第2話 西里先生へ

(そういえば、前話のコメントの往復をご覧下さいね。僕はあの東大には受かってませんよ。)


 今年の卒業式には桜は咲いたでしょうか。季節の変化の中でお体を自愛下さいませ。

 去年僕は福岡高校を卒業しましたね。1年間の授業、そして折々の補講や個別指導、ありがとうございました。

 高校時代は波乱だったもので、軽々しく人生が変わったなどと普段から言っている訳ではないのですが、確かに変わった、と思えるような人に沢山出会えました。西里先生にお会いして、僕の人生が方向付けられました。


 僕を西里先生は啓蒙して下さりました。詳細な授業は含蓄に溢れ、常に発見の連続でした。教科書の精読も先生がいなければもう少し場当たりなものになっていたことでしょう。特に興味を持ったテーマは、公権力から独立していく豪農、一方的な収奪とは思えない庶民の反抗・怠惰・参加の中での封建制、1920年代後半の庶民の共産主義の台頭と政党制への反感等々、無名の民衆達の政治参画ですね。


 これはこの際だから言えることなのですが、僕は以前一般的に学校の先生をどこか見くびっていました。教科書で殆ど分かる授業を繰り返し、そして市販の問題集でできる練習問題を課す、という姿に。今となっては、授業を企画することや、教科書よりも遥かに大きな学習をした後にそれを要約するという作業があるという存在を知り、それは僕にはできないな、と感じるようになりましたが。(しかし宦官のように、方法が分かっているのにできない、という評論家の地位は何なのか、僕にはまだわかっておりません。それでも評論を続けることは傲慢ではないか、と思うのです。)

(前の文は、入れるとウザくなるので割愛するか悩んでいます)

 そうした中で、いつしか先生が仰った「様々な参考書の内容をブレンドして作成した」授業というのはまさしく多くの無知との邂逅でありました。


 僕は進路の関係上研究までは行いませんが、歴史への興味はこれからも持ち続け、読書を続けようと思います。最近では、古代官僚の怠慢について触れた本や、蘇我氏の興亡という本を読みました。


 論述の時はご迷惑おかけしました…。僕は体育とかに特に多いのですが、初歩の初歩こそ一番苦手な時がありまして、それがこの度は出題の内容を推察する力だった訳です。ここに関しては、大学の中でどれだけ自分を鍛えられるか、そこになりそうです。


 それでは、いつかまたお会いできたら嬉しいです。

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