其の8 小さき者

「起きましたか。小さき者よ」


 僕が目を覚ますとフェンがそう言ってきた。

 背中の僕が起きたと何故気づけたのかが、気になる。


「本当のことを言うと、あなたに魔法を教えたくはないのです」


 驚きだった。

 僕が「まほう、つかいたい」と言ったら一つ返事だったのに。


「しかし、これも来るべき日のため。あなたにはそれらに向かう力が必要なのです」


 何の話をしているんだろう。

 フェンはこうして時々、変なことを言うのだ。


「あなたに見せたいものがあります。家に帰るのは少し我慢してください」


「うん」


 フェンは僕を背に、遺跡の裏にある湖が良く見える高台へ来た。

 湖の水面が太陽の光を受け、キラキラと光る。


「きれー」


「ええ」


 2㎞はあるこの場所からでも、水面が透けて見えるほどに澄んだ湖は感動すら覚える。

 彼女は僕にこれを見せたかったのだろうか。


「これだけ美しい湖なのに、不思議なことに生き物はいません」


 たしかに見た限りでは生き物は見当たらない。


「それはこの水が原因なのです。その理由は──あの鳥を見なさい」


 水辺に湖の水を飲みに来ている白い鳥を見た。

 鳥が水を飲むと、鳥の体がボコボコと変形していく。

 鳥の嘴が大きく発達し、白かった羽がどす黒い色へと変色すると鳥は雄たけびをあげた。


 鳥はそのまま目を血走らせてどこかへ飛んで行ってしまった。


「この湖の水は魔素の濃度が異常に高く、生き物があの水を飲めば、怪物へと姿を変えるからなのです」


「へー」


「……ここの魔素全てを使う魔法はどんな魔法なのでしょうね」


「うーん……」


「いずれ分かります。小さき者よ」


 フェンは僕を下ろし、向き直った。

 フェンの瞳を僕はじっと見つめる。


「あなたにはいずれ辛い選択を迫られる時が来ます。

 ですが、あなたは自分の選びたい方を選びなさい。誰もそれを咎めません。

 どちらも選びたければどちらも選びなさい」


「なんで?」


「……神々はあなたを祝福しているのです。

 刻印の宿命からは逃げられない。ならば、自分で乗り切るしかないのです」


「──?どういうこと?」


「いつか分かります」


 本当に、フェンは何が言いたいのだろう。


「帰りましょう」


「えー!まだ見たい!」


「少しだけですよ」


 フェンは僕の背後に回り、僕に腰掛けるように言った。

 フカフカのフェンのお腹はとても心地よかった。


「ねーフェン」


「なんです?」


「なんで僕、ちいさきものってよぶの?」


「そうですね。あなたが自分を理解した時に気づくでしょう」


「よくわかんないね」


 高台から見える向こうの山に日が下がっていくのを見ていると、遺跡の方から大きな爆発音が聞こえてきた。


「?」


「小さき者よ。私に捕まりなさい」


「フェンどうしたの?」


 フェンは何も言わなかった。


 フェンの背にまたがり、遺跡へ戻ると崩れた壁にダロが血塗れで倒れかかっていた。

 何事かと思うと、遺跡の奥でセンセイの声が聞こえた。


「ダロ、何が起きたのです」


「ああフェンか……っ!なんだよお前と一緒にいたのか……よっと」


 のそりとダロが立ち上がる。

 フェンはダロに癒しの魔法を詠唱した。


「導きの天使よ、かの者に癒しの光を──回復キュアヒル


 傷だらけだったダロの体がみるみる治っていく。


「ふぅ。引退したとはいえ、流石に応えるな……」


「言っている場合ですか。メリィはどこです」


 メリィ?誰のことだろ。


「おい。その名前は言わない約束だろ」


「それはあなた達が勝手に決めた約束でしょう。私には関係ありません」


 ダロは小さく舌打ちして、僕を抱き上げた。

 何をするんだ。離してくれ。


「あっこら動くな。ほらママんとこに行くぞ」


 ママ?僕の母がここにいるのか?一体どこに。


 ダロは僕を連れて、遺跡の奥へと歩いていく。

 遺跡の奥は祭壇のようだった。

 石の台座の上に、金の杯が置かれていて、中には真っ赤な液体がヒタヒタに入っている。


「センセイ。いたぞ。フェンと遊んでたみたいだ」


 台座の裏にセンセイが何かに向かって祈っていた。

 この世界の神に祈っているのかな。


「ウェル?良かった……本当に……」


 顔を上げたセンセイは泣き腫らした目を擦り、僕の頬を撫でた。


「どしたの?」


「ううん。何でも……何でもないの」


「変なの」


「いつつ……ほらな。センセイ。言った通りだろ?

 まだ、大丈夫だってよ」


 何が大丈夫なんだろう。不穏な会話に僕は顔をしかめる。


「おっと。そうだった、ほれママのおっぱいだぞ」


 ダロが押し付けるようにセンセイに僕を預ける。

 ママ?──なるほどそういうことか。


「ママ。大丈夫?」


「っ!ええ。もうお昼寝はしたの?」


「うーん。まだ眠たい」


「それじゃあ、お布団に行きましょうね」


 センセイは優しく僕を抱き、ベッドへと連れて行った。


「おやすみ、私の可愛いウィル」


 眠たいと言ったが、あれは嘘だ。

 僕の本当の目的は、


「アギーレの火よ、世界に灯を映さん」


 詠唱をするためだ。

 フェンといる時とは違い、体がとんでもなく熱い。

 これは……マズイのか?


 ええい、ままよ!

 僕は人差し指を上に向ける。

 イメージはチャッカマン。ボっと出てくれればそれでいい。

 大丈夫。無詠唱はうまくいったんだ。


「──着火イグニシオ


 最後の言葉を言った瞬間に、指に鋭い痛みが走った。

 そして、直感した。

 ──外にやらなきゃ!と。


 指先を急いで窓へ向ける。

 すると、轟音と共に火柱が窓の周りをも抉り取りながら、飛び出していった。

 反動でベッドから投げ出され、僕は床に頭を激しく打ち付けた。


「~~っ!?」


 激痛に悶えながら、ぽっかりと空いた穴を見た。

 穴の先に広がる森には一筋の道が作られていた。

 作ったのはそう、僕だ。


「マジですか」


 燃えつくされた炭の木がポキリと折れた。

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