「88歳になるまでお互い独り身だったら結婚しよう」とエルフの幼馴染に言われたので、俺は老後の人生設計を始めた。
志波 煌汰
「老々介護の予約か?」
幼馴染に振られたので、老後について備え始めた。
意味が分からないだろうが、経緯を聞いてほしい。
「そういえば聞いた? 咲、彼氏できたんだってー」
きっかけは、共通の友人のコイバナだった。
その日も俺と幼馴染のアリサはいつものように連れ立って下校していた。
季節は桜が咲き始めたあたりで、穏やかな日差しと時折吹き抜ける風が心地よい日だった。
俺はその時青臭い13歳で、まだまだ将来とか何も考えていなくて、そして隣を歩いている女のことが好きだった。
「まーた一人友達に彼氏が出来ちゃったよ。寂しいなー」
「そうか?」
「寂しいよー。構ってもらえる時間も減るしさぁ。それに、みんな恋人出来ちゃって、私だけ置き去りみたい」
「まあ、そういうやつらも増えたよな」
俺はちらりと横を見る。幼馴染の澄んだ目は、ほんの少し寂しげに揺れていた。
「増えたよな、じゃないよ。目につく限りカップルばかりだよ。一大ブームだよ。ホヅミは鈍感だから気づいてないかもだけど」
「ひでえ言いぐさ」
「こう、周りが続々恋人持ちになっていくのを見ると、気の長い私でもちょっと焦るね。このまま取り残されて彼氏できなかったらどうしよう、って」
その言葉を聞いた瞬間、俺の天才的直感が光の如く閃いた。
これは……これはあれじゃないか? 今、さりげなくあれを言うべき時なんじゃ……ないか?
唾をごくり、と呑み込む。
心臓が体の中で暴れ出し、体中から汗が噴き出す。口の中が砂漠みたいになって、今すぐにコーラが欲しいと思った。
声が震えないよう必死に気を張って、俺は最大限可能な限りさりげなく、しかし内心絞り出す思いでその言葉を口にした。
「じゃあ、さ──俺たちも、付き合ってみる?」
言った。
言ってやった。
漫画やドラマみたいなセリフを、言ってやった。
横を歩くアリサの顔を見れず、俺は馬鹿みたいに前を凝視していた。
一世一代の、告白の答えは──。
「え? はは、ウケるね」
轟沈した。
鼻で笑われた。
膝から崩れ落ちそうな気持ちをなんとかかんとか押し込めて、俺は平静を装う。
「そう、か? 悪くないと思ったんだけど、な」
「いやー、今更付き合うとか、そういうんじゃないでしょ私たち」
本当に、泣かなかったのが不思議なくらいだった。この時のことに比べれば、怖いものなんて何もないんじゃないかとさえ思う。
「ホヅミが恋人とか、ちょっと想像できないなー」
容赦のない追い打ち。
飛天御剣流よりも隙を生じてなかった。
ふらつく意識をどうにか保ちつつ、俺はおぼつかない足取りで機械的に歩行を続ける。
「まあ、でも……そうだね。うん。もしかしたら、意外と悪くないかもしれないね、それも」
その瞬間、今にもシャットダウンしそうだった俺の意識は、ブラックコーヒーを飲んだ時みたいに急浮上。
止まりかねないほどに沈んでいた心臓が、メタルバンドのドラムより速く音を立てる。
まだ、脈はある。
俺が次の言葉を放つ、それよりも先にその言葉は放たれた。
「じゃあさ、もしお互い独り身のままで──」
これは、あれだ。「何歳まで独り身だったら付き合おう(あるいは結婚しよう)」ってやつだ。
俺の脳内は高速回転。次の言葉を待つ構え。何歳だ? 「中学卒業するまで」だったらいいな。それは虫が良すぎるかな。「20歳越えたら」? ありそうだな。そしたらあと7年か。定番で言えば「30歳までに独身だったら」かもしれない。それでもかまわない。
いいぜ、いくらでも待つ。俺はアリサのことが大好きだから。お前と付き合えるなら、結婚できるなら、何歳でも──。
「88歳になったら、結婚しよっか」
────は?
ちょっと予想を超えた数字に、硬直する俺。
そんな俺を意に介することもなく、「あ、私用事あるから」と幼馴染は去っていった。
一人取り残された俺は永遠にも思える時間呆然として、それからようやく天を見上げて一言呟いた。
「老々介護の予約かよ……」
俺の言葉は春風に紛れて消えていく。ついでに零れた涙も。
だがまあ、仕方なくはあるのだ。俺と彼女では時間の感覚が違う。
だって彼女はエルフなのだから。
今時エルフなんて珍しくもないが、流石に幼馴染がエルフなのはまだ珍しいと思う。
俺とアリサは小学校からの幼馴染。引っ越し先の隣人がアリサたちで、家族間でも付き合いがある。
初めて会ったその日から、俺はきっと、アリサのことが好きだった。
風に靡く金髪。つん、ととんがった耳。サファイアみたいに大きな瞳に、無邪気で人懐こい笑顔。
学校でも家でも一緒に遊びながら、俺はいつだってドキドキしていたと思う。
それから7年。一世一代の告白の結果は、老後の約束だった。
その日から俺は老後の計画を立て始めた。
88歳でも若く美しいであろうアリサと違って、残念なことに爪の先まで純人間な俺からすると、88歳という年齢は平均寿命を7歳もオーバーしている。立派な後期高齢者だ。
何も考えず過ごしていたら、せっかく米寿を迎えてアリサと結婚できてもよぼよぼで新婚生活どころでない可能性が非常に高い。
だが88歳でも元気な人だって当然いる。俺の大叔父は100歳近くになっても畑に出るほどしゃっきりしていた。
健康に気を遣えば、88でも十分アリサといちゃつくことは出来るはずだ!
帰宅部だった俺は、その日から毎日欠かさず運動することにした。
幸い俺は中学生。今から習慣づければ老後までに十分すぎるほど間に合う。
特に気を付けるべきは足周りだ。年を取ると足の筋力が衰えやすく、転倒の原因になる。高齢者の転倒はそのまま要介護に直結する危険がある。せっかく結婚したアリサに俺の介護をさせるわけにはいかない。
食事にも気を配る。骨を丈夫にすることを考えて、運動も考慮してバランスよく食事をとる。高齢者にとっては骨折は命取りだ。同時に、血液の健康にも注意しないといけない。介護が必要となる原因のうち、2位は脳血管疾患……いわゆる脳卒中だからだ。
加えて、俺はそれまで苦手だった勉強にも力を入れ始めた。
理由は二つ。一つは、老後資金のため。いい大学に入ればいい会社に入りやすくなる。いい会社にはいれば退職金も多くもらえる。88歳でも若いであろうアリサに、金の心配はさせたくなかった。
そしてもう一つは、認知症予防のためだ。先ほども触れた介護が必要となる原因の第一位が認知症なのだ。結婚できたのに認知症になっては意味がない。俺は勉強に勤しみつつ、将棋や数独なんかも老後の趣味に始めた。
その他にも考えるべきことは色々ある。生活習慣、睡眠、資産形成……俺の生活は、いつしか老後への備えを中心に回っていた。
全ては、アリサとの新婚生活のために!!!
そして7年の月日が過ぎた。
俺は大学生となり、堅実に単位をとる傍らサークル活動にも精を出し、インターンも積極的に行く模範的青年となっていた。
「なんかさー。最近ホヅミ変わったよね」
横を歩くアリサが言う。
「うん? そうか……? 特に最近新しいことを始めた覚えはないけど……」
「何言ってるの、体鍛えだしたり、勉強頑張ったりしてるじゃん」
「それはもう7年くらいやってるんだが……」
エルフの時間間隔、難しい。
「どうかしたの? 前はもっとなんていうか……適当だったじゃん。好きな人でも出来た?」
お前じゃい、とも言えず、俺は頬を掻きながら「まあー、あれだよ。老後に備えてっていうか……」と嘘ではないことを言う。
「老後!? 何百年先の話してんの!?」
「そんな先のことはしてねえよ」
精々60年くらいだよ。
俺の言葉にアリサは目を白黒させ、「いやだって私たちまだまだ子供じゃん! 今から老後のことなんて考えてどうすんの!?」と正論を言ってくる。
「……お前のせいだろ」
ので、俺はもう面倒になって言ってやることにした。
「私の? え、なんで?」
「昔言ったじゃんか。お互い88歳になっても独身だったら結婚しようって。それに備えてるんだよ」
「へ……」
俺の言葉に、アリサは目を白黒させた。
もはや自棄になって俺は続ける。恥ずかしさを誤魔化すため、言葉が滝のようにあふれ出す。
「エルフのお前は知らないけどさ、88って俺からするとよぼよぼの爺さんなわけ。今の内から備えておかないと、せっかくの結婚生活が台無しだろ」
「ちょちょちょちょ、え? あれ本気だったの? からかわれてるもんだと」
「お前は冗談かもしれないけど、俺は本気だよ。……まあおかげで人生に目標が出来て、張り合いが出来たわ」
ありがとな、と嘘偽りのない感謝を告げると、幼馴染はうつむいて歩みを止めた。
「どうした、早く行かないと」
「ごめん、その話、無理だわ。私88歳まで独身のつもり、ないから」
「──は」
アリサの言葉に、次は俺が止まった。
え、なんだなんだ。まさか、あれか? 俺の知らないうちに、彼氏出来てたのか? 全然知らないぞ。どこのどいつだ。まさか、結婚まで考えて──。
石のように固まる俺の前で、アリサは顔を上げる。
茹蛸みたいに真っ赤だった。
13歳の俺も、きっとこんな顔をしていたのかもしれない。
「ホヅミの気持ち知ったら。88歳までなんて待てない。今すぐ私と付き合ってよ」
「──え、あ、はい」
幼馴染の一世一代の告白に、俺はアホみたいな間抜け面を返した。
そうして俺は長い長い人生の目標を失くした。
俺の頭を占めていた老後の計画はさっぱりとどこかへ消え失せ──今は代わりに、次のデートプランが我が物顔で居座っている。
(終)
「88歳になるまでお互い独り身だったら結婚しよう」とエルフの幼馴染に言われたので、俺は老後の人生設計を始めた。 志波 煌汰 @siva_quarter
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