第6話「過去」
再びネコが目を覚ますと、何故か下着姿だった。
ごうんごうん、と洗濯機が動く音が聞こえ、身体を起こしてみると、同じく下着姿の佳奈が掃除道具を片付けていた。どうやら吐しゃ物で汚れた服を代わりに脱がして洗濯してくれたらしい。
「あ、ネコくん。起きたんだ……ってぇ!? まままま、まってね!? いま服を着るから!!」
大慌てで洗濯カゴからパーカーを引っ張りだし、それを羽織る。
「ごめん。片付けさせちゃって」
「ううん、大丈夫。いつも私が迷惑かけちゃってるんだし」
二人の間にしばしの沈黙が流れる。
こういう時、いつもは沈黙に耐えられなくなった佳奈から話を切り出すが、今日はネコが口を開いた。
「話すよ。なんでボクがミーティアについて色々と詳しいか」
「いいの?」
「うん。なんだか今日は聞いて欲しいんだ」
ネコは穏やかな表情で話し始めた。
「本当はね、ボクは小さい頃。ミーティアの稼働実験のテストパイロットだったんだ」
それが例え、辛い記憶であったとしても。
それはネコが7歳の頃。
未だ隕石の爪痕が残るHALで、ミーティアの開発は行われていた。
どんなに寒い場所もどんなに暑い場所も、空気の薄い高高度だってへっちゃら。
しかもエネルギーは500㎖のペットボトル程度の量で何時間だって飛べる。
そんな夢のマシーンとして、ミーティアは産まれた。
根幹となるコアモジュールを作り出したのは、ネコの母親でもある有坂ネリ。
最初の試作機から、理論は完璧だった。
完璧すぎた。
ミーティアとのシンクロに適性のある者が装備すれば、その謳い文句通りに稼働したことだろう。
だが、当時の大人達に適性のある者はいなかった。
機体が動かなければ、開発も研究も続けられない。
そう告げられた有坂ネリを救ったのがネコだった。
ネコの適性は当時を考えればずば抜けて高く、試作機の稼働には最適だった。
そしてネコの体格に合わせた外骨格とメインフレームを父親である有坂隆文が用意して、一家総出の実験が始まった。
ただ飛ぶ事のみを期待していた両親にとって、ネコの活躍は想像を超えていた。
開発メンバーの誰かが見せたのか、飛行機の曲芸飛行を見ただけでネコはミーティアで再現してみせた。
最初は肝を冷やしたネリと隆文だったが同時にネコはミーティアのポテンシャルを次々に証明してみせて、いつの間にかネコが新しいマニューバを覚えるたびに褒められて、それがネコの励みになった。
ネリの祖国であるジャズフォック連邦の空軍が行ったとされるマニューバを披露してみせた時の顔は、今でもネコは強く覚えている。
だが、ある時。ネコは実験の予定コースを外れて、実験を放棄したことがあった。
どうしてそんな事をしたのか、ネコはもう覚えていないが、その日あった事が原因でネリと隆文ははじめて大喧嘩をした。
それによって生まれた溝は埋まらず、1、2か月が経った頃にネリと隆文は離婚した。
それ以来、ネリは行方不明。
ネコはHALを離れてリヴァルツァへと移り住むことになった。
見知らぬ土地、見知らぬ人々、見知らぬ環境。
母のことを忘れるのに、それらはちょうどよかった。
女装を勧められたのも、この頃だった。
見知らぬ自分。新しい自分。
不思議と抵抗は無く、内向的になりつつあったネコに笑顔が戻る。
そうして、3年の月日が流れた。
もうその頃には母親の顔など朧気になりつつあり、それでもいいとすら思っていた。
だが、傷痕が開くように事件は起こった。
場所はいきつけの美容院。
いつも通り、世間話をしながら髪のセットを頼んでいた時だった。
ネコの何気ない一言が……ネコですら、なんと言ったのか忘れてしまう程に何気ない一言がきっかけで、美容師は激昂し、ネコの肩に深々とハサミを突き刺した。
痛み、恐怖。
それらに侵されたネコが思わず叫んだのは「おかあさん」だった。
けれど、どれだけ呼んでも母は来なかった。
ネコが顔をあげると佳奈は鼻水を垂らしながら涙を流していた。
「な、なんで佳奈が泣くんだよ」
「話したら……ぐすん……きっと幻滅する……」
「そんなことないよ、話して?」
「でも……」
「大丈夫だから……」
「じゃあ……その、私……ずっとネコくんの事、羨ましかった。いつもキラキラしてて、自信もあって、頭も良くて……やっぱり、お金持ちは違うんだって……」
佳奈は、きりきりと痛む胸を抑えて、必死に言葉を紡ぐ。
「けど、ネコくんにはネコくんの辛い過去があって、それでも今まで頑張ってきて……なのに私にはなんにもない、何か積み上げてきたこともない自分が凄くみじめで、辛くって……もっと辛いのはネコくんなのに……私、ホントにあさましいよね……酷いよね……」
ぼた、ぼた、と大粒の涙が滴り落ちる。鼻水も垂れ流しで、見るも無残な泣き顔だ。
そういう佳奈に対して、ネコは飽くまでも穏やかで、なつかしさすら覚えている。
きっと、佳奈に抱きしめられて、優しい言葉で包み込まれたからだろう。
なら、今度は自分が。そう思いながら、ネコは佳奈の涙を拭う。
「ねぇ、佳奈。聞いて? この二週間、なんだかんだボクは楽しかった。君や縷々、円香と一緒にいられて、ボクにとって初めての同世代の友達で……手間はかかるけど、ボクは君に沢山のものを貰ってるよ」
「本当?」
「嘘を吐いて良い事ある? ボクはね、最初は部屋が汚いとか、頭突きをされた事を怒っていたけれど、今ではあの時に男とバレたのが君で良かったと思ってるんだ」
「どうして……?」
「う~ん、そうだなぁ。確かに不器用だけど君は誰かの為に一歩踏み出せるだろう? 詳しくは知らないけど、縷々や円香も君助けて貰ったって言ってたし、さっきのボクもそうだ。自信がなくてオドオドしちゃうけど、いつだって君は誰かの事をよく見ている」
「そんなこと……それは、私がただ人の機嫌をいつも伺ってるだけで……」
「けど、それで救われた人もいるんだ」
「でも、私……やっぱり鈍くさくてネコくんに迷惑かけてばっかだし、今日だって、ネコくんが辛い事も知らずにハサミを……」
全てを言い切る前に、ネコは佳奈の唇に人差し指を当てて、言葉を止める。
「もういい、もういいんだ。ねぇ、また佳奈の好きなゲームやアニメ、漫画の話をしてくれないかな?」
「な、なんで?」
「なんでだろう、ボクもよく分からないんだけど、佳奈とそういう話をしていると、なんだか凄く幸せで……だから、お願い」
「う、うん、わかった……じゃあ、最近始めた鉄砲の擬人化ゲームの話を……」
戸惑いながら、佳奈はいつも食堂でしているような、他愛のないアニメやゲームの話を始めていく。
最初は、涙声だった佳奈だったが、次第に穏やかな口調へと代わり、二人は笑い合いながら夜も更けていく。
やがて二人はソファでゆっくりと眠りについた。
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