第2話、『英雄と咎人』

 あれから数年が経ち、私は光の巫女として国家魔術師になった。


 学校では学年二位を寄せ付けない圧倒的な成績を残した。

 国家魔術師の中でもトップ。そして世界最強の魔術師に上り詰めた。


 彼がいなくなってから私の人生はモノクロで、虚無感に苛まれながら生きてきた。


 結局、私は鳥籠の中から出られなかった。

 言われるがまま国家魔術師として凶悪犯罪者を狩り、正義の象徴、犯罪の抑止力として、国民に崇められている。


 一方で無慈悲に人を殺す様から『冷徹の魔女』とも呼ばれているらしい。

 数百人規模の犯罪組織を一夜にして皆殺しにしたことからその異名がついた。

 さすがに印象が悪いため国家が隠蔽したが。


 いつからだろう。人を殺すのに躊躇わなくなったのは。

 いつからだろう。人を殺しても罪悪感を覚えなくなったのは。

 いつからだろう。賞賛も羨望の眼差しも嬉しくなくなったのは。


 涙は枯れ果て、なにも感じなくなった。


 もうどうでもいいのだ。

 他人の命も、私自身の命にも興味はない。

 私は使命に従うだけだ。今までもそうだった。


 今ここにいるのは『光の巫女』であり『正義の象徴』であり『冷徹の魔女』である。


「……はあ」


 私は宮廷の中に設置された光の巫女様専用の部屋で、自由に空を飛ぶ鳥を眺めながらため息をついた。


 この部屋は私を拘束する鳥籠だ。


 大抵の特殊犯罪には国家魔術師が対処してしまうので、私が駆り出されるような凶悪犯罪は中々起こらない。

 かと言って、顔が知れ渡りすぎて街へ遊びに出かけることもままならない。


「退屈。何か面白いことしなさい、ミレイ」

「……あの、お言葉ですがアイシャ様。私は傍付きであって、大道芸人ではありませんし、あなたの退屈しのぎに付き合うほど暇でもありません」

「なら、その仕事を私に課しなさいよ」


 私が唯一素で話せるのは傍付きのミレイくらいなものだ。

 彼女は私のことを『アイシャ様』と本名で呼ぶ数少ない人物だし、意外とはっきりと物を言うタイプで、自分で言うものなんだが私に恐れず遠慮もしない。


「アイシャ様には光の巫女としての自覚が足りません。光の巫女とは1000年前に世界を救った英雄であり、人々はその存在を神格化し――」

「はいはい。言われなくても分かってますよーっと」


 ミレイのお説教が始まる前に言葉を遮る。

 ベッドの上でゴロゴロとすると、「それのどこが分かってるのですか」という不満げな眼差しを向けられる。


「私が暇ってことは、世界が平和ってことでしょ」


 平和……か。今もどこかで人が死に、人が飢え、人を殺し、人同士が争い、人が悲しみ、苦しんでいると言うのに、平和とは、我ながらお花畑な考え方だ。


 その証拠に、この国は貧民街を煙たがっている。

 臭いものに蓋をするように、貧民街での諍いはノータッチだ。



 ――しかし、意外にも自己満足の『平和』は続かなかった。

 


「おめでとうございます、アイシャ様。出動要請がありました」

「おめでとうだなんて不謹慎よ!」

「……そう思うなら、その笑顔を引っ込めてくださいよ」


 ミレイが軽くつっこみを入れ、咳払いを一つ。


「公爵家が盗賊団に襲われました」

「……あのね、ミレイ。自分でいうのもあれだけど、私は光の巫女なのよ。たかだか盗賊団くらい、国家魔術師が数人いれば」

「盗賊団は『陰狼(かげろう)団』を名乗っていて、その規模は精々百人程度で、手練のものは少ないので取るにたりません」


 ミレイは私に構わず説明を施すが、やはり私が駆り出される理由が分からない。


「なら……」

「しかし先日、向かった三人の国家魔術師がたった一人にやられました」


 国家魔術師は、この国のトップクラスの魔術師が揃った精鋭軍だ。

 それを三人同時に相手取るだなんて、只者では無いことは確かだ。


「分かりました。私が向かいしょう」


 私は即座に『光の巫女』モードに切り替える。


「では直ぐに準備を」

「必要ありません。一分一秒が惜しいので」


 私はそう言って窓を開け放ち飛び降りる。


「え、ちょっ…………全く。本当にあの人は、こういう時だけはかっこいいんですから。――お気をつけて。巫女様」


 私は背中に光の翼を生やしてはためかす。

 鳥籠の人生の私が翼で空を飛ぶなんて、皮肉なものだ。


 私は夜空に佇む孤高の月を背景に、夜の王都を滑空した。



 ~~~



「とっととずらかるぞ。早くしねぇと国家魔術師が来ちまう」


 一方、盗賊団は金品を強奪し、撤退しようとしていた。

 盗んだいくつかの宝物をぶら下げ、月にかざしてニヤリと笑む。


「そう焦るなよ、リーダーの結界があるし、国家魔術師だってリーダーにかかりゃ一網打尽だって! ナハハハハッ!」

「そっか。公爵家だってこんな簡単に侵入できたんだし、もしかして俺たち『影狼団』って最強? ダハハハハッ!」


 警備のものたちは『リーダー』の奇怪な力によって眠らされ、辺りには不可視の結界が張られていた。

 通信器具の発達により感知されたが、本来地上からでは異変に気づけない。


「随分と楽しそうですね」


 地上からでは、の話だ。

 盗賊たちが天空より降り注ぐ声音を聞いた時、誰も高速で近づいてくる光の巫女の存在には気づいてはいなかった。


 銀髪に月光が反射して煌めいている。

 翼をはためかせ空に浮かぶ様は、まさに天使か女神かと見まごうほどの美しさだ。


「……う、嘘だろ。なんで光の巫女が出てくんだよ」

「さっきまでの威勢はどうしましたか?」

「わ、割に合わねぇよ!」


 盗賊は光の巫女と対峙して、盗品を捨てて逃げ出した。

 勝ち目などないことは子供連中でも知っている。


「あらら。そんなに焦らなくてもいいですよ。――大魔法『ホーリーメテオ』」


 光の巫女は盗賊の数を目視で数え、手を振りあげると、夜空に無数の光の剣が出現した。

 これこそ、光の巫女が最も得意としている広範囲かつ殺傷能力の高い必殺技――まさに、必ず殺す技だ。


「公爵家に忍び込んだのならどうせ死刑ですし、せめて痛みなく死ねるように動かないでくださいね」


 そう慈悲深く忠告すると、手を振り下ろす。

 すると無数の光の剣が雨の如く降り注いだ。


「――――」


 いつもそれで終わる。

 しかし、手応えがまるでない。


 土埃が晴れると、そこに黒い障壁が広がっていた。

 それが、一本一本は威力の小さい剣の雨を防いでいた。


「――あまり弱い者いじめはしてくれるな」


 低く落ち着いた青年の声が、その場を一瞬で支配した。



 ~~~



 弱い者いじめとは、武装した盗賊団がよく言うものだ。

 そんなことより……その声にはどこか聞き覚えがあるような気がする。


 盗賊団の先頭に立ち、剣の雨を受け止めたその男は、貫禄すら感じさせるぼろぼろ外套を纏い、フードを深く被り顔を隠している。


 しかし、顔の下半分からでも意外と若く、10代20代であることは分かる。


「貴方が盗賊団のリーダーですね?」

「そうだ。『影狼団』は俺が作った。ぶくぶくと豚のように肥えた貴族どもの腸から、財を引きずり出すためにな」


 私が語りかけると、青年は淡々と返答する。

 光の巫女を前にして平然としているとは、感心する胆力だ。


「気持ちは分からなくもないですが、見逃す訳にはいかないので殺します」


 私が杖を向けると、その青年は怯えることなく佇んだ。


 にしても、さっきの黒い障壁はなんだろうか。

 魔術とは本来、大気中のマナに干渉して、炎や水や風や土や雷といった自然現象を魔力によって引き起こすものだ。


 影のような黒いモヤの具現化……まさか、陰魔法――。


 それは、光の魔法と対を成す『厄災』とも呼ばれる力。

 陰魔法は光魔法とは違い、儀式によって作為的に宿るものだ。

 血縁を炎にくべ、自傷行為をして、人格を塗り替えるほどの憎悪や絶望を依代として生み出される力。


 そもそも、光魔法というのは陰魔法に対抗するために生み出され、代々王家の血筋に受け継がれてきた力だ。

 しかし時を経てその血は薄くなり、王家以外にも混入し、光魔法はやがて受け継がれなくなった。


 光の巫女が誕生する間隔は、100年、300年、700年と、次第に広がっていき、次は1000年後になるだろうと言われていた。


 私には、その僅かな血から光魔法を発現させる素質があっただけのこと。


 まさか、生きてる間に忌まわしき陰魔法に触れるとは。

 光魔法と陰魔法が衝突するのは、それこそ10何千年ぶりだろうか。


 陰魔法を根絶させるのは人々の永遠の願い。――そして、光の巫女の使命。


「他の盗賊さん達はともかく、あなたにはここで死んでもらいます。禁忌に触れた大罪人として」


 それに、個人的にこいつは気に食わない。

 こいつの声を聞く度、胸が妙にざわめく。

 不快だ。嫌な過去を思い出させる。


「いや、見逃してもらうよ。今日まだその日じゃない」

「私が見逃すとでも?」

「ああ、お前は見逃すよ。必ずな」


 そいつは根拠もない戯言を真実のように吐き捨てる。


「一体何を言って――」

「忘れたのか? 薄情なやつだな」


 そいつはそう静かに呟き、深く被ったフードを脱いだ。

 私はその青年の顔を見て、世界が静止する感覚におちいった。

 何かが全身に重くのしかかり、呼吸が乱れた。


 忘れるはずがない。見間違えるはずもない。

 彼だ。――グレイくんだ。


「国家魔術師になったんだな。当たり前か、光の巫女だもんな」

「…………」

「地位も権力も才能も羨望もすべて手に入れたお前が、家族も住む場所も食うものも明日を生きれる確証すらない俺たちから、命すら奪うのか。――そんなのは、残酷だとは思わないか?」


 私は声がでなかった。

 彼の言葉を咀嚼できないほど思考が停止している。

 そんな私を見て、彼は怪訝そうな視線を向ける。


「……それにお前は、本当にアイシャなのか?」

「…………ぇ」

「俺の知るアイシャは、優しくて誰に対して慈悲深かった。それに噂じゃ、光の巫女は冷徹に罪人を裁いていたと聞く。――今のお前は、まるで殺しを楽しんでいる悪魔だ」


 そう言われてハッとする。

 私が殺しを楽しんでいた? そんな馬鹿なことあるはずが無い。



「…………変わっちまったな、お互い」



 彼は寂しげな目で呟いた。

 そして再びフードを深く被ると、陰魔法で煙幕を張り、最後に私を一瞥して去っていった。

 金縛りにあったように、暫く私は動くことすらできなかった。

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