第38話 ラット

「・・・こりゃ酷ぇ」


破かれていても分かる質の良い服に、普通に暮らしてちゃ成りようの無いきめ細かい肌。


体中傷だらけで特に尻は内出血で紅くなり、首には思いっしき締め上げた跡が付いていて犯人の性癖も分かってしまおうというもの。


俺はせめてもときつく締められたコルセットを外し、人眼に付かない場所に横たわらせた。


本当なら布でも掛けてやりたいが、生憎持ち合わせは無いし、周囲にそれらしい物も無い。


「・・・食ったなら食ったで殺すこたぁねぇだろうに。貴族は外道だなんだって言っておいて、どっちが外道なんだか」


否、この世に外道じゃない奴なんて数える程しか居ないのだろう。


「おめぇは変わらず優しいなぁ。おい」


「一人で外出歩くなんて珍しい。何か用でも?」


「いやぁなんだ。この路地もじき終わる。どうせ最期なら世話焼いた奴の顔見てぇってのが老爺心ってやつだろ」


「ははっ。老爺ってタマでも無いでしょうに」


趣味の悪い装飾をじゃらじゃらと鳴らし、外道を幾百人と鍋にぶち込んで煮詰めた様な顔をしている男は、この路地を取り仕切っている内の一人でいわゆる、いや、文字通り悪の親玉だ。


この国でも五指に入る程の悪党だが、俺の恩人でもある。


「お前はどうせまた碌でもねぇ事に首突っ込んでるんだろうが、まぁ、来いや」


「は、はい」


誘われては断る訳にはいかない。


ついて行くととあるアパートの一室に招かれた。


思ったよりこじんまりとした印象で、少し面を食らう。


「意外か?」


「まぁ、ええ」


ここは俺が昔使ってた隠れ家みたいなもんだ、と老爺は床板を外して酒瓶を取り出した。


受け取ると結構な年代物の酒精の強い酒で、売ればこれだけでも暫く食うに困らない程の銘柄のラベルが貼ってある。


「そいつは餞別だ。さっさとそれ持ってこの国から逃げやがれ。お前が守ろうとしたものも、人々の営みの影すらもここからはじきに無くなっちまう」


床下からもう一本取り出すと、その場で栓を抜き語りだす。


「光が差せば影が出来て、闇に包まれれば灯りが灯る。それくらいが丁度良いのさ。完璧な社会なんざ存在しねぇ、人が人である以上あぶれる奴は出てちまうからな。反体制派だなんて言うものなんてのは一時的に強くなる事はあれど基本は体制にあぶれた破落戸の受け皿として生かされてる事を忘れちゃなんねぇ」


「・・・これからどうするんですか?」


老爺は空になった酒瓶をそこらに放る。


普通あの量の酒を飲み干せばくたばりそうなものだが、目の前の悪人が臥す様子は想像出来ない。


「そりゃぁまぁ、今まで通りよ。適度に奴らの鬱憤晴らさせてやり過ぎな奴は見せしめにする。そんでもって政権が持ち直すまで小さな光が消えねぇ様になんとか持たせれば俺も地獄から迎えが来るだろうさ」


「・・・」


あなたがそこまでする必要はあるのか、と尋ねようとするとその顔を見て黙ってしまった。


何が何と言おうと覚悟は曲げないつもりなのだろう。


「・・・あなたには旦那と、いやバートレイ卿と繋げてもらった恩がある」


俺は頭を下げた。


「何を言いたいのかは何となく分かるが・・・そんなもん忘れちまえ。ありゃ、バートレイの野郎に手頃な密偵が欲しいと言われて仕事をさせろと喚くお前を押し付けただけだよ。全く。こんなに嗅ぎ回れるネズミならあいつに渡すんじゃなかったぜ」


老爺は立ち上がった。


話は終わりだという事だろう。


「だったら俺も好き勝手やらせてもらいますよ」


「はっ。勝手にしやがれ・・・そんだったらまぁ、これやるよ」


受け取ったのは数えるのが面倒になる程傷ついたジッポライターだった。


「妙に頑丈なだけが取り柄の代物だ。ジジイのお下がりなんて嫌だろうがお守りだと思って持っとけ」


「あ、ありがとうございます」


老爺の姿が消える。


「はぁ」


まさか反霊契術社会を謳う集団のトップもまた霊契術師だと知っている者はどれほどいるのだろうか。


まぁ、彼は国が開く契約の儀を経ずに契約したいわゆる非正規術師で国も知らないし、立場上話すこともないから俺と数人の側近くらいか。




俺もアパートを出て再び目的地へ足を向ける。


向かうのは反体制派が集まっているという場所だ。


相手の動向が知りたいなら相手の味方になってしまうのが一番手っ取り早い。


辿り着くとそこは大きめの広場で、奴らの仲間だけでなく雑多な路地裏の住民達も集まってきていた。


屋根も壁も遮蔽物も無い。


アーテリアなんかの攻撃を恐れていないのだろうか。


否、今上はてんやわんやでここまで手が回らない事を知っているのだろう。


「皆!聞いてくれっ!今こそ俺達が主役となる時だっ!」


リーダー格と見られる男が演説を始めた。


アムレザル軍がもうすぐこの街までやってくる事。


自分達はそれに合わせて武装蜂起を起こす事。


参加しない者は巻き込まれない様に家に籠もる事。


刻限が迫っているからか今までのものよりも実の入った演説だった。


新たによってきた奴ら向けに演説の内容がループに入ったというタイミングで群衆を抜け出す。


充分に報告に足る内容だ。あれ以上留まったところでリスクを高めるだけだ。


さっさと封書を作らねばと思ったその時だった。


直感が命の危険を伝える。


何故。そう思う間もなく俺は体を捩った。


頬を掠める爪の様な何か。


「お前、密偵だろ?」


「へぇ、それで直ぐに刺してくるたぁどうにも物騒過ぎるな」


振り返ると黒いローブを羽織り、指から伸びた爪を縮めこちらへ向け直す男がいた。


「まぁ、こんなご時世だしなっ!」


また貫かんと伸びてくる爪。


俺は何とか避けると、ポーチから小麦粉玉を取り出し投げつけた。


勿論唯の小麦粉だ。何の攻撃にもならないが、俺は相手の注意が逸れた瞬間狭い路地へ駆け込んだ。


走る。走る。走る。


ここらの路地は都市計画がずさんな故にめちゃくちゃな作りになっている。


逃げるには丁度良い。


直線になれば奴の爪が伸びてくるにしても一対一なら逃げ切れる。


が、当然そんなに世の中は上手く出来ていない。


奴らは組織だ。


当然他の追手が居てもおかしくは無いのに俺は逃げるのに夢中でその可能性を失念していた。


「・・・っ!」


「いたぞっ!こっちだ!」


してやられた。


前からは複数人の男達が迫り、後ろからは爪男がこっちに向かっている。


前から来る男達は手を出して来ないという事はアルターエゴを飲んでいないか、戦闘に向く能力を手に入れて無いかのどちらかだろう。


もしそうだったとしても俺の力じゃ突破出来ないのでどうでも良いのだが。


「終いだぁっ!」


爪男の顔が角から覗いたその時、俺は背後にあったドアを蹴破り、逃げるのでは無く、扉の裏に隠れ老爺から貰った酒瓶を握って構えた。


ここは破落戸の掃き溜めだ。使われている家より空き家の方が多いし、なんなら路地裏の住人は勝手に住み着き掃除なんてせずに去っていく。


入った家は案の定"埃っぽかった"。


都合が良い。


俺は入ってきた爪男の頭を酒瓶で殴り、中身をぶちまけると、埃を立てながら爪男とは反対側に移動した。


男は頭を抑えながらも反撃しようとするが狙いの定まらない攻撃など当たる訳が無い。


「殺生はしない主義なんだが」


生きる為なら仕方がない。


俺はポーチに入っていたありったけの小麦粉玉を破き空中にばら撒くとジッポライターの打金を鳴らした。


あの人には悪い事をしたが、まぁ許してもらえるさ。


窓なぞ締め切られた空間に大量に舞った埃と小麦粉。そこに火種が加わったとすれば分かる奴にはもう結果は火を見るより明らかだろう。


大爆発が起きた。


酒精の強い酒を浴びていた爪男は燃え盛り、俺は吹っ飛んだ壁と共に外へ投げ出される。


そして当然こんな所に建ってる建物なんて碌な建て方をされている訳が無い。


俺は建物が崩れ落ちる前に体制を立て直し駆け出した。


空に広がる黒煙と物の焼ける臭い。


それこそこんなご時世だ。大した問題にはなるまい。


俺は雇い主に報告するために隠れ家へ急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る