🐯その2 焼き鳥が出てくる話

寅衛門「……焼き鳥、か」

寅吉「好きですが。好きですけれど」

寅衛門「いったいこのお題、どうすればいいのか」

寅吉「ここはひとつ、資料に頼りましょうか」

寅衛門「よっし、じゃあちょっと探してくるか」

寅吉「いってらっしゃいませ」


寅衛門「はい、そしてここにご用意したのが明治二十四年に発行された渡辺光風著『立志之東京』だ」

寅吉「西暦1909年ですね。この年には(年表めくりめくり)、おお、伊藤博文公が暗殺された年ですか。……明治維新の立役者がまだまだ存命だった時代ですね」

寅衛門「作者の渡辺光風は歌人で、東京市の文化人と多く交流を持っていた。そんな広い交流の中の一人であった東京市長の勧めもあって、当時の東京市の世相風俗を描いた随筆が『立志之東京』だ」


寅吉「目次を見ると面白いですね、東京で働いていた人たちの生活費が職業ごとに書かれておりますなあ」

寅衛門「官吏、商人、労働者というのがその内訳だな。食費の中に具体的に魚類や牛乳といった品名もあることから、当時、その階級にあった人たちが何を食べていたのかを知ることができる資料だ。しかもおおよその価格も書かれている」

寅吉「……上京者の注意とか、就職の注意とか、なかなか至れり尽くせりの内容ですな」

寅衛門「一つ一つ見ていくのも興味深いが、今回は焼き鳥だ。お題を忘れるな」

寅吉「おっとそうでしたね!ええっと、焼き鳥、焼き鳥……あった」


――夕闇ほの匂う頃から夜にかけて、吉原土手、神田明神下、京橋八丁堀、銀座京橋橋詰はしづめ等を通ったならば、鰻屋流の団扇うちわの音と共にえならぬにおいが芬々ふんぷんきたる。甚□旨いものをこしらえているのかと思って、鼻をぴょこつかせながら入ってその実物をあじわって見ると、臭いの割合に旨くもないが、悪味まずいと云う程でもない。正味の鶏肉ではなかろうが、焼鳥とあるからには、せめて鶏の臓物位は使っているだろうと考える人があるかも知れないが、ところが大違い、其の材料を聞くに及んでは実に呆れざるを得ない、そして二度と再びこんなものをたべようとするものはなかろう。(『立志之東京』より引用。一部旧仮名遣いを現代語に直してあります。また□は難読漢字というか消失した旧字が使われています)


寅衛門「雰囲気的にはわかるな。今の焼き鳥屋とおなじような感じだ」

寅吉「雰囲気はわかりますが、いや、後半がオカシイ。鶏の臓物を焼いたものが焼き鳥という概念もなかなかショッキングですが、どうやらそれですらない気配が濃厚じゃないですか」

寅衛門「いうて、鶏レバーも臓物だぞ? ハツとかボンジリとか」

寅吉「……それですらないんですよね? 明治の焼き鳥は」


――大部分は縁なき他のものを使ってあるのである、他の縁なきものとは何か曰く下等な馬肉、狗の肉、猫の肉、それから牛、馬、狗の腸である。(『立志之東京』より引用。一部現代語に翻訳してあります。)


寅衛門「鶏ですらなかった!」

寅吉「牛や馬の腸はまだモツという概念がありますが、犬や猫ですか……」

寅衛門「食肉偽装も甚だしいが、これが1909年」

寅吉「100年前、まだ日本人は犬も猫も食べていたんですね……」

寅衛門「肉食の文化が公になったのが明治維新後。犬や猫を食べなくなったのは第二次世界大戦後のアメリカによる統治時代の影響だろうなあ」

寅吉「けっこう最近までいろいろ食べていたんですね」


寅衛門「いうて最近は昆虫食なんていうものを流行らそうというムーブがあるだろう」

寅吉「バッタ、おいしいですよね。秋のバッタがワシは好きですなあ」

寅衛門「儂らは猫だから、おやつ代わりにバッタを捕まえてよく食べる」

寅吉「しかし人と食物資源を奪い合う時代がついに来てしまいましたか」

寅衛門「……でも、ちゅ~る出されたらバッタは食わんだろう」

寅吉「あ、それはそうですね」

寅衛門「争いにはならないと思うぞ」


引用文献:渡辺光風「立志之東京」博報社、明治42年発行 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801152 


作者註

 この本は志をもって上京した若者を対象とした「東京生活の心得」本です。本の最後では、当時就職難であったホワイトカラーにこだわろうとする若者に、就職をホワイトカラーの職種のみ限らず商業工業への道を選択肢に入れ、満州、北米、南米に向かうべし、との進路を示しています。日系移民の歴史は、まさにこの頃から始まっていたといえるでしょう。

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