鏡の中のキミ
久米米久
僕とキミ
少年の名前は"わたる" 苗字は知らない
彼は生まれてから1度も外の世界を見た事がない
気付いた時には毎日を薄暗い部屋の中で過ごしていた
チカチカと点滅する照明、部屋の中央に置かれた白い簡素なベッド、その横に置かれている木の椅子
壁に掛けられた時計
そして部屋の片隅に置かれている鏡……
生活感の欠けらも無い無機質な部屋
今日も"母親"を名乗るアイツがやって来る
ガチャ……
扉の鍵を開けて1人の女が入ってきた
女の伸ばした手に震えながら布団の中に包まり隠れる、が……それはすぐに乱暴な女に剥ぎ取られてしまう
「もう……! 手間をかけさないでッ」
「ひっ……」
女の怒気を孕んだ荒々しい声に少年は怯えた声を上げる、震える少年を押さえつける女、そして女のすぐ側に控えている大柄な男の声
「暴れるなッ! こいつッ! 」
荒々しい手つきで少年を力ずくで押さえる男
「いい加減にしなさいッ」
パァンッ!
「っ! 」
女の平手打ちが……わたるの顔を赤く腫らす
「うわあああん、痛いよおお、嫌だああ」
泣きじゃくるわたるの声を無視し女と男の暴力は続く……
暴れるわたるの身体を押さえつけ無理やり口を開けさせ"何か"をねじ込む
大人2人の力に幼い少年が適うはずもなくされるがままに少年は痛めつけられる
時には殴られ、叩かれ、鋭い針を刺され、
少年がいくら泣き喚こうがそれが止まることは無い、これがわたるの日常だった
味気ない食事、日々振るわれる暴力、
そんな少年の唯一の楽しみは部屋の片隅に置かれた"鏡"だった
どこに通じているのかその長方形の中にはいつも"彼"がいる、少年にとって唯一の話し相手であり気のおける"友達"
少年は"鏡"について何も知らない
部屋から1歩も出ることなく外の世界を目にした事のない彼には"常識"というものが著しく欠落していた
"鏡"……という概念を理解できない彼は長方形の中に映る自分の姿を、それが自分自身であると認識出来ない
そんな外界から隔離された彼に、唯一暴力を振るわない小さな男の子、
"鏡に映った自分自身の姿"こそが彼の唯一の友達だったのだ
「わたる、またアイツらに酷いことされたのか? 」
鏡に映った"わたる"が口を開いた
「うん……今日もなぐられた、ジンジンするよ」
そう鏡に返しながら自身の頬を押さえると鏡の中の彼もまた同じく頬を押さえる
「酷い奴らだな、大丈夫か? わたる」
「うん、へっちゃらだよ! 僕にはキミが居るから」
「あぁ、俺はいつだってお前を見守ってる」
「へへへ……こうしてキミと話してると楽しいんだ」
鏡に向けてわたるが笑顔を向けると鏡の中の彼も同じくわたるに笑顔を返す
「俺も楽しいぜ、わたるっ」
「うん! へへ……」
鏡の中の少年が寂しげに俯きながら言う
「でもな、俺はこうしてお前の話し相手になってやる事しか出来ないんだ……直接お前を助けてあげたいけど、それは出来ないんだ……ごめんな」
するとわたるも同じく寂しげな表情でそれに返す
「あやまらないでよっ……キミは何も悪くなんかないっ! 悪いのはアイツらだよ……」
「そうだな、アイツらは最低だよな」
「うんっ……あんなの僕の母親じゃない」
「なぁ、わたる……もし俺がここから出られたらさ……」
鏡の中の少年が含みを持たせるように間を空ける
神妙な顔つきで鏡の中のわたるがわたるの目を真っ直ぐと見つめる
「俺がそいつらを殺してやるよ」
笑顔で彼はそう言った
少年は彼の言葉に不思議そうに返す
「え? キミが……? こ、ころ? ころすって何? 」
「んー分かりやすく言うとだな、悪い奴らが居なくなる、って事だよ」
「アイツらがいなくなるの……? そんな事が出来るの……? 」
「あぁ、出来るぜ、俺ならな」
「本当に!? 」
「俺がわたるに嘘ついた事あるか? 」
「ないよ、いつだってキミは僕の味方だもんっ」
「だろ? もし出られたら必ずお前を助けてやる」
「どうしたらキミはそこから出られるの? 」
「簡単だよ……わたる、お前が協力してくれればすぐさ……」
鏡の中の彼は不敵な笑みを浮かべてそう言った
見つめ合う"2人の少年"……
彼に触れる事が出来ないわたるは鏡に手を伸ばす
平らでなめらかな冷たい感触……でも"彼"は確かにそこに存在する
鏡の中のわたるが口角を僅かに上げながらわたると同じく手を差し出して言う
「わたる、その身体、俺にくれよ」
「僕の"からだ"? 」
「俺も"久々"にそっちに行きたいんだ、頼むよ」
「……」
頼み込む彼に少しの間を空けるも彼の頼みを拒否する理由はわたるにはどこにも無い
どんな時でも親身になってくれた彼こそがわたるの心の拠り所であり全てだったからだ
「いいよ、僕のからだ……キミにあげるっ」
「ハハッ……ありがとなぁ……わたる」
2人の少年が鏡に向かい笑顔を交わし合う
わたるは穢れを知らない純粋無垢な笑顔で
彼は歯をみせながら瞳を歪ませ邪悪を詰め込んだような笑顔で……
やがて不思議な光がわたるの全身を包む
鏡から放たれた青白い謎の閃光がわたるの身体を駆け抜けわたるが驚き瞳を閉じる
しばらくして目を開ける……
鏡には誰も映っていない……
「そっか、ちゃんと渡せたんだね、良かった……」
わたるは目の前から姿を消した彼に安堵する
それからどれくらいの時間が経っただろうか、不思議とお腹は空かないし眠くもならない、
意識はフワフワとしたままずっと鏡の前に座り込むわたる、
見渡す限りの黒い空間、
鏡以外には何も無い闇の世界
鏡の向こう側にはわたるが閉じ込められていた無機質な部屋の景色が見える
「早く戻って来ないかな……1人は寂しいよ」
両膝を曲げて手でそれを覆うように三角座りの姿勢で座り込むわたる
しかし彼が戻って来る事は無かった
待てども待てども……鏡にその姿が映る日は……
二度と訪れはしなかった
「そういえば……彼の名前は何だったんだろう……もし会えたら……聞きたいな……」
鏡の向こう側から何やら人の声が聞こえる
大人の男達の複数の声、
「ここがそうか……」「酷い話だな……」
「可哀想に……」「女手一つで大変だったろうにな……」
わたるにとっては大人は皆敵だった、
複数名の鏡から聞こえる声に急いで身を隠す
そんな中、一名の男が鏡を覗き込む
「っ! 」
男と目が合ったわたるが怯えた様子で口を開く
「あ、あの……ぼ、僕は……」
しかし男はわたるの言葉に無反応であった
白いシャツに紺色のスーツに帽子……
"警察官の男"は鏡に映る自分の顔を見て帽子を被り直す
「先輩〜この鏡どうします〜? 」
「ん? まぁとりあえず運び出すしかないよな、どうせ家具は全部処分するんだ」
「了解ですっ」
わたるの見ている鏡の中の景色が歪む
「え……え? 」
部屋にいる警察官が鏡を持ち上げて外に運び出す
誰1人として鏡の中のわたるに反応する事なく
捜査は続く
「ま、待ってよ! 処分って……ぼ、僕はここに居るよ! ヤダよ! 捨てないでよ! 」
必死に叫ぶわたる
だがその声は……誰にも届くことは無かった
警察官の1人が1冊のノートを読んでいる
以下、わたるの母親の日記である
【〇月✕日】
今日もあの子のためにお医者さんを招いた
処方された薬で"あれ"が表に出る事は無くなったとはいえ、わたるは薬を嫌がる、私だってあの子を苦しめたくはない……"あれ"の起こした事件のせいで夫が自殺してしまい数年が経つ、
毎日がとても辛い……それでも残された私があの子を救わなくては……わたるを救えるのは私だけ
【〇月✕日】
私はなんて事を……今日ついに私はあの子に手を上げてしまった、ごめんなさいわたる、それでも薬と鎮静剤を打たなければまた"あれ"が出てきてしまう、わたるの"病気"を治すためには必要な事……
"あれ"を消し去る事が出来たなら……今まで連れて行ってあげられなかった場所へたくさんわたるを連れて行ってあげよう……美味しいご飯……楽しい遊園地……病気のせいで今までたくさん辛い思いをしてきた私の最愛の息子……ごめんね、わたる
本当にごめんね……
【〇月✕日】
わたるの病気についてお医者さんから詳しい話を聞き、私なりにそれを勉強してみた、わたるの病名は"
いわゆる二重人格、という病気との事だ……
幼い頃のトラウマや辛い経験によりもう1つの人格が形成されてしまうらしいが不思議な事に私にはそんな心当たりはない……
"あれ"はある日、突然現れたように思える
この家に引越ししてすぐの事だった、家に元から備え付けられていたベッドや"鏡"を見て新たに家具を買う必要がなく助かったと夫と喜んでいたら部屋にいたわたるが突然家から外に飛び出し近所の人を刃物で切りつけ出した……
思い出すだけで目眩がする……今日はもう休むことにします
【〇月✕日】
昨日の続きを書き記します、それからというもの時々わたるが別人のようになって暴れる事が多くなりました、お隣さんの飼っている犬を絞め殺したり家に訪れた夫の職場の上司を包丁で切りつけたり、
やがて夫は精神を病み自殺してしまいました……
私ももう限界です、わたるの病気は治療法がないらしくお医者さんもお手上げとの事で私には祈る事しか出来ません、このままずっとあの子をあの部屋に閉じ込めておくのも心苦しくて辛いのです
そうだ、わたるが落ち着いた様子なら久しぶりに少し外の空気を吸いに散歩に連れて行ってあげよう
お医者さんは危険だからと言っていたけれど薬が効いて落ち着いた様子ならきっと大丈夫なはず
日記はそこで途切れている、
翌日ひとつのニュースが全国に放送された
〇県✕市の一軒家にて1人の少年が母親を刃物で何度も切りつけ殺害するという衝撃的な内容……
……犯人は今も逃亡中である
~完~
誰の身近にもあるであろう"鏡"
古くから鏡には不思議な力が宿ると言われています、時にそれは信仰の対象であり時にそれは畏怖の現れであったり……
夜、鏡を見てゾッとした経験……皆様にもありませんか?
人間の本能、危機を察知する第六感というのは神秘的な力です、もしあなたが鏡を見て"何か"を感じたなら……それは真実なのかもしれません
鏡の映し出す真実、それは果たして
幼い子供の想像力が生み出したのか、
それとも鏡に宿った不思議な魔力なのか……
鏡の中のキミ 久米米久 @Sakisaka_meron
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます