朝の峠の定食屋

蛇ばら

アリウのひので定食

 アリウは今年十歳になる。

 宿場町の大通りから少し離れたところに建つ定食屋の娘である。まわりとくらべてすこし小柄だが、からだを思いきり使って全力で接客する姿は、訪れる人々をよく癒している。

 アリウは今日も朝早くから井戸で水を汲み、朝の仕込みをおこなう。昨年に病気になった母に代わり、一生懸命になって働いている。遊びに行くこともなく、友人を作る暇もないが、アリウはそれを厭と思うこともなかった。むしろ自分によく向いていると思っていた。

 アリウが昼の繁忙時間に向けての仕込みをある程度終わらせたころ、入口にかけられた暖簾の鈴がかろりと鳴った。


「いらっしゃいませえ」


 やや舌ったらずなアリウの声に、入ってきた旅人は目を開いて立ち止まった。


「おや、おや、これまた変わった店だ。お嬢さんが店主かい?」

「そんなわけあるもんかよ。まだ十にもならないような嬢ちゃんじゃないか」


 入ってきた二人組はアリウがこれまで会ったどの旅人よりも風変りだった。一言でいえば白と黒だ。白いほうは髪も肌も真っ白で、アリウが昔従姉妹に連れられた芸人小屋で見た人形のようだった。からだじゅうに装飾具をつけていて、動くたびにじゃらじゃらと鳴る。おもての暖簾の鈴より騒がしいほどである。一方で、黒いほうはべったり墨を塗ったような髪に、肌も強く日に焼けている。背はアリウの父親よりすこし低いががっしりしていて、頻繁にこのあたりを通りすぎる武人たちによく見る特徴をしているが、それにしては質素で飾りっ気もなく旅慣れた姿をしている。

 どういうふたりなんだろう、とアリウは首をかしげながら、お通しの準備をする。早朝ゆえに客はふたりだけなので、失敗しないよう丁寧に。


「お通しですう」

「ああ、ありがとう。しかしこの店、お嬢さんひとりかい?」

「あい。朝なので」


 白いほうの言葉に肯く。よくみると想像以上にきれいな顔をしていたので、アリウは内心驚いていた。本当に人形が動いているようだ。しかし定食屋に入ってきたということは、この人形もきっと食事を摂るのだろう。とはいえ、黒いほうがもっともっと食べそうだ。


「しまったな。こんなことなら夜通し無理して峠を越えるもんじゃなかった」

「まあそう言うな、お前さま。お嬢さん、ここでは何が食べられるのかな。腹が満たされるとうれしいんだが」

「あい。定食屋ですので、定食をだしますう。しかし、いまの時間は定食だけになりますが、よろしゅうございましょおか」

「それで構わないよ。ふたりぶん、頼もう」

「あい、おふたりぶん」


 アリウはさっそく調理場へ入った。黒いほうがぐったり机に伸びながら、アリウの背中を眺めている。


「あんな嬢ちゃんが飯をねェ」

「まあ、まあ。腹が膨れればいいというものだ。それよりお前さま、次の国で仕入れるものについてだが──」


 ふたりはしばらく何か言っているようだったが、アリウには難しい話のようだった。そんなことより、腹を空かせた旅人の前なのだから、仕事をしなければならない。

 昨夜仕込んでいた白かぶと昆布の浅漬けを壷から引っ張りあげて小鉢へ盛る。叩いた梅肉と紫蘇を乗せるのがこの店のやり方。続いて主菜。朝から峠を下る旅人は腹を空かせていることが多いので、すこし重めのものを提供することにしている。薄めに粉を付けた白身魚を熱々の油へと沈めこみ、こんがり良い色になったら油をきって、取りやすいよう半分にする。すこし酸味のあるたれを小さな皿に注いで魚の横へと添えておく。

 匂いにつられたのか、黒いほうの旅人は調理場をしきりに覗きこんでいる。仕事に支障はでないので、アリウは構わず仕事を続ける。汁物はさっぱりしたものに。小葱と白蕪の菜部分を刻んで胡麻と煎り、鳥の骨からとった出汁にいれて味を調えておく。最後に茸とともに炊いた飯を椀にこんもり盛ってやる。

 ふたりぶんよそい終えたら盆にのせ、小さなアリウは確り縁を握って持っていく。白いほうが途中で気付いてひとつ引き取り、もうひとつは調理場の入口まで取りに来てくれたので、アリウは匙と箸を最後の仕上げに机へ置いた。


「お茶と汁物、合わせ飯はおかわりできますう。ごゆっくりい」


 頭をあげたときには黒いほうはすでに魚へかぶりついていた。

 ざくっと小気味のいい音が店に響く。暖簾の向こう側はまだ日が出たばかりで静かだから、アリウの耳にもよく聞こえる。良く揚げられた、とひそかに満足する。白いほうはそろりと汁物に手を付けてひとくちすする。ふう、とささやくようなため息は落胆ではないようだった。


「あたたかい。よくからだに沁みるよ」

「こりゃあ魚か! 久々に食べたが、臭くもねえし、からっと上がっておもしれえ味だ」

「へえ、魚の揚げ……ほうほう、こちらは茸の合わせ飯か」

「漬物も酸っぱいのがいい。いくらでも食べられるな、こりゃあ」


 難しい顔と会話をどこへやら、白いほうも黒いほうも箸の進みがとまらない。夜通し歩いたからだにはしっかりした味付けがよく求められる。毎日山を下りてくる旅人に提供する料理は、それに特化したように作るものだ。

 アリウは浅漬けをすこしつまみながら店番を続ける。ざくざく、ぱくぱく。揚げ魚を噛み、汁物をすすり、合わせ飯をかきこむ。ふたりの風変わりな旅人は盆の上の定食をあっという間に腹に収めていく。梅肉にきゅうっと眉を寄せた黒いほうを見て、アリウは思わずくすくす笑った。


「茸の香りがよい、これは作り方を聞きたいくらいだ」

「汁物の胡麻が飯に合うなァ。どっちも追加できるって言ってたな、もそっともらうか」

「ふっ、さっきの悪口は撤回かい。腹をつかまれたね」

「峠の飯屋でこんなうめえもんが食えるとはな。嬢ちゃん、おかわりくれ!」

「あい、ただいまあ!」


 追加を求められてアリウは駆けとんでいく。多めに、と語尾に付け加えられた注文に肯いて、合わせ飯はさらに高く盛ってやる。白いほうにも汁物をもう一度よそい、それからすこし考えて、浅漬けもこっそり追加する。おいしい、おいしいと喜んでくれる客にはちょっとした心づけというものである。仕事も忘れて食事に熱中したらしいふたりは、最後に冷めた茶を一息に飲み干した。


「ああ、うまかった! 夜通し歩いたのも、この巡りあわせのためだなァ」

「帯が苦しいくらいだね。また寄ることがあったら次もここにしようか」

「次は晩の定食も食ってみたいもんだ」


 白いほうが懐から出したのは決められた価格よりやや多め。多いぶんは君がお使い、と耳打ちして、アリウの小さな手のひらに握らせてくれる。遠慮するのもどうかなとアリウは考えて、心づけの浅漬けぶんと有難くもらうことにする。アリウにとって一番の報酬は。やはりお客様の満足げな笑顔である。


「どおぞ、今後ともごひいきにい。よい道行きを」

「ごちそうさま、小さなお嬢さん」

「おう、嬢ちゃん。飯、ありがとうよォ!」


 黒いほうが手を大きく振って、街道のほうへと歩きだす。逆光になってこちら側からは本当に真っ黒に見える。ますます墨みたいだな、とアリウはくすくす笑った。太陽はもうじゅうぶんに高くなり、いつのまにか道には往来する人々が次から次へと増えていく。また暖簾の鈴がかろりと鳴って、アリウは振り返った。

 定食屋の一日はやっとはじまったばかりである。

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朝の峠の定食屋 蛇ばら @jabara369

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