白い花の冠

ひなみ

七十三の種

「あなたはだれ?」

「オマエ、この俺がえるのか」


 月の夜。

 それが彼女との出会いだった。

 体を起こすでもなく寝床で天井を、僅かに開いたふすまの外の景色を彼女はただ物憂げに見つめていた。

 こけて骨ばった頬と布団から出ていたその両腕は物語る。


「病におかされているのか」

「ええ、私はもうすぐ死ぬの。でもこれでようやくこの苦しみから逃れられる」

 確かに彼女はそう笑った。


「なんだ、あなたは死神さんなのかと思ったのだけれど」

「まさか。そんな大層な存在ではない」

「そう。もしもあなたがそうなのだとしたら、すぐにでも連れて行って欲しかったのに――」

 彼女は再び笑みを浮かべて、そのままと寝息を立ててはいるものの、まるで息絶えたかのように眠りについた。


 夜は明ける。


「来たんだね、死神さん」

「残念だが俺だ。むすめよ、何かできる事はないか」

「――私にはすずと言う名があるの。そう呼んで」

「それだけでいいのか、鈴よ」


 天井をじっと見つめている彼女には何が見えているのだろうか。それを知るよしもないが、彼女が言葉を発するまで共に見上げる事にする。


「何か話をして頂戴ちょうだい。いつ死んでも寂しくならないように」

「ああ、心得た」


 数多あまたの話をした。

 数百年に渡ってこれまでに出会った人間にまつわる、喜怒哀楽きどあいらくのあらゆる感情が含まれる話、どう聞いても作り物のような与太話。そしてついには最期を迎えた瞬間の話。


「あなたは本当に死神さんじゃないの?」

「多くの死に目に会ってきたと言う意味では、そうなのかもしれないが」

「あなた、本当に変な人ね。まるで夢の中にいるみたい」

 くすくすと鈴が笑う。


「よく言われる」

「そう――」

 昨日よりは幾らか安らいだ表情で彼女は眠る。



 これまで幾度となく、人の消え行く生を近くで見てきた。

 人間というものは脆弱ぜいじゃくだ。

 我らと比べるとその寿命はあまりにも短すぎる。


「最後のお願い、いいかな」

 もう終わりはそこまで来ている。

「ああ」

「この山奥にね。シロツメクサが咲いている場所があるの。それで花かんむりを作ってくれない?」

「造作もない」


 外はここ数日にしては珍しくいい陽気だ。

 視界に広がるこの光景を、彼女はいつも病床から見ていたのかもしれない。


 それらをかき集めて戻る。しかし鈴は眠ったまま目を開ける事はなかった。

 あるいは最期を看取みとられないように俺を遠ざけたのだろうか。だがその真意はもう永遠にわかりはしない。


 鈴が十五でこの世を去って、それから毎年一つずつ花の種をいた。


 カーネーション、コチョウラン、バラ、ベゴニア、ポトス、ヘリクリサム、カキツバタ、スミレ、ルピナス、スズラン、ブルーデイジー。


 一人でく道としてはあまりにも頼りない。ならば花々に囲まれていたほうが幾らかは救われるだろう。


 時をかけて蒔き続けた七十三の種。

 芽吹いたその多くは既に朽ち果てた。

 それでも、未だに花を咲かせているものもあった。


 生きていれば彼女は今年で八十八になる。

 それでもたったの、百すらもいかぬ人生だ。


 人間というものは脆弱だ。

 生きていくにはあまりにも時が短すぎる。仮に俺の百年でも分け与える事ができたのなら、彼女はきっと幸せに死んでいけたのではないだろうか。そう思えてならない。


 いや。俺は彼女と共に歩んでみたかったのだ。苦しくつまらぬ生涯などあろうはずがない。どうだそら見た事かと、雄弁ゆうべんに語るつもりだったのだ。


 この命はいつ消えてしまえるのか。責め苦だ。それでも、忘れてはならないものがまた一つ増えた。


『せめてその魂だけは幸せであれ』


 花に囲まれたこの地で。

 七十三年前のあの時のように、白い花の冠を墓石かのじょに掛けた。

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白い花の冠 ひなみ @hinami_yut

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