みよちゃんのおにぎりスペシャル

@ippitu

一話完結

「きみ、今日も残業頼めるかな」


「えっ、あ、ハイ。

 もちろんです……」


 ああ、哀しきサラリーマン。

 今日も残業決定か。


 おれは壁の時計を見るフリして少し伸びをした。


 今日もまた残業か。

 明日は久しぶりの休みだから、少し早めに帰りたかったのに。


 休みの土曜の前日、嬉しい金曜日。

 それなのに、ああ、それなのに。

 また残業。

 休日出勤は厳しく制限されているけれど、残業はね。

 一応、ちゃんとしていることになっているけど、まあ、実際はね。


 もちろん、お仕事だからね、きちんと納期はね、守らないとね。

 分かってますとも上司さま。

 おいしいごはんを食べるため、あったかい布団で眠るため。

 冷めたお茶とコンビニ弁当で、必死にパソコンとにらめっこ。

 御社にお電話、弊社の見積もり。

 あの、全然話が違うんですけど。

 納期、来月末って話じゃなかったですか。

 え、できれば今すぐ欲しい?

 なるだけ詳細に、仕様変更時の見積もりを数パターン?

 ええ、もちろん、お引き受けいたします。

 大船に乗ったつもりで、ご安心ください。



 さて。

 今さら泣き言いっても仕方がない。

 仕事と人生に、想定外はつきものだ。


 新人くんは頼りなく、パートさんたちの目は厳しく、リーダーとは名ばかりのこのおれが、何とかしなくてはならないのだ。


「ちょっとコーヒー買ってきます」


「寄り道する時間はないぞ」


「はい……。分かってます……」


 ああ上司さま、せめてもうちょっと、こう、冷たい視線はやめませんか。

 あったかいコーヒーも、すぐに凍りついてしまいそう。


 おれは淀んだ空に滲む月を見ながら、せめてもの抵抗で、ちょっとだけ遠回りしてデスクに戻った。


 上司さまと二人きり。

 気まずい空気。

 入力して、チェックして、仮印刷して、訂正して。

 ああ、また間違ってる。

 これ、誰がやったんだ。

 なんでこんな間違いするんだ。


 ああ、おれか。

 おれがやったんだ。

 もう、頭まわらねえ。


 ちらっと上司さまの様子をうかがう。

 相変わらず不機嫌そうにパソコンと資料とにらめっこだ。


 結構、デキる上司ってきいていたけど、まあ結局いつものこの感じ。

 仕事も人生も、思う通りにはいかないねえ。


 淀んだ頭をコーヒーでさまして、何とかある程度仕上げて、あとは来週のおれにおまかせだ。

 今日は終電には間に合うことができた。




 とぼとぼ、アパートに向かう。


「ただいまーっ!」


 叫ばなきゃあ、やってられねえ。




「あーっ!疲れたーっ!」


「はいはい、お疲れさんですー!

 おなか、空いてる?」


「もう、ペッコペコ〜!」


「うんうん、すぐごはん作るね。何がいい?」


「あ〜、すぐ食べれるおいしいもの」


「じゃあ、おにぎりにするね〜!」


「おっ、嬉しい!」


 やったあ、今夜はおにぎりだ。

 疲れきった体にさ、おにぎりっていいんだよね~。


 おれは残業続きで、もうへとへとだ。

 みよちゃんだって、スーパーで準社員さんで頑張ってるのにさ、おれのためにごはん作ってくれてさ。

 特に次の日が休みの金曜の夜はさ、「嬉しい金曜日」、題して「うれきん」、できるだけ二人でごはん食べるようにしてるわけでさ。


 とはいえ今日も、もう12時近い。

 さすがに、みよちゃんを待たせられない。

 せめて、じゃあ、何か作るねって、ほんとみよちゃんいいよな。

 優しくて、優しくて、はにかむような笑顔がまたいいんだよ。


「はい、おまたせ~!みよちゃんのおにぎりスペシャル!」


「おー、うまそう!」


 つやつやのおにぎり。海苔まで巻いてくれちゃって。

 一番大きいのからいこうかな。


 がぶっ


「おっ、からあげ!やった!」


「おいしい〜?」


「すっげえウマい!」


「えへへ〜」


 少しきつめの塩加減も、さっきまでぱりぱりだったなごりのある海苔も、いい感じ。


「二個目も食べていい?」


「もちろん〜!」


 ぱくっ


「おっ、梅!すっぱ〜!」


「あっ、ちょっとすっぱ過ぎたかな?」


「ん、いや、ちょうどいい加減」


「クエン酸が疲れた体にしみわたるであろう〜」


「おう」


 中くらいの梅おにぎりを完食。

 いよいよ最後の一個。

 おれは小さなおにぎりを割ってみた。


 ぱかっ


「おお〜、高菜!」


「えへへ〜、高菜、好きでしょ?」


「好き好き、もう、みよちゃんの次に大好き!」


 すげえ幸せ。

 なんだこれ。


 上司のよく分からない八つ当たりも、御社の無理難題も、今だけはなかったことにできる。


 みよちゃん大好き。

 おにぎり、大好き。


 おれはあたたかいお茶をごくごく飲んで、両手を合わせて幸せを噛みしめた。


「ごちそうさま〜!」


「おそまつさまでした〜!」


「片付けなんかいいからさ、もう寝ちゃわない?」


「んー、でも、歯磨きしようね?」


「……ちえっ」


「えへへ、先におふとん、入ってていいよ〜!」


「ん。いつもありがとね」


「ううん。だって、こちらこそ~。土日仕事の時とかさ、なんでもやってもらってるからさ」


「ほら、そこはね、助け合いだからね、うん」



 おれは歯を磨きながら、今夜のあれこれと、明日のことを考える。

 明日はさ、久しぶりにどこか出かけようか。

 天気も悪くないみたいだし。

 でも、やっぱり、いつものように家で二人っきりでごろごろするのも悪くない。今しかできないことっぽいしさ。


 何かと忙しい日常で、何のために生きているのか分からなくなるときもあるけど。

 おれたち、まだまだ若いんだ。


 次は何かな、中に何が入っているのかなって、おにぎりみたいに、楽しみながらのんびりいこうか。


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