第35話 二人(後編)

職場のある上流街を抜け、あいつの家があるという中層街へ入る。


「・・・まだこんなとこ住んでんのか」


住所が指し示すアパートまで辿り着く。


その建物には既視感があって、ふと以前体調を崩したアリサの様子を見に来た時の事を思い出した。


それこそもう何年も前の事で私とアリサが先輩後輩の仲だった頃の話だ。


ドアをノックする。


静かで覚束無い足音がしたと思うと、弱々しい声が聞こえた。


「・・・誰ですか」


「私・・・いや、俺だ。どうせ誘ってくるだろうと思って仕事を早めに切り上げちまってな。誘ってこないもんだから暇なんだよ。酒はある。一緒に飲まねぇか?」


公の場では使わないテンションで呼びかけたが、反応は無い。


暫くしてまたノックをしようと思った時、アリサは扉を開け手招きをしてきた。


扉の向こうから覗く彼女の表情は落ち込みきっていて、いつもの元気は見えない。


・・・正直適当に酒でも飲ませれば大丈夫だろうとは思っていたが本格的に話を聞かなければならなくなりそうだ。




扉を潜り中へ入ると暗かったが、部屋は整頓されていて錯乱した様な跡は無かった。


いや、する前に来れたというべきか。


「暗いな。明るくするぞ」


暗い部屋で籠もるのは精神的にも参ってしまう。


部屋が明るくなると、アリサはとぼとぼとではあるが、二人分のグラスを持って机に置いた。


「割ります?」


「いや、俺はそのままで良い。そんなに強くない酒だからな」


「じゃあ私もそれで」


栓を抜きグラスへ注ぐ。


二人向き合って座るとお互いにちびちびと飲み始めた。


「先輩からなんて珍しいですね」


「言ったろ?時間が余ったって」


「娘さん達の所へ帰らなくて良いんですか?」


「・・・」


言葉をそのまま受け取れば良いものを・・・


「・・・まぁ、なんだ。どこからかお前が傷心だって聞いたんだよ」


「それで口説きに?」


「励ましにだよ」


「ちぇー」


酒が回って来たのか態度が軽く、饒舌になってきたアリサ。


だが、まだ大事な事を聞けていない。


「んで、何があった?」


俺が聞くと少し言い淀みながらも言葉を捻り出してくれた。


「先輩は、霊契術が使えない人達の事をどう思っていますか?」


「当然守るべき国民だな。霊契術という力を持っている者としても。軍人としても」


「私もそう思っていたんです」


アリサは続ける。


「けど、今日ある人にそんなのは偽善でしかなくて本当は使えない人達の事を軽く思っているに違いないと言われて・・・ハッとなったんです。心の中で彼らを軽視してる自分がいるって」


彼女の涙がテーブルに滴った。


「先輩。私はこの国に、そこに住まう人達の役に立てているのでしょうか、実は独善を押し付けて殺し、陥れているだけなのではと、私は私がそんなどうしようもない人間ではないのかと考えるだけで・・・怖くて」


どうにも答えづらい質問だ。


だがこれを語る彼女は涙を流して震えているのだ。


俺は口を開く。


「あえて厳しい事を言えばお前がそう思うならそうなんだろう」


彼女は俯く。


「客観的な意見なんてこの手の悩みには何の手助けにもならん。そんなもの、誰に聞くかで変わってしまうしな。救国の英雄がいたとしてその国を飲み込んでさらなる発展を目論んでいた国の人々からすれば害悪以外の何者でも無い様に立場も違えば意見も変わる。今回の事で言えば俺から見れば霊契術師達はその全てでは無いにしても立派に国を守り、発展させ、霊契術を使えない人々も引っ括めて良い方向に進もうと努力している風に見えるし、そいつからすれば利益を独占して使えない人々から搾取している無慈悲な奴らに見える訳だ」


「そんなことは分かって・・・」


「それでも納得は出来てないんだろ?」


俺はグラスに残った酒を一気に呷る。


「大事なのはそういう客観的な意見は別に自分で自分をどう定義するかだ。ありていに言えば自分を誇れってな。損してる奴らがいる?恨みをぶつけてくる奴らがいる?当たり前だ。彼らも私達も人間で、住まう社会がある。社会を動かすにはリーダーという上に立つ存在必要だし、集団である以上貧富の差や能力の差なんてのは有って当たり前。別に僻んだりするのは自由だが、それに揺さぶられてちゃあもっと落ちてくだけだ」


アリサが反論してくるような素振りは無い。


「だからさ。世間体とかそういうのは別にこっちはお前らを守ってやってんだぞとお前らの方がわからず屋なんだと胸を張れば良い。今回はお前の社会貢献の方法が殺しで、なおかつ標的になるようなのが霊契術を使えない奴が多かったってだけだ。まぁ、誇り過ぎるのも駄目だがお前はそういうのちゃんと分かってるって知ってるからな」


語るべき事は語ったと酒を置いて立ち去ろうとすると体が見えない障壁によって固定される。


「・・・おい」


「・・・先輩が奥さんの事亡くなって11年たった今でも愛している事、自分なんかよりも他の男とくっついた方が幸せだろうと私の未来を案じてくれている事も知ってます」


アリサは徐ろに席を立つ。


「けど・・・」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


立ち去ろうとした先輩を"壁"を使って固定する。


励ましてくれた所までは良かったが、そうやって直ぐに立ち去ろうとするのは良くないと思いますよ。先輩。


「・・・先輩が奥さんの事亡くなって11年たった今でも愛している事、自分なんかよりも他の男とくっついた方が幸せだろうと私の未来を案じてくれている事も知ってます」


あれからも色々アタックして先輩が生涯愛するのは奥さん一人だけだと悟って、もう踏ん切りを付けようかと思ってはいたが、我慢出来ない。


「けど、今夜だけは。今回だけは甘えさせてください」


先輩の背中に抱きつく。


恐らく私の人生で最初で最後の先輩との抱擁だ。


息をすると仕事を終えて真っ直ぐここに来てくれたのだと分かる男らしい匂いが肺を満たす。


なんだか安心してしまい"壁"が解けてしまった。


「あっ・・・」


てっきり拘束が無くなった先輩は振りほどいてくるかと思ったがその大きな腕が私の体を抱きとめる。


「今回だけだからな」


このまま唇を奪ってしまおうかとも考えが巡ったが、この幸せが逃げてしまうと思い腕の力を強める。


私の目から涙が滲み出る。


今回の事とこの恋を諦めなければならないという切なさが胸を締め付け、いつの間にかみっともなく泣いていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


夜も更け、空も白み始めた頃、俺は玄関を潜った。


「それじゃあ元気にやれよ」


「そっちこそ私が結婚するまで生き延びてくださいね。大人しく私を貰っておけば良かったって後悔させるくらいに幸せになってみせますから」


「おう。楽しみにしてるよ」


曰く彼女は今日休みらしいが、俺、いや、私はこれから仕事がある。


私は少し霊契術を使い、足早に家へ帰った。


その時、娘達に朝帰りですかと若干白い目で見られたのだが、それはまた違う話である。

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