第13話「激昂する佳奈」
そして翌日。
ネコが登校すると、クラスは騒然としていた。
「なんだこれ……?」
黒板にはでかでかと「有坂ネコは女装癖の変態」と書かれ、昨日にブラウスが破けた瞬間の写真が貼られていた。
「皆さ~ん、変態が登校しましたよ~!」
下卑た笑みを浮かべながら、牧野は大声で喧伝する。
クラスメイトは疑いの目線をネコに投げかけ、ひそひそと小声で話し合っている。
「有坂。お前がもうちょっと利口だったらこんな目に遭わなかったのになぁ~。残念だよなぁ~」
そう言って、彼女達も黒板の前へ集まった。
「それじゃあ真実を明かしてもらいましょうか!」
「脱げよ、変態!」
「男じゃないなら証明できるよね~」
当事者のネコは、まるでこの状況を遠くから見ているかのような、そんな気持ちでいた。
尊厳を踏みにじられ、事実であろうとなかろうとそれをネタに人を陥れる。
それだけではない。
この様な行いが「悪い」とされていながらも衆人観衆の前で繰り広げられることが、あまつさえそれを見ている者達が、見て見ぬふりをする。
きっと怖いのだろう。
きっと強くないのだろう。
ネコにそれを糾弾することはできない。誰もが恐れを抱かず、誰もが強い事などあり得ないとネコ自身が身をもって知っているからだ。
けれども、その渦中にある者は?
目の前にいる人に助けを求めても助けが来ない。
これほど恐ろしいことが、他にあるだろうか?
そして、それが佳奈の受けた恐怖だ。彼女の受けた苦しみだ。
だから――。
佳奈はこの光景を見て飛び出さずにはいられない。
寮でネコを見送るものの、昨日のことで心配になって佳奈は慌ててやってきた。そしたらこれだ。居ても立っても居られず、佳奈は扉に手を伸ばす。
だが、騒ぎを聞きつけてやってきた義継によってそれを止められている。
「先輩、どうして……」
「ネコの晴れ舞台だ。もう少し待ってやれ」
だが、そんな義継を駆けつけた縷々が押しのけた。
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ! 円香は先生呼んできて!」
「は、はい!」
そうしているうちに、教室内で事態は動く。
「嫌だ」
「はぁ?」
恐怖に耐えながら、ネコは牧野をにらみつける。
「この制服は好きで着ている。だから脱がないし、お前達の言う事は聞かない」
クラスがシンと静まり返る。
そして、皆がネコのことをまっすぐ見つめていた。
「ボクは自分が好きだ。自分のなりたい姿を好きでいたい。だからその為に自分を磨く努力は惜しまないできた。そして、そのおかげで、自分が嫌いだった人をはじめて、自分を好きになれる手伝いが出来た」
脳裏に浮かぶのは、初めて佳奈に化粧を施した時の照れ臭そうな笑顔。
「何をクサいこと言って……」
「空しくならないの? こんなに人を貶めて、人を馬鹿にして! 人を怖がらせれば言う事を聞かせられるとでも思っているの!?」
やがて、ネコの熱がじんわりとクラス中に広がっていき、疑いの目線は失せて応援へと変わっていった。
「お前達なんて怖くない! 強くも偉くもない! 佳奈の方が、ずっと勇気もあって立派な人間だ!」
「言わせておけば……!」
自分が下に見ている人間。それを引き合いに出されて、なおかつ相手はその人間を自分よりも上だというのが、牧野の逆鱗に触れた
牧野はポケットからまたハサミを取り出す。
「うっ……!」
ネコがたじろぐ。
昨日の取り乱した様を見て、ネコがハサミを極端に苦手としている事を察していた。
「脱がねぇならアタシたちが脱がしてやるよ」
胸倉を掴み、クラスメイトの悲鳴をよそに衣服を切り裂こうとハサミで音を立てていく。
「や、やめ――」
「牧野!!」
叩きつけるような音と声がクラスに響き渡る。佳奈が鬼の形相で叫びながら、ドアを開け放ったのだ。
「佳奈!?」「佳奈ぁ?」
予想外の乱入に、誰もが驚天する。
その中で、縷々と義継だけが冷静でいた。
止めようとする義継を羽交い締めにして、キッと佳奈を見つめる。
「佳奈! 思いっきりやんなさい!」
縷々の声援を受けて、佳奈は傍の席の椅子を掴んで、振り上げながら走る。
「うわあああああああああ!!」
「おわぁああっ!?!?」
二人の絶叫がこだまする。
ずがん! 振り下ろされた椅子は黒板へと当たり、大きな金属音を立ててブラックボードの液晶をへこませ、激しい悲鳴がクラス中に響く。
そんなものを微塵も意に介さず、ぶんっ、ぶんっ、と佳奈は椅子を振り回して、誰も手がつけられない。
「許さない! 絶対に許さない!」
「やめ、やめて! やめて佳奈!」
暴れる佳奈を抑えようと、ネコは佳奈の腰にしがみつく。
「なにをやっとるんだ!」
そこへ、ようやく円香の呼んだ教師が現れた。
混乱した事態はなんとか収束して、こっぴどく佳奈が叱られた後で二人は理事長室に呼ばれ、それに縷々と円香が付き添いでやってきて理事長室は賑やかな状態にあった。
「二人とも、苦労を掛けたな」
義久は敢えて微笑みを浮かべて、ネコと佳奈に労いの言葉を投げかけた。
「い、いえ……むしろ騒ぎを大きくしちゃって……」
「わ、私……退学になっちゃうんですか?」
「ははっ、佐藤くんはもうこっぴどく叱られただろう? 誰も怪我していないし、それで終わりだよ」
はぁ、と胸をなでおろす。
それと同時に
「良かったぁ!」「良かったですわぁ!」
といって、円香と縷々が佳奈に抱き着いた。
「おほぉ~~~」
それで佳奈が間抜けた声をあげる。
「え、なに? 急にどうしたの? すっげぇでっけぇおっぱいにダブルで挟まれてるんだけど!?」
「今だけはそういうこと言うのやめなさいよ、もう……」
「私達、謝りたいんです。佳奈さんに助けて頂いたのに前回も、それに今回も何もしてあげられなくて」
円香は人目も憚らず涙を浮かべていた。
あまり感情を表に出さない縷々も、今回ばかりは瞳を潤ませている。
「償いならなんでも致します! だから、これからもお友達でいさせてください!」
「ん? いまなんでもするって……」
「だからそれ以上はやめなさいって! だけど、私もごめん。自分のことばっかで、あんたの助けになれなかった……」
「あはは……陰キャの私とこうして仲良くしてくれるだけでも、十分幸せだよ。だから謝らないで……でもどうしてもっていうんなら、ぐへへぇ」
「えぇ、なんなりと!」
「円香も甘やかすなぁ!」
仲睦まじい姿をみて、ネコは安堵する。
だが、そこへ乱入者が現れる。
「神在月理事長! さっきの騒動に関してなんですがねぇ!」
禿げあがった初老の男……副理事長だ。
「ああ、いたのか。ならばちょうどいい。未遂とはいえ暴行を起こしたのだろう! 退学だ退学!」
その言葉を聞いて、佳奈は青ざめる。
しかし、義久はすぐに毅然とした態度でその要求を突っぱねる。
「いじめを行った牧野くん達を情状酌量の余地ありとして停学に留めたあなたとは思えませんな」
「ぐっ……しかし、だな……」
「聞けば、牧野くん達がこちらの有坂ネコくん対して、クラスメイト達の前であらぬ事を喧伝して貶めたと言います。また他にも多くの牧野達の問題行動を耳にしています。適正な処分を検討させて貰いたいですな!」
副理事長は額に青筋を浮かべ、わなわなと震える。
「その処遇については議論致しましょう。しかし、責任は――」
「責任ならば当然私とあなたでしょう!」
「なっ!?」
「このような事態が起きたのは確かにこの学び舎を預かる私の責任。しかし、この国の未来を担う子供達を預かる職に務めるならば、教え子の起こした問題はその教え子を預かる者が全ての責任負って然るべき! ただ一人の責任と追及できる筈がないでしょう!」
「はっ……確かに、一理……ありますな……」
その禿げ頭に汗がにじみ言葉に詰まる。これ以上下手なことを言えば、こちらにも余計な責任が飛ぶことを察知してのことだろう。
「では、処遇を決める会議については、外洋実験の後という事で」
「外洋実験については時期尚早だとあれほど……!」
「反対しているのは理事長だけですよ。それに、政府からの認可も得ている決定事項です。それでは、私は失礼いたしますよ」
逃げる様に去っていく副理事長の足音が遠くなるのを聞いて深々と義久はため息をする。
「あんな男を御せずに何が理事長だ……まったく」
愚痴を溢す様を見て、義継は悪戯な笑みを浮かべて彼女を労った。
「いえいえ、感動的な演説でしたよ」
「お前に言われると嫌味にしか聞こえないよ……さて、先程の副理事長の言う通りだ。牧野達の処遇は外洋実験が終わるまでは出せない。しかし、今回の一件もあって、彼女達も迂闊に手が出せないだろう。暫くは平和に過ごせると思う。なにかあれば、すぐにでも連絡を回してくれ」
そうして、義継と義久に見送られながら四人はクラスに戻っていった。
四人の背中を見送ったあと、義継と二人きりになった義久は思考を巡らせながら義継の方へと目を向ける。
「副理事長、ああも外洋実験を急かす訳が分かるか?」
「いいえ。伯母様は何か心当たりがあるので?」
「私にも無い。だが、何か企んでる事は確かだろう。緊急時は……わかるな?」
「お任せを。神在月家の名に恥じぬ働きを約束しましょう」
そういって、義継は目を細めて薄ら笑いを貼り付ける。
「ああ。飽くまでも、”裏”だがな」
その日の夜。
「ねぇ、佳奈。覚えてる?」
いつも通りゲームを遊び始めた佳奈の横で、ネコが穏やかな顔つきをしながら声をかける。かしこまった様子に、佳奈はすぐゲームを中断して向き直った。
「なにを?」
「ほら、ボクが夜に飛び起きてパニックを起こした時に落ち着かせる為に声をかけてもらったじゃない?」
「あぁ……そんな事もあったね」
照れ臭そうに頬を掻く佳奈を見て、ネコは微笑んで続けた
「みんなは貴方が好き。みんなは貴方を大事に思ってる。これって、佳奈にも当てはまるんじゃないかな」
「えぇ、そうかな?」
「そうだよ。縷々も円香も佳奈が大好きで大事に思ってる。理事長や義継も気にかけているし。みんなに愛されているんだよ」
そういうと、佳奈は顔から火が出そうなくらいに赤くして、うずくまってしまう。
そして、ネコの顔をまじまじと見て、すごく弱々しい声で口を開く。
「あの、それってさ……ええっと……その……ネコくんも私のことが……好き……?」
言われて、ネコも真っ赤な顔になって、顔を逸らしてしまう。
急激に心拍数が上がって喉がきゅうっと締まるような気分にもなっていく。
「も、もちろん……ボクも好き……だよ……あ、友達としてね!」
――好き。
なんでもない、自分でも言ったように、友達としての好き。
なのに何故、この二文字を意識するとこんなにも鼓動が速くなって顔が熱くなるのか?
二人の間に沈黙が続く。
静か過ぎて、お互いがお互いに自分の心音が相手に聞こえてしまわないかと不安になる。
「あの!」「ねぇ!」
同時に口を開く。
「佳奈からどうぞ」「ネコくんからお願い」
逆にかみ合わせが良すぎるほどに、二人の行動がひとつひとつ重なる。
やがて、おずおずとまた佳奈が話し始める。
「あの、えっと……今度の日曜日はどこかに遊びに行かない? み、みんなで……」
ネコは佳奈の発言にここまで天啓を得たのは初めてだった。
渡りに船とばかりに、ネコはその提案に食いついた。
「あ、そ、そう! ボクも同じ事考えてた! みんなで……縷々と円香と一緒に! なんなら義継もついでに呼ぼう!」
「どっ、どうする? カラオケとか?」
自分の感情に戸惑いながらも二人はその距離を少しずつ縮めて、複雑に絡み合っていく。
この感情の名前を知るのはもう少し後になる。
だが、同時に未だに終わらぬ試練もまた近づきつつあることは知る由も無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます