第12話「希望は未だ見えず」
授業が終わり寮へ戻ると、佳奈はソファで寝そべっていた。ずたずたに裂かれてびしょ濡れになった制服は床に捨て置かれていて、ジャージに着替えている。
「おかえり」
弱々しい、今にも消え入りそうな声だった。
「ただいま」
精いっぱいの作り笑いを浮かべながらそう返してネコは佳奈の傍へ腰かける。
どういう言葉を投げかければいいのか決めあぐねていると、先に佳奈の方から口を開く。
「お化粧、台無しにしてごめんね」
その言葉に、胸が張り裂けそうになる。
「謝らなくいいよ。化粧なら何度だって、いつだってしてあげるから」
「でも……」
「今はゆっくり休んで?」
佳奈の見えないところで、ネコは独りでに手を固く握る。それは、ネコにとっての覚悟の表れだ。
翌日。
今日も牧野達は佳奈の席を椅子替わりにして談笑していた。
「椅子から降りて」
ネコは真っ先に牧野へ向けて言い放った。
彼女達は鼻で笑い、退こうとはしない。
「言ったよね? 来ない奴の席だからいいでしょ」
「それとも忘れちゃいましたか~?」
それでもネコは毅然とした態度で引こうとはしない。
「椅子から降りるんだ。でないと無理矢理退かす」
「は? 何様のつもり?」
腹を立てた牧野はネコの胸倉を掴んだ。
「オイ……」
北山が小声でそれを止めると、舌打ちをしながら離して、彼女達は白けた様子でクラスから出ていった。
クラスメイトたちがざわつくのを尻目に、ネコは胸をほっとなでおろす。
授業の時間、牧野達は人気のない屋上でサボっていた。
「どーすんべ、佳奈の奴なんにも喋んなかったしよ」
「どうするもこうするもねぇよ……」
牧野は復学直前のことを思い出す。
停学処分として便宜を図ったのは紛れもない副理事長で、今回の復学を速めたのも副理事長だった。
そして、復学の際に言い渡された条件。それは有坂ネコの弱み、引いては理事長の弱みを握る事だった。
異例の編入。ネコにはなにか秘密があると副理事長は踏んでいて、その為に相部屋の佳奈と関わりのある牧野達を抜擢したのだ。
だが、佳奈は何も喋ることはなく、内心、牧野達は焦っていた。
もしも情報が得られなければ、今度は退学を免れないという。
「やっぱ本人ヤっちゃう?」
「しかないっしょ」
「超生意気だったしね~」
三人は悪い笑みを浮かべ、屋上を後にする。
ネコが食堂へ向かおうとしたその時。
「ちょっと面貸せよ」
「うわっ!?」
有無を言わさず、牧野達はネコの腕を取って、3人がかりで無理矢理に引きずっていく。
その先は、昨日佳奈が連れ込まれた場所と同じ、人気の無い西校舎のトイレ。
「生意気なんだよ、お前さ」
牧野が合図をすると、相模がネコを羽交い絞めにする。
「な、なにをするつもり!?」
「まぁ、脱がして裸撮ってってところかな? おっさんどもが喜んで買うんだわ、これがさぁ」
げらげら笑いながら、北山はスマートフォンを構え、牧野はポケットからハサミを取り出した。
「ひっ……」
全身から冷たい汗が噴き出して、震えが止まらない。肩がずきずきと痛んで、胃から中身が逆流しそうになる。
「うわぁああぁっ!!」
一心不乱の抵抗。
「んぐぇっ!?」
じたばたと力任せにもがいた拍子に、ネコの肘が相模の脇腹に当たる。
力が緩んだのを見逃さず、ネコは拘束から逃れた。
「こいつっ!?」
逃げるネコを掴もうと、手を伸ばす牧野。
襟を掴んだものの、取り乱したネコの力はそれ以上で全く止まらず、その弾みでブラウスが破けて肌が露わになる。
カメラで撮影していた北山は止めることができず、そのままトイレを飛び出した。
「あいつ……もしかして……」
一目散に逃げていくネコの背中を見て、牧野は一人呟いた後、嫌な笑みを浮かべた。
「ネコさん!!」
逃げ惑うネコの前に円香と縷々がこちらへ駆け寄ってくる。
裂かれた服を見て、事態を察した二人はネコを連れてそのまま西校舎の教室へと隠れる。
「わ、私、着替えを持ってきます!」
そういって、円香は走っていく。
緊張の糸が切れたのかネコは膝から崩れ落ち、身体はガタガタと震えて息も荒く、見るからに取り乱しているのがわかる。
昨日は怒りで我を忘れていたが、それでもネコの心に深く刻まれた傷。一度ハサミを向けられれば、その傷口は開いてしまうのも無理はなかった。
「どうして……なんでおにいちゃんが……」
「佳奈を……ひっ……守る為……だから……」
それを聞いて、縷々は雷に打たれたような衝撃を覚え、震えるネコの手をぎゅぅっと握りしめる。
「そんな……こんなになってまで……」
「それでも……ボクは佳奈を守りたい、助けたいんだよ……! 縷々はどうなの?」
「わ、私……私は……」
見つめるネコの目を縷々は逸らす事しか出来ない。
「私には無理だよ……前もそうだった……私、知ってたのに、怖くて……関係無いって逃げた……私は助けてもらったのに……!」
悔しさのあまりに、瞳から涙が溢れて止まらなかった。
自分に泣く資格など無いと分かっていても、もっと辛い目に遭っている人がいると知っていても、感情を抑える事が出来ない。
「持ってきました! 縷々さん……?」
息を切らした円香がやってきて、縷々は涙を拭う。
「ありがと、円香」
まだ強がっていたい。今度は助けたい。そう願って、縷々は立ち上がる。
「なぁ、やっぱり有坂さぁ……男だよな」
屋上で牧野が北山のスマートフォンを眺めながら、口にする。画面には、撮影していた動画が流れている。
そして、それは破ける瞬間も捉えていて、ネコの骨格が露わになっていた。
「じゃあどうする? あの先公に言っておしまい?」
「いや、それよりもさ、公開処刑っしょ」
三人は下品な笑い声を上げる。
そこへ、バンと扉を強く開け放たれる。
「あんたら!」
鬼のような形相で現れたのは、なんと縷々だった。
「あぁ? お前……佳奈とつるんでた奴か。ちょうどよかった、あんたのお友達のさ――」
「佳奈にちょっかいかけるのをやめなさい!」
牧野の言葉を遮るように、縷々は精いっぱいの声を振り絞って叫んだ。
「金輪際私達に近づくのも! 話しかけんのも! 全部全部やめなさい!!」
固く握りしめた拳は震えていた。
それでも。
正直、怖くて目を瞑ってしまう。
それでも。
今度こそ助けたいという純粋な思いで、縷々はここに立っている。
だが。
一瞬の静寂の後、牧野達は聞くに堪えない笑い声をげらげらと上げる。
笑っていられるのは自明の理だ。
「なんでやめなくちゃいけないわけぇ?」
3人は縷々に歩み寄りながら縷々を包囲する。
そうだ。やめろと言われてやめるなら、最初からやるわけがない。
縷々の無根拠で無鉄砲なそれは、彼女達には何の利点もない。
「私らは面白くて佳奈と一緒に遊んでるわけ。それを取り上げるなんて酷いなぁ」
「遊んでる!? あんなの犯罪よ、犯罪! いまは見逃されてもいつかは――」
今度は縷々の言葉が遮られた。
重い蹴りで。
「げほっ!?」
倒れこむ縷々に取り巻きの二人が集り、無理矢理に縷々の服を脱がそうとする。
「やめ……やめなさい! 馬鹿!」
縷々の罵倒など意にも介さず、牧野はスマホのカメラを起動する。
「はっ……脱がして撮る脱がして撮る、それしかネタが無いわけ? 程度の低い頭ね!」
強がった言葉は震えていて、目には涙が滲んでいる。
幾度もカメラのシャッターを切る電子音が鳴り、その奥でニタニタと牧野は笑う。
「だって、これが一番おもしれぇんだもん。あっはっはっは!! あっはっはっはっはっはっはっ!!!」
縷々の勇気が無為に消えたと思えたその時、3人が気づかないまま、扉の影でレンズが光った。
ネコが寮に戻ると、佳奈はあっと声をあげた。
「ど、どうしたの、ネコくん!? その制服……」
「えっと……ちょっとひっかけちゃった」
嘘だ。
佳奈にはすぐに分かった。
小学校、中学校といじめられ、教科書、ランドセル、鞄、体操服、大切なアニメのグッズ。なにもかもを戯れで壊され、汚されて、それを親に話すときの常套句。
それに似通った雰囲気を佳奈は感じ取れた。
「牧野だよね……? なんで、どうして……」
「あ~……佳奈の席を勝手に机みたいにしたのを注意したから、かな?」
「そんなの、放っておけばいいのに!」
「でも、そういうプランなんだ」
「プランって……?」
「君を助けたい。だからその為に義継と協力して、ボクが目を引く係、義継が裏で手を引く係って役割分担するプラン」
「そんなこと! 私……私なんかにそんなことする価値なんか……!」
「何度も言っているじゃない。君は優しくて勇敢で立派な人だ。ボクはそう思って――」
「そんなわけない!」
涙を溢しながら、佳奈は声を張り上げる。
その姿にネコも思わず言葉が詰まり、。そのまま佳奈は畳み掛けていく。
自分がどれだけ愚鈍か。どれだけ矮小な人間か。
「頭悪くて空気読むのもできないからいっつもいじめられて、親にも頑張りが足りないって、みんな頑張ってるって。弟のことだってそう。みんなに気に掛けられてずっとずっと妬ましかった! あいつのせいで私が苦しいって、死んじゃえって思ってた! あんな迷惑しかかけないクズなんか死んじゃえって……!」
ぼた、ぼた、と大粒の涙が落ちて、一緒に佳奈の奥底にずっと眠っていた感情が吐き出されていく。
ずっと、誰かに言いたかったこと。ずっと誰かに聞いて欲しかったこと。でも、誰にも言えないこと。聞いて欲しくないこと。
それを、よりにもよってネコに話している。ネコに叩きつけている。
けど、一度堰を切った濁流は抑えられなくて、言葉は雪崩のように止まらない。
「誰かに迷惑かけてばっかで、誰かを妬んでばっかで、人が死ぬことを祈ってばっかで……こんな世界、隕石が落ちた時に滅んでしまえばよかったんだって! 私はそんなことしか考えていない、最低で、最悪な人間なんだよ!」
嫌いにならないで、なんて虫のいいことを考えてる自分が恨めしい。
こんなことばかり考える自分が大嫌い。
そういう風にさせてしまうこの世界が大嫌い。
「お願いだから私を助けないで……守らないで……誰かに迷惑をかけるなんてもう耐えられない……」
誰か、じゃない。
もう誰かじゃない。
縷々ちゃん、円香ちゃん、そしてネコくん。
初めて出来た、大好きな友達。大嫌いなこの世界でたったこれだけしかいない、大好きなもの。そんなものに迷惑をかけてしまうのが、耐えられない。
「それでも、ボクは君を助けたい」
濁流に小石がひとつ投げかけられた。
たったひとつの、それでもとても重い小石のような言葉。
「ボクも、この世界が嫌いだった。どうして母さんはボクと父さんを置いて出ていってしまったのか、二人だけになってしまった家族なのに、母さんに似ているからって父さんはボクと離れたがっていた……」
ひとつ、またひとつと、ネコは小石のような言葉を投げかける。
「だから、そうなってしまうこの世界が嫌いだった。女の子の恰好は、そんなボクを脱ぎ捨てられる唯一の手段だったんだ」
目を伏せて、佳奈の言葉をただ黙々と受け止めていたネコが、今度はそれをせき止めるように言葉を重ねる。
「でもね、その手段のお陰で、みんなと出会えた。縷々、円香、もちろん佳奈とも。嫌いだった世界を、みんなのお陰で好きになれた」
そうして、爛漫と瞳を輝かせ、佳奈の目を見据えて、ネコは告げる。
「だから、君を助けたい。君を守りたい。また一緒に遊びに行こうって約束したから」
「何度も言ってるじゃん……私にはそうしてもらう価値がないって、そうやって気にかけて貰うのが耐えられないって……」
「それじゃあ、ボクもバカなんだろうね。本人に何度そう言われても頭に入らないんだからさ」
「そ、そんなこと……!」
「きっとそう考えてしまうほどに辛かったんだよね。でも、もう大丈夫だから、ボクに任せて? ね?」
最後の一言に佳奈はへたり込み声を上げて泣く。ネコはそれを泣き止むまで抱きしめる。
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