第3話、『使命と意志』

「――様。アイシャ様!」

「…………ミレイ。どうかしたの?」

「どうかしたの、じゃありませんよ。もう5日ですよ。いつまでそうやって呆けているつもりですか!」


 我に返ったとき、私は自室で窓の外を眺めていた。

 あの日から私は、植物のように無気力になっている。


「……あなたがここまで弱っているのを初めて見ます。アイシャ様はいかなる戦場でも常に冷静で毅然としていらしたので……正直、何があなたをそうさせるのか分かりかねます」


 毅然。冷静。そうだろう。

 私は人形だもの。何も感じない空っぽな人形。


 そう思うことで、自分を守っていた。

 そうすれば、自由な人を見て妬むこともなくなった。

 人を殺すことも、何も悲しくなくなった。

 使命だからと、何も考えずに生きてこられた。


 でも、もうダメだ。

 考えてしまったのだ。

 自分は何のために戦っているだろうかって。


 彼はきっと貧民街の人たちのために戦っている。

 そんな彼の思いを、また大志のない私が踏みにじるのか。


『野望がないなら俺の夢を邪魔するな!』


 あの頃からまるで変わっていない。


 皮肉なものだ。

 人のためを思って国家魔術師を志した努力家の彼は咎人となり、言われるがまま才能だけで成り上がった私が英雄とは。


 どうして……この役目を与えられたのは、彼ではなく私だったのだろうか。


「こんなんじゃもう……戦えない」


 すすり泣くように声を絞り出す。

 何故本音を口な出すのがここまで辛いのだろう。


 そんな私を辛そうに見つめ、一呼吸置き、覚悟を決めたようにミレイは切り出す。


「……『影狼団』が再び現れました」


 と、静かに突きつけられた使命に息が止まる。

 その表情からも、それが本心では言いたくないことだと分かる。


「すでに数人の国家魔術師を送りましたが、おそらくは……」


 相手にならないだろう。

 ミレイは口にはしなかったが、おそらくそう確信してる。


 それは実際に対面し、彼の過去を知る私が一番よく分かっている。

 今の彼には国家魔術師を遥かに凌駕する実力がある。

 才能やコネで成り上がった者とは違う、弛まぬ努力と野心が生み出した研磨された肉体と洗練された魔法。


「……相手が陰魔法を宿しているのなら、もはやこの世界で対抗できるのは光の巫女であるあなたを置いて他にいません」


 陰魔法の脅威は、『瘴気』と呼ばれる精神系を侵食する能力があることだ。

 大抵の人間は彼の前では数分すら正気を保っていられない。

 意識を失うか、深い眠りに落ちるか、発狂して自我を失うか、運が悪ければ死だってありうる。


 その『瘴気』の効果を一切受けないのは、光の巫女だけだ。


「私に……戦えって言うの?」

「はい」

「それが光の巫女の使命だって言うの?」

「はい」

「それは私が背負うべきなの?」

「……はい」


 拳に力が入る。

 今まで封じ込めていた感情が堰を切って溢れ出す。


「もううんざりなのよ!」


 私は心の底から叫び、怒りに任せて光の弾を放った。

 それらはミレイの頬をかすめ、私の部屋を破壊する。

 私を閉じ込める鳥籠、光の巫女という使命の象徴を。


 皆は私が突然に壊れたと思うだろう。――だけど、そうじゃない。

 私はずっと壊れていた。あの日からずっと。


「私は国家魔術師になんかなりたくなかった! 彼の隣にいられればそれで良かったのよ! 人なんて殺したくなかった! 魔術師からの羨望も、国民からの賞賛も欲しくなかった! 光の巫女としての使命も、伯爵家としてのしきたりも、もうどうだっていい! 私は……普通の女の子になりたかった!」


 言ってしまった。

 ミレイとは言え、隠し続けた心の声を。

 この役目は、世界を正しく導く意志を持つ人が与えられるべきだった。


「……知っております。あなたが本当は誰よりも心優しく、戦いを嫌っていらっしゃることは」


 何を知っているのか――そう意地悪に言おうとして、口を噤む。

 ミレイは苦痛に歪んだ表情をして、今にも泣き出しそうだったからだ。


「……どうして、ミレイが泣くの?」

「泣いてません。悔しいんです。私の恩人が、大好きな御方が、目の前で苦しんでいるのに、辛い使命を押し付けることしかできないことが」


 ミレイは泣かない。私の方が辛いと思っているから。

 それに比べて、私はなんだ。誰かの痛みを想像したことがあるのか。


 誰かが私のために苦しんでくれるなんて、考えたことがあっただろうか。


「私は無力です。あなたの苦しみを肩代わりすることはできません。ですが、いつまでもお傍にいて支え続けます。だから、だから――」

「分かったわ、ミレイ。貴方の思いは痛いほど分かったから」


 私はいじけるのをやめ、前を向き直す。

 一人じゃなかったんだ。

 私は今まで、自分は孤独な存在だと思っていた。

 でも、違った。ちゃんと見てくれている人がいた。


 なら、私はもう大丈夫だ。

 今はミレイのために戦えばいい。


「じゃあ、行ってくるわね。ミレイ」


 私は窓を開け放ち、縁に立って月を眺める。


「これは巫女様ではなく、アイシャ様に申し上げます。あなたが心の底からこの役目から開放されることを願うのなら、私は全力で手助けします」

「ありがと…………もし私が死んだら、後はよろしくね」


 そうとだけ言い残し、私は窓辺から飛び立つ。

 あれ以上、ミレイの辛そうな顔を見ていられなかった。


 光の翼で夜空を滑空する。

 迷いがあるのか、最速に達することはなかった。

 正直、まだ心の整理はついていないし、彼とは戦いたくはない。


 でも、彼の前に立つのなら意志が必要だ。


『俺は、国家魔術師となって正しい方法でこの国変える』


 そうだ。彼の夢はそうだった。

 しかし、彼は盗賊となり誰かを傷つけている。

 それは本当に『正しい方法』と言えるのだろうか。


 いや、陰魔法を持ってしまった以上、最早彼は人々を正しく導く光にはなれない。


 ならば、私は彼を止めよう。

 真の意味で咎人となる前に殺すのだ。


 意志が纏まった瞬間から、私は光の如く夜空を突き抜け、目的地へと辿り着いた。


 事件発生からすでに30分近く経過している。

 国家魔術師がとっくの前に到着しているのなら、影狼団は撤退したあとかもしれない。


 そんな中、地上に数名の国家魔術師が倒れているのを発見した。


 ……大丈夫、息はある。出血もほとんどない。

 しかし、悪夢に魘されているようだ。

 多分、陰魔法が発する『瘴気』にあてられたのだろう。


「……巫女、様」

「すいません、到着が遅れました。もう大丈夫ですよ」


 私は上空に向けて信号を放った後、倒れている彼らに光魔法をかけた。

 通常の治癒魔術は、人体が本来持つ治癒力に働きかけ回復を促すものだから、瘴気という未知の力に対しては意味を成さない。


 でも、この様子じゃ彼は愚か影狼団の一人も発見できないだろう。

 ミレイに啖呵をきった手前、成果なしに戻るのは少し恥ずかしい。


 治癒部隊が到着したところで、私は彼らの瘴気を完全に払い終えた。


「さてと。私は戻りますか」


 と、落ち着いて飛空を始めると、そこが見覚えのある場所であることに気づいた。

 私が数年前まで通っていた魔術学校。

 楽しかった思い出と、苦い思い出とが錯綜する場所。


「……まさか」


 嫌な予感がして、私はある場所に向かった。

 彼との思い出が詰まった、あの修練場だ。


 もちろんこの時間まで残っている生徒などおらず、あたりは月明かりだけが差し込む暗闇に包まれていた。


 足音だけが木霊する静寂の中に、何か胸騒ぎを起こさせるような不気味さがある。


『――よお。遅かったな。いや、ここは素直に来てくれたことを喜ぶべきか』


 影の中から懐かしい声がした。

 私はさほど驚かなかった。

 心のどこかで、彼が待っていることを確信していたのだろう。


「久しぶりだね。グレイくん」

「そうだな。久しぶり」


 その時、私たちは本当の意味での再会を果たした。

 柔らかな物腰で話しかけると、彼は微笑んでそれに応えた。


「覚えてるか。お前と出会ったのもここだったよな」


 何を話そうか迷うまでもなく、彼が話題を振る。


「覚えてるよ。私が話しかけたんだよ。君とお近づきになりたかったから」

「そっか。……あの日、酷いこと言ったよな。俺を笑っていたなんて、お前がそんなやつじゃないことくらい分かっていたのに。――ずっと謝りたかったんだ。ごめん」


 彼はあの日の謝罪をする。

 私たちが決別した日のことだ。


「ううん。私の方こそごめんなさい。君から教わったこと、本当はできるのにできないフリしてた。魔術が上達したら、もう君に教えて貰えないかもって思ったから」

「いや、アイシャが謝る必要はないよ。教えていた相手が自分より格上の存在だって知って、勝手に裏切られた気になってた。お前の底なしの才能に嫉妬してたんだ。最低だよ、俺は」

「そんなことない! グレイくんは誰よりも努力してた。君には誰かの才能を羨む資格があった」


 才能を羨む資格だなんて、変な話かもしれない。

 でも、羨むことは別に悪じゃないと思うから。


「……もっと、早くに会えていたら。こんなことにはならなかったのかもな」

「まだやり直せるよ。盗賊なんかやめて、私と一緒に逃げよ」

「無理だ。あいつらを見捨てられない。今、俺がいなくなればあいつらは道を失う。捕えられたら、間違いなく死刑だ」


 だから、彼は盗賊をやめられない。

 自身の作った影狼団が、逆に自身を縛っているんだ。


「それにもうダメなんだ。俺は悪魔に魂を売った。頭の中で俺の声でこう言うんだ――『幸せなやつらを皆殺しにしろ』って」


 陰魔法は一種の寄生生物のようなものだ。

 憎悪や絶望や嫉妬や、人間の負の感情に巣食い大きくなる。

 そしてより大きな負の感情を欲する。


「違う。俺はみんなを救いたいんだ。人を殺したいわけじゃない。……なのに、俺らの税で肥太った既得権益に帰省したクズ共を見ると反吐が出る。何も知らずにのうのうと生きてるやつを見ると、無性に殺したくなるんだ」


 彼は頭を抑え苦しそうに藻掻いた。

 きっと抗っているんだ。

 陰魔法が脳に植え付ける憎悪という寄生虫に。


「どうして陰魔法なんかに手を出したの?」

「……本当に偶然だったんだ。俺が帰った時にはすでに母さんは息絶えていた。どっかの飢えに飢えた奴が、とち狂って母さんを殺したんだ。だから俺は、母さんを火葬したかった。貧民街では墓荒らしが横行してたし、あの家に他の奴らが住み着くのも嫌だったしな。……でも、母さんが炎に呑まれる光景を見て、罪悪感に耐えられなくなって、自分で腕を焼いたんだ」


 血縁を炎にくべ、自らを傷つけ血を流す。

 そして、人格を塗り替えるほどの憎悪と怒り。

 期せずして、陰魔法の儀式が成立してしまった。


「なんでだ。なんで母さんは死ななきゃいけなかった! 俺、怒られたことも無くて、すげえ優しかったんだ! 俺に食べさせるために雨水を飲んで凌いでさ、寒い夜は抱きしめてくれた。そんな優しい人が、なんで生きられない!? 貧乏人は生きちゃいけないのか!?」


 心の奥底からの嘆きに、大気が震える。

 黒い陰が彼を纏うように立ち込める。

 私でなければ一瞬で気を失うほどの瘴気。


「やっぱり許せねぇ……幸せなやつは皆殺しにする!」

「そうだね。君のお母様もそう思ってるよ」

「…………母さんが、そんなこと願ってるはずねぇだろォが!!」


 彼の黒い双眸から滂沱の涙が流れる。

 彼だって気づいてるはずなんだ。

 それが偽りの憎悪であることに。


「母さんは死ぬまで俺の幸せを願ってくれた。今だってそれは変わらねぇ。分かってんだよ……そんなことは!」


 更に瘴気が濃く、立ち込める陰が多くなる。

 今、彼の脳内には膨大な命令が刻まれている。

 『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』――と。


「……来い。――黒刀・夢幻幸(むげんこう)」


 陰が一箇所に集まり剣を形成する。

 今までの陰魔法の使い手に、魔法で作った得物で戦っていたものはいなかった。

 彼が生み出した、彼だけの魔法。


「アイシャ……頼む。死んでくれ」

「…………うん」


 良かった。大丈夫よ、ミレイ。

 私は戦える。戦うための意志がある。


「来て――グローリーロッド」


 私は愛用の杖を取りだす。

 私は今から、彼を殺す。


 彼は影に落ち、私は光に奉られた。

 でも、世界が私たちを歪めたのではない。

 私たちは互いに互いを歪めたのだ。

 君は私を歪め、私は君を歪めてしまった。だから――


「君は――私が止める」

「お前は――俺が倒す」


 私は光を全身に纏い、彼は陰を黒刀に纏わせる。

 そして――交わることのない光と陰は衝突した。

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