第4話、『光の巫女と陰の剣士』

 光と陰、二つの高エネルギー体が衝突する。

 発された衝撃波が地面を抉り、修練場を囲うガラス窓が同時に砕ける。


 彼の刃は私には届かず光の壁に遮られる。

 大丈夫。単純な出力ならこちらが上だ。


 そもそも陰魔法は、弱体化や精神干渉といったデバフ効果に特化している。

 だが、それらすべてを光魔法は無効化できる。負ける要素がない。


「――――ぇ」


 次の瞬間、私は後方にぶっ飛ばされていた。

 何が起こった――?

 彼が何かしたのか? 私が油断した?


 私は壁に叩きつけられ、すぐさま立ち上がる。

 すると、貧血のように足元が覚束なくなる。


 危ない……また意識が飛びそうになった。

 どうして? 私に瘴気は効かないはずじゃ……。


「気をつけた方がいい。俺の瘴気は、歴代の陰魔法使いのそれとは訳が違う。たとえ光の巫女であっても猛毒だ」


 彼は淡々と歩を進めてくる。


 落ち着け。落ち着いて深呼吸をしろ。

 大丈夫、こちらの有利は揺るがない。

 冷静に彼の動きを注視すれば――


「――――ッ!?」


 瞬き一度、間合いを一気に詰められる。

 ダメだ。瞬きのつもりでも、気が緩んだ一瞬に意識がもっていかれる。


 この戦闘じゃその一瞬が、致命傷になりかねない。


「『ホーリーシールド』!」


 咄嗟に防御の壁を作り上げる。

 守りに徹してばかりじゃダメだ。立て直さないと。


「大魔法『ホーリーメテオ』」


 詠唱と同時、天に無数の光の剣が現れる。

 一度止められてるが、戦闘をリセットするくらいはできる。

 まずは距離を取って、遠距離戦を仕掛ける。


「奥義『影狼(かげろう)』」


 次の瞬間、彼は陰を纏った黒刀で剣の雨を打ち払った。

 陰魔法と光魔法は対消滅を起こすが、まさか一度に全て斬られるとは。陰魔法で攻撃範囲を拡大してるのか。


 剣術と陰魔法の合わせ技。

 間違いない、断言できる。

 彼は歴代の陰魔法使いの誰よりも脅威だ。


 私は翼で一気に上昇する。

 やはり地上での接近戦では分が悪い。

 遠距離の光魔法で応戦すべきだ。


 私は再び『ホーリーメテオ』を使う。

 先程より強固で数も多く、威力を桁違いに上げたものだ。


「そうやって、いつも高いとこから俺らを見下してきたんだろうな」

「……っ」


 その言葉に私の動きが止まる。

 挑発だと分かってはいるが、胸が締め付けられる。

 耳を貸すな。魔法の精度は精神に大きく左右される。


「陰に引きずり下ろしてやる。――奥義『空絶斬』」


 彼は間合いの大きく外で黒刀を振るう。

 私は嫌な予感がして咄嗟に障壁を張る。


「――――ッ!」


 次の瞬間、障壁が粉々に弾ける。

 斬撃が飛んできた!?

 遠距離戦にも対応してくるのか。


「何故だ、アイシャ! なんでそれほどの力があって、今まで何もしてこなかったんだ! 国民からの人望を一心に浴び、神の使徒と崇められるお前になら国を変えられたはずだ! 何故、俺たちを救ってくれなかった!?」


 彼の心の叫びに、胸が抉られる。

 そうだ。私は貧民街の現状を改善できる立場にありながら、今まで何もしてこなかった。

 彼が最も嫌っている、力だけを持つ既得権益のクズと同じだ。


「正しい方法で国を変える? 笑わせるな! お前らのような力を持つ者が何もしないから、俺たちが立ち上がらなきゃいけないんだろうが!」


 そうだ。私が光の巫女として貧民街の現状を改善していれば、彼は盗賊になんかならなかったかもしれない。

 彼の母親も死なず、彼は陰魔法も手に入れなかったかもしれない。


 私は、彼の願いを知っていたはずなのに。


「高いとこから偉そうにもの言ってんじゃねえぞ!! ――奥義『昇り龍』」


 彼は深く膝を沈ませ、黒刀を振り上げると共に跳躍した。

 その直後、彼の影から龍の形を模した陰が登ってくる。

 ダメだ。戦闘に集中しなければ。


「大魔法『ホーリー」


 いや、遅すぎる。それに突き技じゃ、ヤワな防御層じゃ簡単に破られてしまう。


「――――ッ!!?」


 私は防御も攻撃も捨て、ギリギリで剣先を杖で逸らす。

 危ない。本当にあと一瞬遅れていれば致命傷だった。


 でも、空中戦じゃ翼のない彼に戦う術はない。


 重力に従い落下していく彼は、ニヤリと不敵に微笑む。

 まるで空中でも軸がぶれない。

 無駄のない洗練された動きだ。


 当たり前か、彼は魔術師であったときも体術の訓練に誰よりも真剣に取り組んでいた。

 彼の努力は実らなかったが、決して無駄じゃなかった。

 あの日々が、彼の肉体を、彼の精神を、揺るぎない『最強』にした。


 私は巨大な槍を作り上げ、狙いを彼に定める。


「大魔法『暗黒世界』」


 私が技を発動する直前、彼は深い陰を展開させた。

 視界が黒く染る。

 でも、彼がまだそこにいるのは間違いないんだ。


「『ホーリースピア』!」


 私が光の槍を放つと、外壁が大きく崩れる音が轟いた。

 手応えがまるで無い。外したか。


 私は一度距離を取る。

 陰は徐々に晴れ、視界が良好になる。


 彼は…………いた。しっかりと距離は取れてる。


「奥義『黒流星』」


 彼は黒刀を鞘に収め、身体を深く沈みこませる。

 抜刀術。まさか……届くというの。その距離から。


「――――ッ!?」


 次の瞬間、破裂音ともに地面が陥没し、彼の姿が土煙に消える。

 そして、私の横腹から入った刃が胸を切り裂いて肩から抜けた。


 早すぎる……見えもしなかった。


 全身から力が抜けて落下していく。

 その最中、私は景色が高速で動いていることに気がついた。


 そうか。彼が消えるほど速くなったわけじゃない。

 あの大魔法『暗黒世界』は、ただの目眩しだけじゃなかったんだ。

 私の動体視力が落ちている。だから世界が速く見える。

 

 私は地に落ちるまでに体勢を立て直す。


 おかしい、私は切断か致命傷でもなければ傷は一瞬で完治するはずだ。

 なのに、傷の治りが異常に遅い。


 それに頭がくらくらする。

 疲れる。息切れなんていつぶりだろうか。


「やっぱり殺したくらいじゃ死なないか」


 私は地に降り立ち、彼と対面する。

 形としては戦闘前に戻ったというわけだ。


「そろそろ効いてきたか」

「何を……したの?」

「俺が初めに使った『影狼』が発する陰には、徐々に体力と魔力を奪う呪いがかかってある」


 体力が減少すれば魔力の回復が遅くなる。

 そして魔力が底をつけば、魔力欠損を起こして気を失う。

 今まで気づかなかったなんて。


「これなら……体術の訓練は受けとくんだったなぁ」


 今から後悔しても遅い。

 私の体力は直に尽きる。

 対して、彼は私の体力を奪ってる上に息切れ一つしていない。


「それと、黒刀・夢幻幸によってつけられた傷は、光魔法であっても簡単には治らない。――次は、心臓を貫く」


 だから、まだ傷口が塞がらないのか。

 血が止まらない。治癒に専念すれば、一気に攻め込まれる。


『瘴気』によって、精神をすり減らされ、

『影狼』によって、魔力と体力を徐々に奪われ、

『暗黒世界』によって、動体視力を著しく落とされ、

『黒刀』によって受けた傷は直ぐには治らない。


 戦えば戦うほど選択肢を削られ、敗北の淵に追い詰められていく。

 これが陰魔法の戦い方。いや、彼が導き出した光の巫女対策。


「……すごいね。グレイくんは。だからこそ許せない。かつて君が誰かのためにした努力を、今は誰かを傷つけるために使っていることが。――君に戦いを強いたのが、私の大罪だとするならば、私はその責任を取る!」


 戦いが長引くことが自分の首を絞めることにしかならないのなら、最大火力の魔法を彼にぶつける。


「究極魔法!」


 その瞬間、あたりは眩いほどの奇怪な光に包まれた。

 そして、ゴーンゴーンと教会の鐘のような音が鳴り響く。


「鐘の音……?」


 朝日が昇り始め、国全体が柔らかい陽の光に包まれる。

 朝が来る。夜は明ける。

 まだ眠気が襲う明け方、国民は鐘の音によって目を覚まされた。


 しかし誰も不快な思いをしなかった。

 朝日に包まれている安らぎに、心が温かくなるのだ。

 誰もが同じ方向を眺め、その光の神秘が織り成す絶景に心を奪われた。


 人々の心に取り憑くどす黒い陰が、浄化されていく。

 不純物のない清々しい気持ちに、誰もが自然と涙を零した。


 そしてその光景に、ただ一人、ミレイだけは苦しそうに咽び泣いた。



「アイシャ様…………さようなら」



 陰魔法が憎悪や絶望を糧にするものに対し、光魔法は喜びや希望を糧に強くなる。


 この魔法を使ったのなら、私は直に死ぬのだろう。


 歴代の光の巫女はこの魔法を使う時、何を感じていたのだろうか。どんな希望を抱いていたというのだろうか。


 今なら分かる気がする。

 もしかしたら、歴代の光の巫女たちは……。

 ならば、私も先輩方に倣おう。


 1000年前、先代の光の巫女は百年近く続いた戦争を誰も殺さずに終結させたと言われている。

 その日、世界は一夜中淡い光に包まれ、兵士は武器を捨て、人々に心に巣食っていた不吉な何かが消え去った。


 世界から争いが消えたその日は、『奇跡の一夜』と呼ばれ、今も尚王国に伝説として語り継がれている。


 そしてその日を境に、先代の光の巫女は姿を消した。



 曰く――その光は人々の荒んだ心を浄化する。


 曰く――その魔法を使ったが最後、光の巫女は消滅する。



「……やめろ。その光は不快だ」


 この光に苦痛を味う者が一人だけいる。

 彼は頭を抑えて苦しみの声を上げ、光を振り払うように黒刀で空を切った。


「だったら、全力でかかってこい! グレイくん!」

「……いいぜ。アイシャ。全力でお前を葬ってやる!」


 おそらく、私が最後の光の巫女になる。

 血が薄れすぎている。多分、もう二度と光の巫女は生まれない。

 だから、私がやらなければいけないんだ。


 陰魔法は、私が封印する!

 例え、私の命が燃え尽きようとも!



「究極魔法『ブレス・オブ・ゴッデス』!」



 直後、陰を呑み込むほどの眩い光が生まれる。

 私は巨大な女神の翼を生やし、彼に向かって一気に滑空した。


 刺し違えてでも彼を止める!



「来い。――最終奥義『黒謬無天界(こくびゅうむてんかい)』」



 彼を中心に世界が色を失っていく。

 そして、展開された灰色の世界が私を呑み込んだ。



 ――その瞬間、私は何も感じなくなった。



 何も見えないし、何も感じない。

 音も、匂いも、痛みも、温度も、怒りも、悲しみも、何もかも。


 私は死んだのか?

 ただ思考するだけの案山子に成り果てたのか?


 ダメだ。意識が朦朧としてきた。

 上手く考えられない。頭が回らない。


 落ちていく。


 沈んでいく。


 どこへ?


 夢じゃない。


 誰もいない暗い深海。


 これが『死』なのか?



 ダメだ…………もう、何も………………考え……られない。



 ――――――――。


 ――――。



 ――。











『俺は……俺が世界で一番嫌いだ』


 悲痛に満ちた彼の嘆きが聞こえる。

 陰とともに、彼の思いが流れこんでくる……。


『母さんを守れなかった。それを誰かのせいにしなきゃ生きて来れなかった』


 君は悪くないよ。誰だってそうだから。

 一番辛かった時に傍にいれなくてごめん。


『お前と対等になりたかった。お前の隣で一緒に戦いたかった』


 そうだったんだ。

 だからずっと頑張ってきたんだ。


『努力しても努力してもお前には届かなかった。お前の才能を羨む自分が嫌で仕方がなかった』


 世界の誰も、君を責めることはできないよ。

 そんなやつがいたら、私が懲らしめてやる。



『俺は――お前みたいになりたかった』



 そう……だったんだ。

 やっぱり、伝えなきゃ。――私だけの、この思い。



~~~



 決着は一瞬だった。

 グレイの展開した『黒謬無天界』は、アイシャの意識を完全に刈り取った。


 五感を奪い、痛覚を奪い、全身の感覚を奪い、思考能力を奪い、記憶を奪い、言語を奪い、生きる術を奪い、命を継続させることすらできなくなり――死に至る。


 それは光の巫女であったとして防ぎ切ることはできない。


 グレイは、意識を失い無防備になったアイシャの心臓に黒刀を突き刺した。


 血が留めなく溢れ出てくる。


「……どういうことだ?」


 だが、いつまで経っても鐘の音は鳴り止まない。

 それは少しずつグレイの憎悪に巣食う陰を蝕んでいく。


 そしてここからできるだけ遠くに、と本能が命令する。


 黒刀を抜こうとしたグレイは、もう一つの異常に気がついた。


 アイシャの身体は崩れ落ちてはいなかった。

 明らかに立っている。

 最終奥義を正面から受け、こうして治癒妨害の刃で心臓を貫いているはずなのに。


「う……ぐぁ。あァ……!?」


 そして黒刀がバラバラと崩壊していく。

 それだけじゃない。

 陰魔法が、心から剥がれていくのを感じた。


「ねえ……グレイくん」


 アイシャは最後の力とばかりにグレイを抱き締めた。


 並外れた生存本能が、陰の最終奥義を打ち破ったのだ。

 しかし心臓を貫かれ、弱々しく崩れていく身体を、グレイが咄嗟に支えた。


「アイシャ……どうして。俺は、なんてことを……」


 心に巣食う悪魔が去り、グレイは自分の罪を自覚する。

 冷たくなるアイシャの身体を強く抱きしめ、グレイは滂沱の涙を流した。


「落ち着いて。君は大丈夫……だから。……ずっと、言いたかったんだ」


 もう、アイシャの目には光がない。

 どうやら、歴代の光の巫女たちが迎えに来たようだ。


「私はね……君みたいになりたかったんだよ。誰かのために一生懸命になれる優しい君に」



 グレイは、アイシャみたいに強くなりたいと願った。

 アイシャは、グレイみたいに優しくなりたいと願った。



「……大好き。ずっと、大好きでした」



 その言葉を告げると、アイシャの身体がガクンと重くなった。

 温度が消えゆく少女は、安らかな表情を浮かべている。


「俺もだ! 俺もお前を愛している! だから……置いていかないでくれ! やり直そう! 二人で! なあ…………アイシャ」


 夜が開ける。鐘の音が止む。

 静寂が支配する夜明け、少年の悲痛な嘆きだけが木霊した。


 その一瞬、世界からあらゆる争いが消えた。


 




 後にこの悲劇の物語は王国全土に轟くことになる。

 命を賭して世界の平和を願った光の巫女と、悲しい運命を背負った陰の剣士の物語として。

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