらが絶えず顔を出す。誰かが飲み物を取りに来て、誰かはオヤツを漁りに来て、誰かと誰かがちょっと一服しに来て、それから。
ガサガサと物音をたてながら足音が近づいてくる。窓の外だ。それを察知した途端、椅子を鳴らしながら立ち上がった。まるでバネ仕掛けのようだと自分で自分の動きに突っ込みを入れつつ珠暖簾を潜り、玄関ホールへと駆け出す。
「鶉山さん!」
「あー、湊くん! もう帰ってたんだ」
予想していた通り、いくつもの手荷物をぶら下げた鶉山さんが玄関ドアを閉めるところだった。慌てて駆け寄ってずっしりと重い荷物を引き受ける。
「なんで連絡くれないんですか! 荷物持ちなら俺がするのに」
「いやいや、つい夢中になっちゃって」
大きな麻袋から鶉山さんが取り出して見せたのは。
「玉ねぎ?」
「ちがーう! 新玉ねぎ!」
「玉ねぎでしょ?」
鶉山さんはゆるゆると首を振る。
「採れたての新玉ねぎは、この時期にしか出回らない代物なんだから」
余裕たっぷりに言い放つのを、訳のわかっていない僕は頭の表面だけで受け止める。
薄皮を剥いた新玉ねぎを手渡されたラップで包む。ぴっちりしすぎはダメと指導が入ったので、心持ち緩く。包んだ先から鶉山さんに手渡して、彼女はそれを電子レンジに入れ始めたのでちょっと慌てた。
「爆発、するんじゃ……」
「だいじょうぶ! 卵じゃないんだから」
鶉山さんの「だいじょうぶ」は、本当に、正面からLED電球で照らされたみたいに眩しくて、何と言うか、熱量が多い。
スイッチを入れた電子レンジの中で、噂の新玉ねぎたちが「ピー」とか「プー」とか音を出すのをやっぱりハラハラしながら眺めてたら、その様子が可笑しかったのか、四角いコンソメを包丁でスライスしていた鶉山さんが「あはは」と仰け反りながら笑う。
熱々の新玉ねぎを取り出して、大きめの鍋に次々といれては水で満たす。
「あちち、なんで煮るのにレンジかけるんすか!」
「その方が火の通りが早いし、甘くなるんだよぅ」
明らかに僕の指よりも鶉山さんの指の方が細いのに、不思議なことに熱には強いらしい。それともコツがあるのかと横目でそちらを伺いながら、ラップを剥いていく。
そんな事してる間に珠暖簾の間から白州さんが顔を出した。
「オニオンスープ?」
「そー。しかも新玉ねぎの丸ごとスープ」
へぇ、と、なぜか白州さんの口許が緩やかにカーブする。オニオンスープが好きなのは丸岡さんじゃなかったっけ。
「そこ、塞いでもいい?」
一瞬でスープの話を終わりにした白州さんは、キッチンの壁を指差した。正確には、壁に出来た狭い隙間。
「あ! 言われてみれば、なんかここ、空いてますね」
「それ、光希さんもイヤがってた」
鍋を見ていた鶉山さんが振り返る。
「あのふたり、本当にそういうとこあるよねー」
「そういうとこ?」
挟んだ疑問には答えないまま、白州さんはいつものDIY用具の入った箱から何やら取り出して、あっという間に壁の隙間を閉じてしまう。
「助かるわ! たぶんそこから隙間風が吹いてたんじゃないかな」
鶉山さんが白州さんに笑いかけて、そうすると何故だか心臓に近いどこかがチリリと焦げるようになる。
出来上がった丸ごとオニオンスープは、甘く煮込まれた新玉ねぎがジューシーでボリューミーで、玉ねぎとコンソメだけのはずなのに何だか複雑な味がした。
そろそろ初夏。の前に、梅雨か。
巡る季節に思いを馳せながら、新玉ねぎから貰うエネルギーは成長速度をあげたりしないかなんて、思ったりした。
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