第4話 丸岡さんのオニオンスープ 3

 光希さんが言うには、それはいわゆる神職をしていた存在で、そんなに強い力を持ってはいなかった。それ故に周りから特別視されることに違和感や焦燥感があり、とうとうその認識のままで埋葬までされてしまった。そこへ、その感情に理解を示す者が現れた。それが私だった。


「共鳴して涙まで流しちゃ、こうなっても仕方ないわね」

「流したって言うか、勝手に流れたんですよ」

「言い訳しても無駄よ。アンタを嫁にするって言ってるもの、この人」

「嫁!?」

 光希さんが手に持った扇子を丸く動かす。

「それ、婚約の印みたいよ」

「こ、困ります」

「そうよねぇ、困るわよねぇ、モテる女はこれだからねぇ」

 光希さんは歌うように口にする。それからピシリと扇子の先を突きつけた。

「あなた、女捨てる気ある?」

「捨てる?」


 それから、光希さんが師匠に連絡を取ってくれて、私はニ週間ほど師匠の元で暮らすことになった。幸い大学は夏季休暇に入ったところで、田舎の避暑地に滞在するような心持ちになったものだ。

 長閑さを全面に出した田園地帯だった。朝は日が昇る前から田んぼの草むしりをし、牛の世話をし、鶏の卵を採り、野菜を収穫して、晩にはそれを食べた。

 師匠はどこから見ても気の良いおじいちゃんで、光希さんが言うような強力なパワーを持ったいわゆる霊能者的な人物だとは思えなかったけれど、師匠の家で過ごしている間は一度も例の夢を見なかった。

「結界とか、そういうのですか?」

 そう聞いたことがある。

 湯気の出る熱い漢方薬を涼しい表情で飲みながら、少し笑った。

「そんな大したもんでもない。ただ、ここに居て、この土地で汗を流して、この土地で採れたものを食べると、それだけで森羅万象の力を取り込むことが出来るってことだな」

「森羅万象……」

「どこにでもある。ここは何もないから、それが感じやすい土地なのさ」

 わかるようなわからないような話だった。

 そのあと、師匠は私にも漢方薬を調合してくれた。光希さんから依頼をされたもので、私を「女」ではなくさせるもの、という事だった。とは言え「男」になる訳でもなく、強いて言えば「無性」が解釈として近いそうで、一時的に隔離した後、嫁にしたがっている相手から目を逸らすために性を認識させ難くする作戦だと聞いた。


 師匠の家を出てから、迎えに来た光希さんに案内されるままに、シェアハウス鶉の巣に住む事になった。そこでは男性の住む西側の部屋をあてがわれた。

 オーナーの鶉山さんは既に事情を把握しているらしく、質問らしい質問と言えば食べ物の好みを聞かれたくらいだった。あっさりしたもので、それから夢を見ることはなくなった。アザの方は、消えるまでまだ時間がかかるらしい。

 卒業後に師匠のツテで今の店に勤めることになった。自然食品や漢方薬を扱う小さな店で、そこで扱うおおよその商品は師匠のところから送られてくる。

 たまに、師匠の家に何日か泊りがけで畑仕事をしに行く。土にまみれて、汗を流して、陽に包まれて過ごす時間は何物にも替え難い。



 元から女子っぽい服装は好まなかったし、髪は短めを好んでいた為か、私はそこの住人たちにもすんなりと男性側の居室に住むことを許された。新しい住人には完全に男として認識されているようだ。

「丸岡さんて、それ、いつも何飲んでるの?」

 森高弟が、仔犬が戯れつくように寄ってきてはマグカップの中を覗く。

 無言で差し出すと躊躇いなく口を付けるので、これは完全に性別を勘違いされているなと思う。

「……うぇ、これ、お茶?」

「漢方薬」

「子供にはまだ早いかなぁ」

 対面に座ったまま、一部始終を見ていた白州さんがぼんやりと笑った。そうしてまた私は、あ、日向の匂いだ、と胸の中で呟く。

「オニオンスープお待たせ〜」

 コンソメと、クタクタに煮込まれた玉ねぎが、甘い色合いのスープになっている。美味しいうえに栄養価も高い。玉ねぎは悪くないものだ。

「ほんと好きなんだなぁ」

 再び雑誌に向き直る、笑みの含まれた白州さんの口調には嫌味な要素は何もない。よく晴れた昼間の空気みたいで、これも悪くない。

 あの日伝えた好物のオニオンスープをたっぷりとスプーンに乗せて、幸せな気持ちで口へ運んだ。

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