アハトアハト

新座遊

第1話(最終話)8.8 cm FlaK 18

1943年冬。ハリコフ。ナチス軍と赤軍が死闘を演じている。後に第三次ハリコフ攻防戦とも言われる戦いである。

その郊外に、徴兵対象外である老人たちが教会の脇にある建物に集められ、ひっそりと暮らしていた。以下、老人ホームと呼ぶことにする。

先日、ドイツ軍が撤退するときに放置された糧食をかき集めて、老人ホームの住人は、なんとか生きながらえることができた。

ドイツ軍の忘れ物は食料だけではなかった。

8.8 cm FlaK 18。ドイツ軍はアハトアハトと呼ぶこともあった。

8.8センチ対航空機砲である。名前からして1918年開発のように見えるが、これはドイツの欺瞞であり、実際は28年ごろに開発されたらしい。

製造番号を見ると、この忘れ物は、1934年製造のもののようだった。

この時期には、すでに性能改善されたFlaK36なども量産されており、旧式対空砲だったかも知れない。だから、忘れ物というよりも、捨てただけ、という可能性もあった。ただし、破壊されておらず、弾薬も大量に放棄されていたため、いかに慌てて逃げたか、という解釈もできた。

老人ホームの最長老は88歳。片足を棺桶に突っ込んだと自嘲しているが、まだ言動に衰えは感じさせない。この老人は異能の持ち主であり、触れた兵器は、初めて見たものであれ、自在に扱うことができる、とのことだった。

「ナチの野郎、ボルシェビキの野郎。どっちが来ても、この対空砲で粉々にしてくれるわ」

自分の故郷を他国の連中に蹂躙されていることに、強い憤りを持っていたのだ。たとえボルシェビキが同じ連邦の同胞だったとしても。


43年春。ハリコフ。

のど元に刺さった棘、と赤軍参謀は教会横の建物のことをそう呼んだ。こちらから仕掛けない限りは反撃してこないが、とにかく強靭な陣地のように見えた。このようなところにこだわっている必要はない。たった一門の対空砲もしくは対戦車砲である。ナチ野郎が残ってるならともかく、どうやら地元の老人が誰彼構わず近づく物を撃退しているだけのようだった。では近づくのを避けよう。ここで時間を費やすのは全体整合性に欠ける判断だろう。

見たところ、ドイツ軍が通りすがりにこの老人ホームを攻撃したときも、強烈な反撃を受けて撤退していった。ドイツ軍が老人ホームを押しつぶさないということは、奴らも戦備に余裕がないことを示していた。

ドイツ軍の激烈な反攻により戦線に綻びが生じたが、息切れしたドイツ軍を横目に、軍の再整備を行う。赤軍には、それなりの余裕があった。


43年夏。クルスク。史上最大の戦車戦がハリコフ周辺で行われた。赤軍は辛うじてナチスを撃退し、これ以降は戦場の主導権を握り続けることとなる。


ハリコフ郊外の老人ホームは、どうなっただろうか。

まるで結界に守られた聖地のごとく、どちらの軍も手出しをせず、ただひたすら戦争が終わることを待っているかのようだった。


そして、世紀が変わる。

老人ホームは健在だった。当時の老人たちは、聖地に守られた妖精のごとく、生きながらえていた。いや、もはや生きているかどうかなんか、関係ない存在になっていたのかも知れない。ただとにかく、「ナチが来ようがロスケが来ようが撃退してやる」

ソ連軍の系譜に連なるロシア軍が侵略してきた。

若者たちはジャベリンなど最新の対戦車ミサイルで侵略者を撃退しつつある。

その中に、前世紀の遺物、アハトアハトの轟音が鳴り響いていたことは、あまり知られていない。1934年製の古強者。御年88歳である。








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