愛は続いてゆく
砂鳥はと子
愛は続いてゆく
私の恋愛対象が同性であること、女性であることを、身内で最初に打ち明けたのは祖母だった。
両親でもなく、兄でもなく、妹でもなく、今年八十八歳の祖母だった。
いつも優しく、怒ったところなんて今まで一度も見たことがない祖母も、さすがに私が同性愛者だと知ったら腰を抜かすだろうか。
最初は打ち明けることに多少不安もあったものの、あの穏やかな祖母なら受け入れてくれるのではないかと確信していた。
その選択はけして間違えではなかったことが、私にはかけがえがなく、とても嬉しいことだった。
「
祖母はいつもの春の日差しのような温かな笑顔で、私を受け入れてくれた。
「いつかその彼女さんとも会わせてね。乃愛が選んだ人に、私も会ってみたいから。きっと素敵な人なのでしょう?」
祖母はにこにこと嬉しそうに言ってくれた。
私が私の大切な人といることを喜んでくれた。たとえそれが同性同士であったとしても。
身内自慢みたいになるが、やはり私の祖母は最高としか言いようがない。こんなにすばらしいおばあちゃんは他にはいないと胸を張って誇れる。
私が祖母にカミングアウトして
「乃愛、今週の日曜日は何か用事ある? ないなら少し付き合ってほしい所があるのよ」
私は祖母に誘われて一緒に出かけることになった。
その日は澄んだ空が広がり、ちょうど満開の桜がこれでもかと見事に咲き乱れていた。
家の前にタクシーを呼んで二人で乗り込む。
「
祖母が行き先を告げるとタクシーは走り出した。
聞いたことがないお寺の名前だ。菩提寺とは違う名前だから、お墓参りというわけではないのだろう。桜でも見に行くのかもしれない。
私は流れる景色を眺めながら、祖母と共にしばらく車上の人となった。
たどりついたのは家の菩提寺よりも大きな門構えの立派なお寺だった。
タクシーを降りると祖母はお寺の向かいの花屋さんに向かい、菊の花を買った。
花見でもするのかと思ったのに、お墓参りらしい。だとしても誰のお墓なのだろう。少なくとも先祖や祖父のお墓ではない。
そう言えば祖母の好きな作家は市内のお寺のどこかで眠っていたな。でもここだったろうか。あまりはっきりと覚えてはいない。
二人で大きな門を潜る。
境内には大きな桜がいくつもあり、薄紅色の花がたわわになっていた。
風が吹いてひらりはらりと花びらが舞う。
祖母は迷うことも躊躇うこともなく道を進み、お墓の手前の水場で立ち止まった。
「乃愛、この桶に水を入れてくれないかしら」
私は言われた通りに桶いっぱいに水を入れて、柄杓を二つ手にした。
祖母はお墓の中を何かに引っ張られるように進んでいく。随分と祖母も高齢になったものだけど、年を感じさせない軽い足取りは、このお墓参りが祖母にとってとても大事なことのように思えた。
墓所内の細い通路を歩き、一番奥まで来てやっと祖母は足を止める。
白い大理石でできたお墓には『
初耳の苗字である。
親戚に篠山なんていた覚えはない。
祖母はテキパキとお墓に花を備え、水をかけ、私もそれに倣う。
最後にお線香を上げて手を合わせる。
一段落したところで私は祖母に聞いた。
「おばあちゃん、ここは誰のお墓なの?」
「まだ話してなかったわね。ここは
「大切だった人⋯⋯。友だちとか親友ってこと?」
「さぁ、何て言えばいいのかしらね。文ちゃんは私にとっては大切な、生涯を共にしてもいいと思った人」
遠いを目をした祖母は慈しむようにそのお墓を見ていた。
「乃愛が彼女さんのことを大切に思う気持ちと似ていたかもしれない」
それってつまり、祖母も女性に恋していたことがあるということだろうか。その文さんという人に。
「おばあちゃんは文さんに私を紹介したかったの? おばあちゃんも文さんが好きだったから?」
「そうね。私と文ちゃんは乃愛たちみたいにはなれなかったから。でもあれから何十年も経って、私たちが恋していた時より、いい時代になったわよって伝えたかったの。それと私の孫を、乃愛を見守っててねって」
祖母が恋した人。私が彼女に恋するように、愛するように、大切に思った人。その人がここで眠っている。
「おばあちゃんも文さんも、若い頃に同性同士でも付き合えたら、今も一緒にいたのかな」
「うーん、それはどうかしらね。文ちゃんは大人になる前に病気で逝ってしまったのよ」
祖母は寂しそうに墓石の縁をなでた。
そうか、文さんは私が生まれるよりも、もっと前にこの世から旅立ってしまったのか。
「だから文ちゃんが元気だったとしても、世間体を考えて、きっと一緒にいる選択はしなかったかもしれない。私も文ちゃんも『当たり前』を覆せるほど強くなかったもの。もっと遅くに生まれていたら⋯⋯。なんて思っても仕方ないわね」
「だからおじいちゃんと結婚したの?」
私の祖父と祖母は誰から見てもオシドリ夫婦だった。近所でも仲がいいって評判で。いつも一緒で。お互い口にしなくても思ってることが伝わってるような、そんな夫婦だった。
だけど、祖母は仕方なく祖父と結婚したのだろうか。
そう思うとやるせない。祖父も亡くなってしまった文さんも。
「おばあちゃんは、おじいちゃんのこと好きじゃなかった?」
おおらかに笑う祖父を思い出して切なくなる。
「乃愛、勘違いしないでほしいのだけどね、文ちゃんと一緒になれなくて嫌々おじいちゃんと結婚したわけではないのよ。おじいちゃんは⋯⋯、
祖母はもう戻りはしない祖父との時間を、文さんとの時間を懐かしむように、空を見上げた。
あの向こうにいる祖父や文さんは何を思っているだろう。私のことを見守ってくれるだろうか。
「おじいちゃんも生きていたら、きっと乃愛のこと応援したわ。そういう人だったもの」
小さな、深くしわの刻まれた祖母の手が私の手を取る。そこには見えないけど、祖父と文さんの手も添えられるているような気がした。
「おじいちゃんと文さんにも彼女のこと紹介したいな。喜んでくれるよね?」
「ええ、もちろん。乃愛の幸せを喜んでくれるわよ」
祖母と最後まで一緒にいられなかった文さんと、そんな祖母のことを愛して大切にしていた祖父、二人に恥じない生き方をしたい。
(
私は小さくて、でもいつも笑顔で元気な彼女に無性に会いたくなっていた。今度は祖母と紗雪と三人で来よう。それから祖父のお墓にも挨拶に行かなくては。
女が女を愛することも、昔と今で変わったこともあるし、変わってないこともある。
だけど誰かを愛おしいと思う気持ちは、百年前でも千年前でも変わらないのだ。
この先もきっと。
愛は続いてゆく 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko
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