其の3 ようこそ異世界へ

 僕はあれから転生したらしい。

 というのも、ミカが誰かに向かって大声を出した辺りから記憶がないのだ。

 だが、転生したという事実はすぐに理解出来た。

 天を仰ぐ自分の視界に映った小さい手がそれを雄弁に語るからだ。


 今、僕は満月の光に当てられた薄暗い森林の中にいた。

 背の高い雑草の感触が背中から感じる。


 なぜ赤ん坊の僕がこんなところにいるのだろうか。

 産んだ人間はどこにいるのだろう。

 辺りを見渡しても人影はない。


 服を着ていることからミカが服を着せてここに放置した可能性も考えられるが、捨てられた可能性も十分にある。

 突然、強烈な恐怖感が迫ってきた。

 一人ぼっちで知らない土地、いや知らない世界に取り残されたような体験を今までしてこなかった。


 赤ちゃんの感情表現は泣く事と笑うこと以外に存在しない。

 中身が小学生の僕であったとしても例外ではないようだ。

 先に涙があふれ出ると、それに続くように喉から声が飛び出した。


 少しすると、茂みからガサガサと音がなった。

 もしかすれば、獣かもしれないが声が止まらない。

 騙された……のか。

 生まれた瞬間に殺されるなんて流石に酷い……いや、これくらいが僕の償いにぴったりなのだろうか。


 茂みから出てきたのは恐ろしい獣ではなく、一人のたくましい体の女性だった。

 女性は僕に向かって話しかけた。


「──?」


 やばい。何言ってるか分かんない。

 この世界の言葉か。


 筋骨隆々の赤毛の女性が僕を見下ろす。

 彼女は弓を背中に背負い、腰には短剣、そして彼女の手には大きな鹿が額から血を流し息絶えている。

 見たところ彼女は狩人なのだろうか。


「──」


「おぎゃ……あぶ……うぶぅ」


 女性は鹿を下ろし、両手で優しく僕を持ち上げた。

 恐怖感が微かに薄れた気がした。

 同じ人間に出会えたことがこんなにも嬉しいとは。


 落ちそうになったので女性の大きな手をきゅっと握った。


「──。──!!」


 女性がピーっと口笛を吹いた。


 今気づいたのだが、この森には薄ーく霧がかかっている。

 神秘的にも見えるが、どこか薄気味悪い雰囲気を伴っている。


「バウバウ!」


 白い狼が二匹、ソリを引いてやってきた。

 怖い怖い!

 狼めっちゃこっち見てる!


「──」


「グルルル」


 女性は僕をソリに乗せ、縄で固定すると、狼の頭をポンポンと叩いた。

 狼はそれを合図にビュンと動き出した。

 しかし、意外と体に負担がかからない。

 なぜだろうと下を見ると、ソリが少し浮いていた。


 道理で音がしないと思った。

 って、そうじゃないだろ!?

 浮いてる!?なんで!?


「きゃっきゃ!」


 驚きを笑顔で表現する。

 狼の片方がこちらをチラリと見ると少し微笑んでいるように見えた。


 また、生き物も鹿と狼以外にたくさんいた。

 猿や鳥、猪にウサギ。

 異世界といえど生物はそう変わらないのかと思うと、僕のそんな考えは一瞬で消え去った。


 虫がいた。

 ただの虫ではない。

 先ほどの女性よりも大きなトンボのような虫がいたのだ。


 羽は全部でだいたい十。

 声はもはや出なかった。


「バウ!!」


「ガルル!ギャウギャウ!」


 狼がそれに威嚇をすると虫は遠くへと羽ばたいていった。

 これが異世界……。

 ここで僕は神さまのお願いとやらを聞くのか。


 ──ん?待て。肝心の神さまは何をしているんだ?


「ホロロロ!」


 ソリの前で奇妙な生き物が吠えている。

 見た目はムササビに似ているが、目が三つあり、腹にまで伸びた牙がこの生物が肉食であることを暗示している。

 ムササビって肉食だったかな?

 先ほど吠えたあれは仲間を呼んでいたらしく、すぐに大量の仲間が目の前に立ちはだかった。


 おびただしい数のムササビに狼たちはたじろいだ。

 これは……もしかして不味い状況なのでは?


「アォォォォン!!」


「オッオッオォォォォン!」


 二人は遠吠えをした。

 この状況でそれになんの意味があるのか。

 狼について詳しくは無いのでよくわからなかった。


「ホロロ…」


「ホロロ!ロロ!」


 ムササビたちが津波のようにこちらに襲い掛かってきた。

 しかし、僕は気づいた。

 いや、ここにいる全員が気づいた。


「あぷ……」


 ──来る。


「ボロッ!ロロロォ!」


 それは疾風のようだった。

 二匹の狼よりも体躯が数倍はある狼が、ムササビの群れへと突っ込んでいった。

 ムササビは断末魔をあげながら、狼の牙に体をちぎられ、半身を大地へと還した。

 横にいたムササビは逃げる猶予すら与えられず、すぐに同じ末路を辿る。


 狼の長く細い毛がたおやかに揺れるのに対して、残酷なまでに繰り広げられる自然の厳しい食物連鎖。

 それなのに目はそこに釘付けにされてしまう。

 純白の体毛についた返り血はこの美しい白さを害すこともなく美しささえも感じさせる。


 次の瞬間、肉の海から顔を出した狼の口から、炎が放たれた。

 比喩でもなんでもなく本物の炎だ。


 次々と焼け死んでいく仲間にムササビたちは僕たちを諦めることにしたのか深い霧の中へと姿を消した。

 逃げ遅れたムササビたちを巨大な狼は一切の躊躇いもなく喰い殺した。


「……グル」


 二匹の狼にそう一言告げ、巨大な狼はまたハヤテのごとく姿を消した。

 すっげ……。

 なんだあれ。狼が炎吐いた……。


「クゥゥン……」


 今のは怒られたのかな?

 狼たちは顔を見合わせ、悲しげに俯いた。

 よく見ると可愛い……。


 気を取り直した狼たちがまた走りだした。

 その後といえば退屈なほどに平和なものだった。


 穏やかな風を感じながら僕はこれからのことを考えていた。


 この世界の生き物はみんなあんな感じなのだろうか。

 あの女性はなぜ狼と意思疎通できるのだろう。

 あの巨大な狼は何者なんだろう。

 神さまは今どこで何をしているのだろうか。

 僕はこれからどうすればいいのだろう。

 ミカの言っていた忘れ去った過去とは一体なんのことなんだろう。


 答えのない問いを繰り返すうち、目的地に着いたようだ。

 目的地は遺跡だった。

 様々なレリーフの刻まれた壁、それにギリシャの神殿にあるような美しい柱たち。

 朽ちてはいるが古臭さはない。

 伸びた蔦は一種の装飾のようにも見える。


「ワン」


 狼たちはソリを遺跡の入り口に止め、器用に縄を食いちぎった。

 一匹が僕の襟を甘噛みして持ち上げ、トコトコと遺跡の中へと入っていく。

 もう一匹はソリをどこかへ引っ張っていった。

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