第6話 アオの記憶
(逃げなくちゃ、逃げなくちゃ。僕はあたたかいに触れてはいけないから…)
靴も履かずに赤城家を飛び出したアオは、ビルの合間に落ちていく夕陽を見ながら泣いてた。
ものごごろつく前から地下に閉じ込められていたアオだったが、赤城邸から新宿を目指せる自分が悲しかった。
(僕が触れたら、あたたかいは消えてしまうから…)
アオの一番最初の記憶は曖昧だった。けれど体が少しずつ大きくなるたびに悲しさと後悔が募っていった。
アオの一番最初の記憶。優しく温かな女の人に抱えられている記憶。そしてその時願ってしまったこと。「この温かさの全てが欲しい」
すると次の瞬間、温かな記憶は無くなり冷たい冷たい箱の中の記憶になる。
そして教えられたことは「人のストレスを奪え」ということ。それができなければお前の命に価値は無いと言われ続けたこと。
けれどアオを苦しめたのは、冷たい箱でも奴隷のような生活でも無かった。
アオを苦しめたのは「自分の中に見たことも聞いたこともない記憶が山のようにあること」だった。
体が大きくなるにつれ、アオは自分に「触れたものから欲しいと思ったものを奪える力」があるのだと理解した。そして絶望した。
自分の中にある「見たことも聞いたこともない記憶」は、一番最初に自分を抱きしめてくれた人から「奪った」ものなのではないだろうか。
もしもそうだとしたら、自分はなんて罪深い人間なのだろうか。
一番最初に愛してくれた母親から、記憶の全てを奪ってしまったんだろうか…
他人のストレスを奪う仕事をするうち、そのストレスの中身がアオの心を襲ったが、アオはそんな心の痛みなど耐えて当然だと思うようになっていた。
きっとこれは一番愛してくれた人から全てを奪った罰。
…だから他人からストレスを奪い続ければいつか自分は許されるのでは無いのだろうか…いや、許されることなんて願っちゃいけない。僕はこの箱の中で、全ての人のストレスを奪い続ける。それだけの為に生きている。この命は全て償いのために使い果たすんだ…
そう思っていたのに。
アオは立ち止まり、自らの胸を掴んだ。
胃の奥底から突き上げてくるような吐き気がした。
「…だめだ…。堪えろ」
アオは深く息をして、吐き気に耐えた。
自分の中に溜まったドス黒いものたちが溢れた時、世界がどうなるのかは身をもって体験した。溢れた権化たちが人を襲い、人を飲み込み、強大な権化になっていく…。
「僕は、もう何も奪えないんだ…」
アオは吐き気と悲しみに耐えながらよろよろとした足取りで歌舞伎町に向かった。
(ストレスを奪えなくなった僕はもう、生きている意味はない)
アオは雑居ビル地下の箱を目指していた。
あの箱の中に戻って、誰にも見つからず、その生涯を終えることが世界のために自分が出来る最期で最良の手段だと思っていた。
よろよろとするアオに一人の男がぶつかった。
「ってーな!ボゲっとしてんじゃねぇぞガキ!」
アオは男の顔を見上げた。その瞬間アオの口からドロドロとした漆黒の液体が流れ出した。
「うわ!なんだよきったねーな!」
男は悪態をついて足早にアオの前から去っていった。
その時アオは自分の間違いに気づいた。
「力が…制御できてない…」
アオは男からぶつけられたストレスをほぼ無意識に奪っていた。それ故はみ出したストレスの権化が口から溢れ出したんだとわかった。
(逃げなきゃ…。誰もいないところ。誰からも何も奪わないところへ…)
アオは手のひらで口を抑えながら歩いた。
けれど、日の沈んだ歌舞伎町には人が溢れるように歩いていた…。
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