第3話 心は何でできている
倉本悠貴が見たのは真っ白な天井だった。
「おお、気がついたとね」
その暖かな声に辺りを見回すと、神経質な程に白く統一された病室が目に入った。
「稲葉さん…?」
「ああよかった喋れるったいね。権化に飲み込まれた時はどげんなることか思ったばってん、思ったより元気そうで良かったたい」
ベッドの横でホッと安堵した様子を見せる稲葉を見ても、倉本はまだ状況が掴めなかった。
「僕は、どうして病院に…?」
「覚えとらんか?歌舞伎町の雑居ビルでミイラが出た事件」
その言葉にようやく倉本はハッとした。
「そうでした、僕は稲葉さんの命令を無視するようなことを…」
倉本は上半身を起こすと稲葉に向かって頭を下げた。
「申し訳ありませんでした!」
「そんな急に動いたらいかん」
稲葉の優しい声に倉本は今にも泣いてしまいそうだった。
「本当に申し訳ありません。稲葉さんは「突っ込むな、逃げろ」「真名課に任せろ」って言っていたのに、命令を無視してしまうなんて…」
倉本は頭を下げたまま拳を握った。
「稲葉っちの言う通り、真面目だねぇ」
倉本の耳に聞き馴染みのない声が届いた。
声のした方をみると、隣のベッドに赤いパーカーを着た長身の男が寝っ転がっていた。
「赤城、周?」
「あ、俺のこと知っててくれてるんだ!」
少年のような笑顔を見せる周を倉本は睨みつけた。
「…知ってますよ」
苦渋い茶を飲んだように眉間に深く皺を刻む。
「真名課とかいうオカルト課の人でしょ。」
「倉本」
「あっはっはーオカルトか!まぁ確かに。俺もあんまり真名のことわかってねーからな。オカルトって言われるのもわかるわー」
嫌味などどこ吹く風で笑い飛ばす周を倉本はさらに憎々しげな目で見つめた。
警視庁刑事部特殊能力隊「真名課」。
十数年前「人の心が産み出す化物」の被害が拡がっていることから警察内に作られた課で、その課に集められたのは「心の力が強い」とかいう意味不明な人材たちだった。
そしてさらに意味不明なことに真名課の刑事は「真名」と呼ばれる「心の力」を使って、人がストレスから産み出す「権化」と名付けられた化け物を浄化することを目的とする課だった。
幼い頃から必死に勉強して努力してようやく捜査一課の刑事になれた倉本にとって「心の力が強いから警視庁の特別な警察官になりました」なんていう訳のわからない「真名課」の刑事達は憎悪の対象と言っても過言ではなかった。
憎々しいから、目に入る。
目の前にいる男、赤城周は真名課の中でもかなり目立つ。ニット帽にパーカー、短パン、スニーカー。
こいつが自分と同じ刑事だと思うと無性に腹が立って仕方なかった。
「まぁまぁ、そんなに睨まないでよ、くらもっちゃん」
「誰がくらもっちゃんだ」
倉本の熱い視線に周はふっとほほ笑んだ。
「俺たちは別に君の敵ってわけじゃないっしょ?」
「そうばい倉本」
ため息まじりに稲葉が発した。
「お前さんは覚えとらんかもしれんばってん、今お前さんが生きとるんは真名課のみんながお前ば助け出してくれたけんばい」
「え…?」
稲葉の言葉に倉本は眉根を寄せた。
その様子に稲葉はふーっと息を吐いた。
「覚えとらんのやね。よかか?歌舞伎町のビルの中で倉本は黒い鮫の形した権化に飲み込まれた。真名課のみんなが助け出してくれんかったらどうなっとったかわからん…そもそも!」
稲葉はずいっと倉本に近づいた。
「心の仄暗いところから産まれた権化は、同じ仄暗さを持っとる人間ば飲み込んでデカくなるって話たい!倉本が権化に飲み込まれたってことはお前さんの心に仄暗かところがあったってことったいね!」
「え…」
「それなのに、助け出してくれた真名課の人間ば睨みつけるとか、根性どげんなっとっとね」
「それは…」
「まぁまぁ」
瞳に影を落とす倉本に周が笑いかけた。
「大丈夫、大丈夫。心に仄暗いところがない人間なんて一人もいないよ」
「…え?」
ベッドに転がったまま能天気に笑う周の言葉に、倉本は胸の奥をぎゅっと掴まれたような気がして、周を見た。周は大きな瞳を真っ直ぐ倉本に向けていた。
「大事なのはね、その「心の暗い部分」が「何からできているのか」を知っているかどうか。…くらもっちゃん」
「だから誰がくらもっちゃんだ。」
「くらもっちゃんは俺たち真名課のことが嫌いなんだろうけど、それはさ、それだけ自分の努力をちゃんと認めてあげている証拠じゃん」
そう言って周はニコニコと笑った。
「くらもっちゃんは夢叶えててすごい」
「…はぁ?」
「その若さで捜査一課の刑事になれるなんて、並大抵の努力じゃないよ。めっちゃ凄いことじゃん」
「…お前に言われても嬉しくない」
倉本の視線にギラギラとした憎悪の炎が灯る。
周はゆっくりうなづいた。
「頑張ってる人間ってのは、頑張ってない奴を見ると腹が立つもんだよな」
「…」
「でもさ、他人が頑張ってるか頑張ってないかなんて、自分の物差しで測ったってわかりっこないじゃん?それなのに自分と違うからって他人を嫌いになるなんて、くらもっちゃん自身が勿体無いよ」
「俺が?」
「そう、嫌いなことを見たり考えたりするなんて、くらもっちゃんの心が勿体無い」
周は白い八重歯を見せてニッカリ笑った。
「心はもっと、楽しいこととか嬉しいことに使いなよ」
その声を聞いた倉本はなぜだか泣きたい気持ちになったが、涙をグッと堪えて周を見た。
「…どうしても目についてしまう。嫌いだからこそ、意識してしまう」
「大丈夫だよ」
周は「よっと」と言って起き上がると、ベッドの淵に腰掛け倉本に笑いかけた。
「心の怪物がどうしても抑えきれなくなって、権化を産んでしまうことがあったとしても、もう大丈夫」
「…なんでだよ」
「だってそんときは、俺がいるじゃん」
周はどんと胸を叩いた。
倉本はおおらかな周を見て、はらわたが煮えくり変えるほど憎らしいような、それでいて心がどこかホッと救われるような、不思議な気持ちになっていた。
「あ、それから稲葉っち」
「なんね?」
周はベッドからひょいと降りると、稲葉の元に行き耳打ちをした。
「くらもっちゃんが頑張ったのは、稲葉っちにいいとこ見せたかったからだよ。」
「はあぁ?」
「稲葉っちお孫さんいるでしょ。あの子たちとおんなじ」
「待ちんしゃい、そんなことあるけ…」
「人間大きくなっても、大好きな人にいいとこ見せたいって気持ちはそうそう変わらないよ。くらもっちゃんは稲葉っちに頼りにされたくて頑張ったんだよ?」
周のニッカリとしたほほ笑みに稲葉は戸惑った。
「…何をコソコソしている」
倉本は周を睨みつけた。その視線には刺さるような憎悪が宿っていた。
周は両手を上げて敵意はないことを示した。
「ま、この先ちょっとだけ、くらもっちゃんが幸せになれるようにっていうお節介」
「はぁ?」
「へへへ」
そう言って周が柔らかに笑った時、病室の扉をコンコンと叩く音がした。
「はーい」
「失礼します」
鈴のなるような声とともにやってきたのは長身の周よりも背の高い、ひょろりとした長髪の男だった。
「あ、周さん。起きてましたか」
「おお総司郎。きてくれてたんか」
長髪の男は、周の後ろに居た倉本と稲葉に向かって頭を下げた。
「お疲れ様です稲葉警部。初めまして倉本刑事。警視庁刑事部特殊能力隊「真名課」の森谷総司郎です」
「おー、総司郎!くらもっちゃんはな俺たちのこと知っててくれてるってよ」
「まぁそうでしたか。それは大変に光栄なことです」
長身長髪の男、森谷総司郎は腕に抱えていたバスケットから花型に編まれた籠を取り出し、倉本に向かって差し出した。
「クッキー、お好きですか?」
「は、はぁ」
「うわぁ総司郎のクッキー!いいなぁ」
「周さんの分ももちろんありますよ。エネルギー切れでお倒れになられてたから、心配で心配で」
「まじか!やったー!さっき病院食食ったんだけどさぁ。食った気しなくて」
「周さんならそういうんじゃないかと思ってました。あ、本当にたくさんありますので倉本刑事もご遠慮なく」
にっこりとほほ笑んで花籠に入ったクッキーを差し出す総司郎を、倉本はぼんやり見つめた。
圧倒的な長身でなければ女性とも見まごうような美しさの総司郎に見つめられて、倉本の思考は一時停止した。
「あ、手作りのものとか苦手でしたか?すみません」
総司郎が少し悲しそうな顔をしたので
「あ、いや!大好きです、クッキー。いただきます」
倉本は慌てて花籠を受け取った。
「そうですか。よかったです」
にこりと嬉しそうにほほ笑んだ総司郎を見て、倉本はポツリと
「…こんな人、真名課にいましたっけ?」
とつぶやいた。
「総司郎は後方支援が多いし、普段真名課の詰所でも姿を見ることは少ないかもしれんな」
倉本のつぶやきに稲葉が答えた。
「どうしてです?」
「大体給湯室におるからな」
「は?」
倉本は眉根を寄せた。
総司郎は少し困ったように笑った。
「たくさん食べる人が多いんです。真名課って」
「総司郎〜。腹減ったー」
「はい、周さん」
総司郎はバスケットから花籠を取り出して周に渡した。
「ひゃっほーい!いただきます」
周は瞳をキラキラ輝かせてはクッキーをもしゃもしゃと食べ始めた。
「あ、周さん」
「ん?」
「周さんと一緒に連れだされた少年の話ですけど」
「お、アオのことか?」
「はい。今は小児病棟の方にいるんですが、先ほど様々な診察が終わったそうです。診察結果、栄養失調状態ではあるものの重い病気などは無いとのことでした」
「おう、そりゃよかった」
「はい。ですが…」
総司郎はキュッと眉根を寄せた。
「ん?どうした総司郎」
「あの、七黄さんからの伝言ありまして」
「うん?」
キョトンとする周に総司郎は意を決して話はじめた。
「七黄さんが言うには「アオという少年には秘密がありそうだ。俺がそれを探ってくるから、それまで周はアオに近づくな。」とのことでした」
「ふーん」
周は最後の一枚になったクッキーを一口で食べると
「ご馳走さま。クッキーめっちゃ美味かったよ」
と言って立ち上がった。
「周さん、どこに行くんですか?」
心配そうな声をあげる総司郎に、周はニッとした笑みを向けた。
「お迎え」
「え、お迎えって…」
「うん。アオに今一番必要なのは俺の力だと思うからさ」
「駄目ですよ。七黄さんは近づくなって」
「うーん」
周は少し考えたようにして首を傾げると、総司郎の肩にぽんと手を置いた。
「あとはよろしく頼む、総司郎!」
「え?」
周は風のような早さで病室から掛け出していった。
「ええ!?ちょっと、周さーん」
総司郎の鈴のような声が虚しく宙に舞った。
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