第5話「空を掴む」
ネコと佳奈の共同生活が始まり、二週間が経った。
流石に二週間ともなれば騒がしくなることも減っていき、学園生活に平穏が訪れていた。
「それでねぇ、その時のセリフが本ッ当にエモ! 主人公の感情に最も近しくて最も遠いコイツじゃなきゃ出ない怒りに満ちたセリフ……マジで尊い……」
昼食の時には校舎に併設された食堂でネコ、佳奈、縷々、円香の4人が集まって食事をしながら、佳奈がスマートフォンを見せて自分のハマっているゲームの話をして、それを真剣に聞くネコと円香、呆れながらも付き合う縷々という光景がいつの間にやら定着していた。
「佳奈さんは本当にゲームがお好きなんですねぇ。他にはどんなゲームをやっているんですか?」
「えっとねぇ、馬を擬人化した女の子を育成するゲームでしょ、めっちゃストーリー面白いRPGでしょ、これなんか、顔の良い女の子とか男の子とかいっぱい!」
「は~、ゲームの男キャラとか興味な――」
佳奈がスライドしていく男性キャラ一覧の一人に縷々の目が留まる。
長い金髪で身長も高く、少し中性的に見える王子様のようなキャラだった。
「お? 気になる? 気になる?」
「べ、別にそんなの! もう!」
佳奈のいじらしい顔に腹を立てた縷々取り繕いながらはデコピンをお見舞いする。
「いでっ」
そんな二人を見て笑う円香とネコ。
やがて、昼休み終了の予鈴が鳴り響く。
「ほら、次の授業遅れるから片付けちゃいなさい」
「は~い」
今日のミーティア実習は午後からだった。
あれから何度もミーティア実習を重ね、次の授業ではついに飛行訓練というところまで進んでいた。
しかし、やはり佳奈の成績は芳しくない。
離陸の授業の時に、ようやくホバリングでゆっくりとした移動ができるようになったぐらいなのだ。
佳奈曰く、逆上がりが出来なかったタイプにこのカリキュラムは厳しい。とのこと。
「遅れを取り戻せるかなぁ?」
「大丈夫だって。何なら、ボクが付きっ切りで教えてあげるから」
「うぅ……ごめんねぇ」
「いいっていいって。むしろこういう時の為にボクがここに編入したようなものだし」
そういって、ネコは胸を叩く。
本日のミーティア実習がはじまる。
「いい? 自転車と同じで変にゆっくり動くよりも多少は思い切りよく動くんだよ? 大丈夫、なにかあってもRSフィールドが守ってくれるから」
「う、うん……! わ、わぁっ!?」
言われる通り、思い切りよく動く。
だが、思い切りが良すぎて一気に加速し、驚いた佳奈は無理な体勢で急ブレーキをかけてしまい転倒する。
「ごめん、やっぱりゆっくり段階を刻んでいこうか」
何度も転倒、衝突を繰り返す内に佳奈のHUDでは右端のバーが点滅し、アラートが鳴り響く。
「な、なに? なんか変な音鳴ってるし、えふ、ゆー、いー、える? ってのが無くなりそう!」
「うん、こっちでもモニターしてる。燃料……つまりはエネルギーの残量が残り少ないって意味だね」
「え? なんで? いつもそんなに減らないじゃん」
「衝突と転倒を繰り返したからね。転んだ時とかの衝撃からボク達をしっかり守ってくれるRSフィールドも、ミーティアを動かすのにも、全部RS粒子を使っているから転びまくればそれだけ余分にエネルギーを消費するってこと」
「つまり……私のせいか……」
うなだれながら格納庫に戻り、作業員に説明してエネルギーを再充填してもらう頃には授業が終わる5分前で、片付けの時間になっていた。
「結局なにひとつ上手くならなかったぁ……」
「まぁまぁ、上級生が一緒なら実習以外でも使っていいと言ってたし、居残り練習しようよ?」
「それはそれでいやだぁ~~」
「だ~め。学校に居られなくなっちゃうよ。僕も居残り練習付き合えないか、先生に聞いてくるね」
そういって、ネコは教師の元へ尋ねると、ネコならば上級生の替わりでも構わないとのお墨付きを得られた。
そして、放課後を利用した居残り練習の許可も取り付けた。
「なんかさ、コツとか無いの?」
「コツ……う~ん、結局は思考で操作する訳だから、行こうとする場所を見据えて、絶対にそこへ辿り着く……そう自分に言い聞かせて思いっきり飛ぶことかなぁ」
「もっとわかりやすくて優しい奴ぅ~~!」
何度も基本に立ち返り、順を追って説明する。
浮く、駆ける、飛び立つ。
この3ステップを越えれなければ、次の飛行訓練を受けることができない。
だが、ミーティアの操作は感覚的な面が強く、佳奈にはその感覚が掴めずにいた。
自分ができないこともそうだが、それにネコを付き合わせている。
それが佳奈に重圧になって、のしかかっていく。
そうなれば、佳奈の操作には精細が欠けていく。
「うわっ……うぅぅ……」
また上手くいかず、1メートルほど地上から離れた辺りで墜落する。
恐る恐るネコの方を振り向くと、ネコは頭を唸らせてから、何かを決めた様に駆け寄ってきた。
「佳奈」
「はひぃ! ごめんなさい!」
「ん? 怒ってないよ?」
手を貸して立たせると、次にネコはある提案をする。
「ちょっと遊ぼうか」
「遊ぶ?」
「そう。佳奈はボクの手を握って、浮くことに集中して」
「手を握って、浮くことに集中……それぐらいなら……」
佳奈は言われた通りに手を握り、意識をホバリングに集中させる。
さしもの佳奈とて、何時間もの指導と練習のお陰でこれぐらいはなんとか熟せる様になりはしたが、それでも次のステップが上手くいかない。
「それじゃあ行くよ」
ネコがそういうと自身もホバリングを開始して、佳奈の手を引きながら誰もいない、雲間から漏れる夕陽に照らされ始めたグラウンドを、まるでスケートリンクの様に自由に滑り出す。
「わっ……」
「大丈夫、これぐらいならコンピューターが姿勢制御してくれる。ボクに任せて」
ネコの言う通り、佳奈のミーティアは手を引かれる動きに合わせて、ホバリングをキープできるように最適かつ無理のない姿勢を外骨格が誘導してくれた。
やがて滑る速度は速くなり、二人は風を切る。
「寒くはない?」
「大丈夫」
それはさながらフィギュアスケートのペアスケーティングのようで、佳奈の意識からただ浮くことに集中することは薄れ、それでもなお佳奈はホバリングを完遂していた。
「ねぇ、佳奈?」
「なに?」
「ミーティア実習の時間は嫌い? ミーティアを操縦するのはつまらない?」
「……言っていいの?」
「いいよ」
「……正直、楽しくない……出来ない事ばかり突きつけられて、みんなに置いて行かれて、こうして迷惑までかけちゃってる……だから、楽しくない」
「うん……それは仕方ないかなって思う。ここの授業はどうしても、早く動かせるようになって欲しいばかりで、みんなと同じことができるようになりなさいって、言われてるし……」
「そう! そうなの! 体育の授業と変わんないっていうかさ……」
自由に踊っていた二人は、やがてぐるぐるとゆったり円を描くように旋回していく。
「でも、佳奈。ミーティアっていうのはもっと自由に空を羽ばたくものでね? 空を自由に飛べるようになると、とっても気持ちよくて、とっても楽しくて、だから佳奈にもみんなにも、その楽しさを知ってもらいたい」
「楽しさ?」
「だから、ほらっ!」
一気に速度が上がり、そして地面へ向けて急激な噴射を行えば、ぶわっと二人は宙へと飛び上がる。
「うわっ!? わ、わあああ!?」
「大丈夫。大丈夫だから」
そのまま螺旋を描くように二人は空へ空へと飛び上がる。
「ひぃ……ひぃ……」
目を閉じながら、ネコに抱き着く佳奈。それを意に介さず、どんどん高度をあげて、そして高度30mほどで滞空する。
「ほら、佳奈。見て」
そういって、ネコは指さす。
「おぁ……」
佳奈は恐る恐る目を開くと、学校の敷地の先にある海と水平線が広がっていた。
「この空いっぱい、ミーティアは自由に飛び回れるんだ。大丈夫、怖くないんだ」
「う、うん……」
「反応薄いね?」
「私、風景とか見て感動~ってタイプじゃないし……」
「そっか。でも、ちゃんと飛べたじゃない?」
「え? だって、ネコくんが手を引いたから……」
「それでもこうして、空に浮いてる。さ、戻って練習の続き、しよ?」
そういって、二人はゆっくりとグラウンドに下りていく。
「でも、飛べるかな……」
「飛んで行く先は見せた。あとはそこを見据えて、絶対にそこへ行くって自分に言い聞かせるだけだよ」
「またそれ……まぁ、頑張ってみる……」
そうして、練習は続く。
だからすぐにできるわけでもなく、だが、何かを掴みそうで、そのもどかしさで揺れながら佳奈は何度も何度も空を目指して飛び上がろうと挑戦する。
二度、三度、四度。
ネコに手を引かれてみた光景を思い出しながら、繰り返す。
そして、ついに――。
ホバリングで浮き、そのまま十分な加速を経て、地面を急噴射。
そのまま高度を上げる為に加速。加速。加速――……。
「届け……届け……届け!」
地面に引っ張られる感覚……重力を感じながらも、それを振り切るために飛び上がる。
ネコが見せてくれた、あの光景へ。あの空へ。手が届くまであと少し――。
「――うわっ!?」
その瞬間、ガクンと速度が失われる。
慌ててエネルギーゲージを確認すれば真っ赤に点滅していて、集中のあまりにアラート音が聞こえていなかったことに、ようやく気づく。
「うわあああああああああっ!?」
絶叫しながら、佳奈は目をつむる。
「(ミーティアってこんな高さから落下して大丈夫!? いやでももうエネルギー切れかけだし!? やばいやばいやばい!)」
目を回しながら、急激な衝撃に備えて身構えた。
だが、思っていたよりも軽い衝撃……というよりは何かに途中で掴まれて、落下は止まる。
「あれぇ?」
「危ない危ない。でも、離陸成功おめでとう!」
屈託のない笑顔を浮かべるネコを見て、はじめて佳奈は離陸を成功させ、空へ羽ばたくチケットを得た事を理解する。
「私……そっか、やったんだ……えへ、えへへぇ……」
そうして、格納庫そばに降りると、辺りはもう真っ暗だった。それに曇りはじめていて星も月もなく、ようやく離陸に成功させた佳奈の心に暗い影を落としてしまう。
「はぁ……こんな時間になっちゃった。本当にごめんなさい……私がグズでノロマなばっかりにさ……」
すっかり気を落として、目に涙を浮かべながら身を縮こませて、へたり込んでしまった。
ネコはそれでも優しく微笑み、佳奈の傍に座る。
「そうでもないさ。こういう、辺りが暗い時にミーティアを装備してる役得ってのもあるんだよ」
「というと……?」
「結局、RSフィールドっていうのは粒子が行き交う力場な訳で、パイロットの操作次第である程度範囲も自由自在なんだ。だから――」
そういってネコが目を閉じて、念じる様に左手を握り込むと、ネコの身体の周りに光の粒が漂い始める。
やがて、それは球形となって二人を包み込んだ。
「ほら、佳奈。見上げてごらん」
「わぁっ……」
佳奈は息を吞んだ。
あろうことか、先ほどまで曇っていたはずが、一瞬にして星々が煌く爛漫な夜空へと変貌していく。
小さく煌く光が、佳奈の目前で右から左へと流れては消えていく。それがいくつもいくつも瞬いている。
それはまるで流星群のようで、普通ならあり得ないことに手を伸ばせば届く距離にその流星群は流れていた。
実際に手を伸ばしてみれば、走る光は手に当たって弾けて、まるで手のひらで星が砕けたような、そんな風に思わせる。
風景を見て感動などしない、などと言っていたが、こればかりは目を輝かせてはしゃぐ。
何の事はない。普段は目には見えないほどの小さな粒子を目に見えるほどのサイズまで濃縮し、それをプラネタリウムの様に展開しているだけだ。
けれども、お互いの吐息の音が感じられる距離で寄り添いながらネコの優しさが生み出した星空は、例え作り物だとしても佳奈の胸を打つのに足る物だった。
やがて花火が終わるように、作られた星空は消えていき佳奈の目には一筋の涙が流れていた。
それは自責の念で浮かべた涙ではなく、美しいものを見て感動した時に流す涙だった。
「すごいね……ネコくんはミーティアのことを何でも知ってる。ネコさんに色々教えてくれた人は、とってもネコくん想いの良い人だったんだね」
「……そう……だね……」
ネコの微笑みに少し、寂しさが混ざった。
寮に戻ると、二人は早々に風呂を済ませた。
「はぁ~、やっと遊べるぅ。お菓子も食べれるぅ」
「まったくもう、今日だけだからね」
居残り練習を頑張ったからか、今日のネコはいつもより優しかった。
しかし。
「あれ、あれっ……ふぎぎっ」
手が滑り、佳奈はスナック菓子の袋を中々開けられないでいる。
「しょうがない……」
「あ、まって……」
静止するのも聞かず、佳奈はハサミを手に取った。
ネコはそれを視界に入れないようにそっぽを向く。
「ん? どうかした?」
薄い金属が擦れる音と、じょき、じょき、という嫌な音がネコの鼓膜を打ち、右手の冷たさが全身へと伝わるように、ネコの身体は凍りつく。
右肩がずきり、ずきりと痛み出して、胃の中身がせりあがってくるの感じて耳を塞ぐ。
血の気は引いて、目が回る。どくんどくん、と心臓が嫌に早くなっていく。
やがて、カランとハサミを放り捨てる音がする。あろうことか、その場に放置したのだ。
「佳奈、それをちゃんと片付けてくれるかな」
震える声でネコは嘆願する。
「えぇ~、また使うかもしれないしいいじゃん」
おちゃらけたいつもの調子で佳奈は言う。けれどもこれだけは耐える事ができなかった。
「よくない!」
今までにないネコの声色に、佳奈は固まる。
「お願いだから、ちゃんと片付けて」
「……ごめん……」
慌てて放り捨てたハサミを引き出しにしまい、佳奈はネコに向き直る。
「片付けたよ……」
「ありがとう……」
ネコの右手は、かたかたと震えていた。
「急に大きな声あげてごめんね。ボク、もう寝るよ」
「うん、おやすみ……」
どれだけ走っても追いつくことができない。
どれだけ声を張り上げ呼んでも振り返らない。
そして、残ったのは声を押し殺して泣き、失意に沈む父の姿だけ。
「(どうしてぼくとおとうさんを置いていくの)」
憔悴した父をおいて、この国を離れた場所で、ネコはあの人を忘れようと努めた。
3年が経ち、顔も朧気になり始めた頃にその事件は起きた。
怒号、悲鳴、痛み、血。
そして、恐怖。
たくさんのハサミが落ちて、がしゃんがしゃんと金属音がいくつも鳴り響く。
まだ年も十になるかならないかというネコはただ叫んだ。無邪気に。すがるように。
あのひとを。
一緒に暮らしていたあの人を。
「おかあさん!!」
伸ばした右手の先は最近ようやく見慣れた天井。
「夢……うっ……」
胃からせりあがる物を感じて、ネコはベッドルームを飛び出した。
時間は2時をまたいだ頃。
佳奈は未だにリビングでゲームをつけたままでいた。
けれども彼女はそれに手をつけることはなく、ただただうずくまって、自分はどうしてこんなにも迷惑をかけてばかりなのだろうか。それを何時間と繰り返し考えていた。
出会ってすぐも、自分が転ばなければネコは本来の予定通り、義継と相部屋になり、佳奈は何も知らないまま遠巻きにネコを眺めるだけに終わっていただろう。
そうして、佳奈が何かやらかす度にそれを助けにネコが手を差し伸べる事もなく、ただひとりで全てが終わる日常。
今までがそうであった様に、今後もそうなっていただけだ。
そうしてもらう程の価値がない人間なのに。
なのに、それが惜しい。そんな生活に戻りたくはないと考えてしまう。
ネコや縷々、円香。たまに義継。
一緒にミーティア実習をやったり、食堂で話したり。
たった二週間。けれども長くて充実した二週間。
初めて、誰かといるのが楽しいと感じた。
なのに。だからこそ。
自分がやってしまった事が恨めしい。
たかがハサミを使っただけ? ハサミを放り投げただけ? そんな簡単なことで?
違う。
ネコにとってそれはとても重要なことで、できる限り避けたいことなのだ。
でなければ、あんな風に声を荒げたりはしない。
ああ。どうして、自分は迷惑をかけることしかできないのか。
佳奈の視界が涙で霞む。
そんな時だ。
ベッドルームのドアが強く開け放たれる。
「ネコくん……?」
尋常じゃない様子なのは見てすぐに分かった。
佳奈は思わず歩み寄る。
「ど、どいて……」
佳奈を退かそうとしたその時、ネコは胃の中の物をすべて吐き出した。
吐しゃ物が飛び散り、二人の服を汚す。
「うぎゃあっ!?」
佳奈は思わず飛びのいて尻もちをつくが、ネコがその場で倒れ込むのを見て、更に汚れることなど構わずに駆け寄った。
「ネコくん!? 大丈夫!? ねぇ!?」
身体を揺さぶり、安否を確認する。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
ネコはただひたすらに謝り続けていた。
意を決した佳奈はネコの上体を起こして抱き締める。
「大丈夫、大丈夫だからね。誰も怒っていないよ、大丈夫。みんなあなたの事が大好きだから……みんなあなたの事を大事に思っているから。だから大丈夫。安心してね。大丈夫……大丈夫…………」
何度も、何度も。ネコが落ち着いて眠りにつくまで。
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