第4話 あったかい場所



「もう、お兄ちゃんってば!友達連れてくるなら先に言ってっていつも言ってるでしょ?」


オレンジ色のシャツに白いエプロンをつけた少女は、帰宅した赤城周に向かって唇を尖らせていた。


「すまんすまん。急だったもんだからさ」

「もう、いっつもそれじゃない」

「すまんな花音。こいつはアオ、なんか飯食わしてやってくれるか?」


周は隣にいる少年を指して、少女に頭を下げた。


「ヤダ何めっちゃ痩せてるー!この子めっちゃ痩せてるー!!何お兄ちゃんの友達にこんな痩せてる子いたの?」

「ああ」

「もう、もっと早く連れてきてよ!私のご飯いっぱい食べさせてあげるんだから」

「ははは」


白エプロンの少女は高く括った黒髪を揺らして台所へと向かって行った。


「今のが俺の妹、赤城花音。花音ちゃんってよんでやってくれよ。あいつも喜ぶ」


周はアオに向かってほほ笑んだ。

困ったような視線を周へと向けるアオの足元に、ふわふわの白い塊がすり寄ってきた。


「わ…」

「ああ、こいつはライオン」

「ライオン?…猫?」

「ああ、名前がライオン。花音がつけた」


毛足の長い白いもふもふを周は抱え上げた。


「よーす、ライオンただいま。こっちはアオだよろしくな」


周は抱えたライオンをアオに近づけた。

ライオンはふすふすと鼻を鳴らしてアオの匂いを嗅ぎ、ヘブシッと勢いよくくしゃみをした。


「わはははは!とりあえず風呂入ろうぜ。それから花音の飯だ」


抱きかかえていたライオンを床へと降ろす周の背に、アオは小さく声をかけた。


「あの…」

「ん?」

「…あの…。僕に触らないでもらえますか」

「なんで?」


膝を曲げてアオの視線上にやってくる周に、アオは唇を噛んだ。


「なんででも、です」

「そうか。嫌か?」

「いいえ!」


眉を下げる周にアオは少し大きな声を出した。


「あ、すみません…」

「悪いこと言ってるわけじゃないんだから謝る必要ないさ」

「僕は…」


アオは細い自分の右腕を左手で抱えるようにぎゅっと握った。


「僕は、あなたから大事なものを奪うかもしれないから…」


奥歯を噛むアオに、周はそっと笑いかけた。


「そうか、アオは優しいな」

「…え?」

「アオは出会ったばっかりの俺のことを大事に思ってくれてる。俺から大事なものを奪いたくないって思ってくれてる。それって優しいだろ」

「…僕が、優しい?」


まばたきを繰り返すアオを見て周は笑った。廊下に置かれたチェストから大きなバスタオルを取り出してアオを包んだ。


「そ、アオは優しい。だから大丈夫」


バスタオルからひょっこり顔を出すアオに向かって、周はニッカリとほほ笑んだ。


「俺や花音や真名課のみんなから、優しさを受け取っていいんだぜ。アオは優しくされていいんだ」


周の言葉にアオの大きな瞳に涙が浮かんだ。周はバスタオル越しにアオの頭をワシワシと撫でて、風呂場を指差した。


「よし、風呂だ!行こうぜアオ」

「え?」

「俺とにかく風呂大好きでさ。風呂はデカいに越したことないって思ってるんだ。見てくれよ」


周は心底嬉しそうに風呂場の扉を開き、浴室の扉も開いた。

そこにはまるで銭湯の大浴場のような空間が広がっていた。


「特注したんだ!」

「え、あ、はい…」

「アオ、下駄箱何番にする?」

「下駄箱?」


周はにこにこと木で出来たロッカーを指差した。


「そ、スリッパ入れとくの。何番にする?」

「その…」

「俺いつも1番に入れてるんだ。赤城周のイニシャルはA.A。出席番号も大体1番。だからお気に入り番号は1番なんだ〜。あ、でもアオになら1番譲ってやってもいいぜ。赤城周よりアオのが先だ。俺より一番にふさわしい男だもんな〜」

「え?」

「あ、別に1番じゃなくてもいいんだぜ?あーでも七番は使えない。七黄専用になってて下駄箱の鍵もあいつが持ってるんだ。あ、二番も使えないな。馨が勝手に「家主の周に免じて一番は譲ってしんぜよう。その代わり二番をこの花斑馨の名の下にK番とするよ」とか言って、張り替えちまったんだよなぁ」

「はぁ」

「お兄ちゃん!」


自慢の風呂場の前で饒舌に語る周の背中に、花音が怒りの声をかけた。


「アオくん困ってるでしょ!」

「お、そか?すまんすまん」

「もうご飯できるから、さっさとお風呂入ってきて」

「おお、ありがとうな」


威勢のいい花音の声に押されるように、周は自分とアオのスリッパを二つとも下駄箱の一番に入れて進んだ。


「よっしゃ!風呂だ風呂だ〜!」


周は着ていたパーカーや短パンをさささささ〜と脱いで


「おう、先行ってるわ!ゆっくりでもいいからこいよ」


と言葉を残して、浴室へと向かっていった。

残されたアオは戸惑いながらも、そっと服を脱いで周を追いかけた。




「風呂上がり牛乳作法、第一!」


ほこほこと頭から湯気を発する周は、冷蔵庫から瓶牛乳を二本掴んで取りだし、一本アオに渡した。


「胸を張って、左手は腰!右手の角度は90度!自然の恵みに感謝して、一気に飲み干す!」


ゴッゴッゴと音を立てて牛乳を飲み干す周を、アオはじっと見つめていた。


「くはぁ〜!最高だぜ〜。アオもどうだ?」

「お兄ちゃん」


冷蔵庫前に立つ周に、花音はため息混じりに話しかけた。


「お兄ちゃんみたいに体のおっきな人はいいけど、アオくんに瓶牛乳一気飲みなんか強要しないの!」

「え〜。アオにも風呂上がり瓶牛乳の良さをわかってもらいたくてぇ」

「このあと花音の美味しいご飯だよ?アオくんが食べられなくなったらかわいそうだと思わない?」

「思う!」

「よろしい」


ピッと背筋を正す周に向かってうなづいたあと、花音はふわりとした笑顔をアオに向けた。


「お兄ちゃんがアホでごめんね。悪気はないの。許してくれる?」

「あ、その…」


アオはじっと花音の顔を見つめた。心配そうな花音と、その奥に手のひらを合わせて謝っている周が見えた。アオは片手を腰に当てて持っていた瓶牛乳をゴクゴクと飲んだ。


「アオ?」


体の小さなアオは、途中息継ぎを挟んだが、何度かの息継ぎのあと瓶牛乳を飲み干した。


「…あのっ」


飲み干した瓶から口を離し、アオは声を発した。


「う、嬉しかった、です。お風呂も、牛乳も」

「そう」


花音はにっこりと笑ってエプロンからハンカチを取り出すと、真っ白になったアオの口元を拭いてやった。


「お兄ちゃんに付き合ってくれてありがとう」

「アオ〜、お前は何ていい奴なんだ〜」


周はアオをぎゅっと抱きしめた。アオの痩けた頬に向かって頬擦りをする。


「あ、あの…」

「お兄ちゃん!」


花音は愛情表現が激しめの兄に眉根を寄せた。


「ご飯」

「おぉそうだった!アオ、飯だ飯だ!」


大きな体を飛び跳ねさせるようにして、周はリビングに向かった。


「もう、本当にアホなお兄ちゃんで…」


花音がそう言ってアオを見た時、アオの瞳には涙が浮かんでいた。


「ど、どうしたの?」


慌てる花音を見て、アオは自分が泣いているのだと気がつき、大急ぎで涙を拭った。


「何かあった?お兄ちゃんがアホすぎて嫌になった?」

「…いえ」


アオは小さく頭を横に振った。


「…あったかいから」

「え?」

「とても、あったかいから。」


拭ったはずの涙が、再び溢れてアオの頬を濡らした。


「あの人の横は、ここは、あったかい。あったかいから…」


言葉と涙をポロポロと零すアオに、花音は膝を折り曲げ視線を合わせた。


「そう、よかったね。お兄ちゃんもアオくんがそばにいてくれて嬉しいみたいよ。」


花音の言葉にアオはパチパチとまばたきをした。


「そんなこと…あるんでしょうか」

「あるわよ!普段からアホなお兄ちゃんだけど、今日は特にめちゃくちゃだもの。アオくんが居て嬉しいのよ」


花音はにっこり笑ってアオの頭を撫でた。

赤城兄妹の温かさにアオの涙は止まらなかった。


「あーーー!何アオ泣かせてるんだよ花音」


リビングへと続く扉から、周が頬を膨らませながらやってきた。


「花音が泣かせたんじゃないのっ!お兄ちゃんが色々と雑だから、花音がアオくんの話を聞いてるのっ!」

「えー。俺もアオの話聞きたいー。花音だけずるいー」

「もう」


子供のような周にため息をつく花音を見て、アオは少し笑った。

それを見た周も花音も声を出して笑った。


その時、


ピンポーンと赤城家のインターフォンが鳴った。


「あら?こんな時間に誰かしら」

「俺がいくよ。多分俺への客だ」


周は花音に笑いかけると、玄関に向かって歩き始めた。


「悪いけどアオをリビングに連れていってやっててくれ。先に飯食ってていいから」

「え?」

「大丈夫。すぐ戻るよ」


ニッとほほ笑んだ周の表情に、花音はこくりとうなづいた。


「アオくん、ポーチドエッグって知ってる?花音の得意料理の一つなんだけどね…」


花音はアオに話しかけながら、そっとリビングへと導いていった。

アオは不安そうな顔で周を見ていたが、花音に誘われるようにリビングへと歩みを進めて行った。


「うっし!」


周は背伸びをすると、インターフォンには出ずに直接玄関扉を開いた。


「はろ〜。こんな時間に何の用?くらもっちゃん」


赤城家の玄関前に居たのは倉本だった。

インターフォンに応答があるだろうと思っていた倉本は、急に玄関扉が開いたことに一瞬驚いたようだったが、一つ咳払いをした後に周に厳しい視線を向けた。


「お前が事件の重要参考人を誘拐したんじゃないかと思って来た」

「え。何の話?」

「とぼけるなよ、というかとぼける意味あるか?俺の目の前でお前「迎えにいく」って言ってたじゃないか」

「うん、言ったね」


ぱちぱちとまばたきをして話を肯定する周に、倉本は奥歯を噛んだ。


「事件のことをほとんど知らなかった俺は、あの時お前が言ってる意味がわからなかった。けど署に戻って事件の調書を見たら、お前は事件のあった雑居ビルから見つかった少年を病院から連れ出したという話じゃないか」


語気の強まる倉本とは対照的に、周はコテンと首を傾げた。


「んー。身寄りのわからない事件の被害者を「真名課」の刑事である俺が保護してるだけだよ。真名課は特殊だから、ちゃんと書類の提出さえすれば俺がやってることに問題は無い。ま、書類関係は総司郎にぶん投げちゃったわけだけど」


そう言って周はクククと笑った。


「明日総司郎にはうまいもん奢んないとなぁ」

「…被害者じゃないだろう?」


倉本はじっと周を見つめた。

周の表情は曇ることなくキョトンとしていて、その顔に倉本は眉根をぎゅうっと寄せた。


「…お前が連れ去った少年は事件の「被害者」じゃない。権化を産み出していた者、つまり「被疑者」事件の「最重要容疑者」なんだろ!?」


眉間に深く皺を刻み、倉本は周に詰め寄った。


「違うよ。アオは被害者」


倉本の主張に全く怯むことなく、周は凛とした声を発した。


「アオは事件の被害者だ。僕が守るよ」

「違う!あいつは加害者!権化を産み出し、人を飲み込み、ミイラのようにして殺した極悪人だ!」

「やめて。憶測でアオを傷つけないで」

「お前こそ憶測で被害者だって決めつけて、守ってやってるようなふりをして!自分が良いやつだって思われたいんだろうが!この偽善者め」

「うーん。何でそうなるかなぁ?」

「俺は刑事だ!お前の様な適当な人間に厳罰を下す人間なんだ!!」


そう言い放った倉本の顔にザワザワと黒い羽虫のようなものが浮き上がった。周はハッとして倉本に手を差し出した。


「ダメだくらもっちゃん!それ以上嫌いな事に目を向けちゃいけない」

「うるさい!お前のような適当な人間なんか大嫌いだ。同じ刑事だなんて虫唾が走る」


声を荒らげる倉本の全身に羽虫が蠢き始めた。


「そっちに目を向けちゃダメなんだって!くらもっちゃんの心を傷つけてるのは、本当はくらもっちゃん自身なんだって!」

「うるさい!うるさい!うるさい!誰がくらもっちゃんだ…ああああああああ」


地鳴りのような声で叫んだ倉本の胸からドクドクと脈打つ黒い塊がボトリと落ちた。それを合図にしたかのように、落ちた塊に向かい倉本の全身から羽虫が一斉に飛び出す。

数瞬の後、黒い塊を中核にしてギギッ、ギギッと鳴くコオロギのような虫が現れた。


「くそっ!」


周は虫にチラリと視線をやったが、目の前にいた倉本が白目を剥いて倒れ込んで来たので、その体を支えた。


「くらもっちゃん聞こえる?俺の声!くらもっちゃん!くらもっちゃん!」

「うう、ううううう…」


小さく唸るようにしている倉本の耳元に周は声をかけ続けた。


「大丈夫だよ。言ったろう?もしもくらもっちゃんが権化を産んでしまうことがあっても、俺がいるから大丈夫だって、そう言ったろう?」


周の声が聞こえているのか、白く剥かれた倉本の目から涙が溢れていた。


「苦しいね、苦しいね。でも大丈夫だから。俺が、真名課のみんなが居るからね」


周は倉本を支えながら、倉本から産まれた虫に目をやった。産まれたばかりの虫はギギギ、ギギギィと小さく鳴いていた。


「大丈夫だからな」


周がそう言ったのを聞いて、虫はギィギイと悲しい音で鳴き始めた。

倉本を支えながら周が虫に手を伸ばそうとした時、ととと、と廊下を歩く音がして、周の後ろに人の気配がした。


「花音?」


そう発した時、人の気配は周の横をすり抜けていった。


「…アオ!?」


周の横を通ったのはアオだった。

アオはちらりと周を見上げると、きゅっと唇を噛んで、ギィギィと鳴いている権化に向かい、手をあてた。


「…【だつ】の真名の元に力を行使します。「生奪」」


その瞬間、虫は鳴くのをやめ小さな黒い塊になると、砂になって消えた。


「…アオ?」


権化が消えた瞬間、支えていた倉本がドシッとさらに重くなった。おそらく気を失ったのだろう。


「お前が助けてくれたんだな。ありがとう」


倉本を支えながら周はアオの小さな背中に柔らかな声をかけた。だがアオは振り返らなかった。


「お兄ちゃん電話よー」


玄関奥から花音の声が響いた。


「七黄さんからだから何か事件じゃ…って、何?!その人大丈夫?!」


周の支えている倉本を見て、花音は大きな声を上げた。


「ああ、すまんが花音、くらもっちゃんの手当て頼む」

「え、ああ。構わないけど…。とりあえずリビングまで運んでくれる?」

「おう」


周は体を反転させ、倉本を背負うとリビングに向かって歩き出した。


「わりぃな花音。アオはもう飯食ったか?」

「まだだよ。アオくん、お兄ちゃんが来るまで待ちたいって言って何にも食べずに待ってたんだから」

「おお、そうか。そりゃ悪かったな。くらもっちゃん置いたら飯にしような」

「…そんな感じで大丈夫なの?そのくらもっちゃんって人…。病院とかいったほうがいいんじゃないの?」

「いや、今日病院から退院したばっかなんだよ。もう一回病院送りも可哀想だろ?飯うまくないしよ」

「ああ、お兄ちゃん病院のご飯嫌だって散々言ってたもんね」

「花音の飯がいい。多分くらもっちゃんだってそうだよ。花音の飯食ってたら体だけじゃなくて心が強くなるからな。」

「…褒めても何にも出ませんよ」

「本当に?」

「ポーチドエッグくらいしか」

「やったぜ!大好物!きっとアオも気にいるぜ?」


周はそう言ってリビングのソファに倉本を降ろすと振り返って玄関を見た。

そこにアオの姿はなかった。


「…アオ?」


周はバタバタと走り、先ほどアオの背中を見た玄関先にやってきたが何処にもアオの姿はなかった。


その時花音の手の中で周のスマートフォンがヴーヴーと鳴った。花音からスマートフォンを受け取ると、周の耳に七黄の声が届いた。


「周、お前俺の助言無視してあの少年連れ帰ったらしいな!」

「七黄」

「…どうした」


周の沈んだ声に七黄の声も神妙なものとなった。


「何があった」

「…アオが、出て行った。」

「はぁあ?!」


七黄の深く長いため息が周の耳に届いた。

周はぎゅっと奥歯を噛んだ。


「俺が悪かった。何度でも謝るし始末書も書く。ただ今は一刻も早くアオを探したい。七黄の力を貸してくれないか」

「わかった」


逼迫した周の声に、七黄は力強く言葉を返した。


「それからな、周」

「何?」

「事件のことを調べていてわかったことがある。アオという少年のことだ。あの子は…やはり「闇人間」だった」


七黄の言葉に周はぎゅっと眉根を寄せた。


「…時間が惜しいな。今家か?」

「ああ」

「わかった。これからすぐに向かう。馨と総司郎にも連絡しておくよ」

「ありがとう」

「…周」

「ん?」

「…大丈夫だ。俺たちがいる」


スマートフォンから溢れる七黄の声がとても柔らかいものに聞こえた。


「へへへ、いつもと逆だな。その言葉」

「別に俺が言って悪いってこともないだろう」

「そうだな。ありがとう七黄」

「ふん」


そう言って七黄からの着信は切られた。


「…大丈夫。俺たちが、いるから。」


周は胸の前でぎゅっと拳を握った。

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