其の4 最初のお願い

 遺跡だというのに中は存外に綺麗だった。

 時折聞こえてくる呻き声を除けば、これといって変なところはない。


「バウ!」


「ぎゃう!?」


 僕を咥えてるにも関わらず、狼が吠えたものだから僕はお尻を床に強打した。

 痛烈な出来事に目元がヒクヒクした。

 ──やばい。泣く。


「んぎゃぁぁ!あう。あぶぁぁ!」


「クン……クゥン」


 悪いと思ったのか、狼は僕の頬をぺろぺろと舐めてくれた。

 ザラザラとした感触がなんともくすぐったい。

 狼の毛が手に触れた瞬間、僕は仰天した。


 ふわっふわ!なんだこれ!?

 羽毛なんて比にならない柔らかさ。毛が一本一本しっかりとしているのにも関わらず、手を入れるとそれに沿うように指の表面をなぞる。

 こんなの前世にはなかったぞ。


 狼はくすぐったそうにして、僕の頬を持ち上げるように舐め上げた。

 よほど気にいったのか、グリグリ僕に頭を押し付けてくる。


「──」


 低い声だった。相変わらず何を言っているかは分からない。

 更に言うと、どこを見ても声の主が見当たらない。


「──」


 視界がぼんやりとしてきたので目を擦るが、なぜか靄が晴れない。

 そして、これがただの靄でないことを悟る。

 これは……さっきの巨大な白狼だった。

 この世界の狼は透明にもなれるのか!?

 いや……というか言葉、喋ってるよねこれ。


 何もかもがまるで魔法みたいだ。 


「──」


 白狼が顎で狼に指示すると、狼は僕の襟を食み、また歩きだした。

 これからどこへ行くんだろう。

 食人は……しないと思っているけど、実際のところは不明なので安心は出来ない。

 いや、例えそんなことが起きても抵抗は出来ないわけだが。


「あぶ、あうああ!」


 唸り声の正体が分かり、思わず声が上げた。


「──……──……──」


 ベロンベロンに酔っぱらった飲んだくれの男がゾンビのように這いずっていたのだ。

 男の短い金髪に少しついた嘔吐物を見た瞬間、もらいゲロをかました。


「──……──……」


 狼はそんなことを意に介さないようにトコトコ遺跡の更に奥へ向かう。


 そして、ある程度歩くと木造の扉の前に着き、狼は右往左往した。

 入れないのかな?


 今度はゆっくりと僕を下ろして、また僕をベロベロと舐め始めた。

 ハッハッと鼻息を荒くしながら顔を舐める狼を見て、自分の顔はもしかしたら甘いのかもしれないと思ってしまった。

 割と本当に食われるんじゃなかろうか。


「んぶっ……あぶぅ」


「ハッハッ」


「──」


 背後から女性の声がした。


「──クゥゥン」


 興奮する狼の額に、女性がデコピンをして制す。

 今までの行動からして女性が狼たちの主人なのだろうな。

 よく躾けられている。


 あの大きな狼もそうなのだろうか。だとしたら滅茶苦茶凄い人なんじゃないか?


「──」


「あぶ」


 女性が僕をひょいと持ち上げ、戸の先へと進むとそこは遺跡の雰囲気に似合わない、生活感の溢れる居間だった。

 獣の皮がカーペットがわりに床に敷かれ、食器棚に飾られた写真立てから察するにこの世界には写真を撮れるくらいの技術はあるようだ。

 女性が狩りに使っているのが弓だからてっきりそういったものは無いと思っていた。


 そうなるといよいよ何故あのソリが浮いていたのかが気になってきた。

 本当に魔法の可能性あるぞ。


「──……」


「んにゅ?」


 女性が悲しい物を見るような目をしながら僕の頭を撫でた。

 彼女がその憐みを僕に向ける理由は分かる。そりゃ赤ちゃんが森に一人で置き去りされている現場を見れば、誰だってそう思うだろう。


 女性は僕が吐いた跡を見つけると、僕の口を手ぬぐいで拭いてくれた。

 なんか……苦しくなってきた。多分、嘔吐物が食道に残っているんだ。

 何度も身をよじり、苦しさを紛らわせようとしたが効果は無し。


 様子がおかしいと思った女性は僕をソファに横にしてくれた。

 すると余ったゲロがようやく解放され、呼吸もしやすくなった。


「──」


 女性は僕の腹をポンポンと優しく叩き、歌を歌った。まあ歌の意味は分からないが、寝かしつけようとしてくれているのは分かる。

 お腹が減っているので寝ないだろうと最初は思っていたのだが、僕が単純なのか、それとも赤ちゃんは皆そうなのか、眠くなってきた。


 不意に僕は思い出した。

 前世でもよくこうして母にお腹をポンポンと叩いてもらっていた。力は……まあ今よりも強かったがそこは大して問題ではない。

 傍らで父は本を読んでいた。寝かしつけてもらったことはないが、あの不器用な父だ。自分でやるよりも母の方が良いと思っていたのだろう。

 そうか……川の字で眠ることはもう出来ないんだな。


 あの頃に戻りたいな……。また三人で一緒に眠りたい。けど、もう無理だ……。


 一粒の涙を流しながら僕は眠りについた。


『ああ!見つけた見つけた!

 ちょっとちょっと~一体どこにいたってのさ!探したんだよ?』


 夢の中は見たことのある景色だった。ここは、ミカと出会った何もない空間だ。

 ミカが僕の元へ駆け寄ってくる。

 どこに行ってた?あそこに僕を送ったのはミカじゃないの?


『んん?私が?そんなことするわけないだろ。

 君は普通の街で生まれたの!それなのに……様子を見てみようと思ったらどこにもいないし。

 ああもう……またアルに怒られる……』


 うずくまり頭を抱えるミカ。そんなこと言われたって赤ちゃんの僕に何が出来るって言うんだ。


『ま、いいか。とりあえず!

 君にさっそくお願いごとだ!いいかい?一度しか言わないからね?』


 ミカは懐から──といっても服なんて着ていないが──木の枝を取り出し、僕の前に差し出した。


『君はここで魔法を学んでくれ。ここに魔導書があるのか分からないから、簡単なものでも構わない。けど、なるべく多めに頼むよ』


 そう言うと、木の枝が発火した。

 ──魔法。やっぱりこの世界にはあるんだ。

 でなければ、あのソリが浮いていた現象を説明出来ない。


『ええと、あとは……。うん、無いかな。

 よし、それじゃ頑張って!皆応援してるから!』


 ミカが何やらとても焦っている。

 ミカ?どうしたの?


『ね~ミカぁ?今日こそはいいでしょ~?』


 ミカの後ろからビックリするくらい綺麗な女性が現れ、ミカに抱き着いた。

 女性は長い髪に花のブローチをつけていて、赤いドレスを着ていた。


『今日こそ逃がさないわよ?熱い夜を過ごしましょ?』


『いいい!?嫌っ!私は誰とも所帯をもつ気はない!』


『どうして~?あの時、言ってくれたじゃないの。「君と共にいたい」って。

あの時のあなたすっっっごくカッコよかったわ~』


『あ、あれは……そういうんじゃないだぁ!』


 ミカは素っ頓狂な声を上げ、アルの時のように僕を盾にした。

 なんか……うん。だんだんこの神を理解してきたように思う。


『なんだよ君ぃ!?なんでそんな目で僕を見るんだあ!?』


 いや、別に……。

 綺麗なお姉さんは後ろにいるミカの腕を掴み、どこかへ引きづって行ってしまった。

 ミカが何度も僕に助けてと言っていたけど、お姉さんに笑顔でウィンクをされて、体が硬直してしまったので見ているしかなかった。


 そんなことより……魔法か。

 僕に出来るだろうか……。

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